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80歳夫婦イタリア絵画旅行記 (12)

【イタリア・あの愛しい人達に】
カスティリオーネ・オローナ

(3)水の表現

「キリスト洗礼図」   洗礼堂
マソリーノ・ダ・パニカーレ
(1383〜1447年)
(写真資料:L'ARTE RACCONTAより)

 この"水" を見ると直ぐに思い浮かぶのが、京都出身の院展日本画家森田曠平氏の「桜川」を始めとした一連の流水を扱った作品です。氏は何度もヨーロッパへ行かれて研鑽されたようで…。(*下記画像 )

「 桜 川 」森田曠平 (院展日本画家・故人)
(写真資料:三彩社 「森田曠平」より)

 ここに見られる氏の川の表現は、マソリーノの「キリスト洗礼図」と共鳴しているようにあって、表現として共感を持って見ることが出来ます。こうしたマソリーノの洗礼図を見ていると、少し安易ではありますが…ヨーロッパ中世の表現と日本画の捉え方・表現の有りようにその近さや相通じるものを感じます。

《*他のキリスト洗礼図を少し見てみますと》

「キリスト洗礼図」
( 5C初頭 モザイク・部分 )
ラヴェンナ・ネオニア洗礼堂
( 写真資料:EDIZIONI A.LONGO より )
「キリスト洗礼図」
ジオット・ディ・ボンドーネ
(1267年頃〜1337年)
パドヴァ・スクロベーニ礼拝堂
(写真資料:FORMA E COLORE 33より)
「キリストの洗礼」  
ピエロ・デラ・フランチェスカ
(1412〜1492年)
ロンドン・ナショナルギャラリー
(写真資料:CLASSICI DELL'ARTEより)
「キリストの洗礼」  
アンドレア・デル・ヴェロッキオ  
(1435〜1488年)
ウフィツィ美術館
(写真資料:講談社  世界の美術館より)
*左端の天使はレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれたとされています。

 ルネサンスになって行くと、非常にリアルな描写になり、即物的になりがちで、また ”水" 自体についてはその表現にはあまり関心が無さそうに思えます。それ故かあまり興味を魅く "水" が見付かりません。そして今更ながら、自然より人間描写が第一で、それが最も重視されて描かれていると思われます。(*西洋で"風景画"の類が意識的に描かれ出すのは随分後のことになるようです)

 転じて遡ると、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院や、シチリア島パレルモ近くのモンレアーレ大聖堂では世界一と言われる壮大なスケールのモザイクを見ることが出来ます(*下記画像)

ヴェネツィア・サン・マルコ寺院
モザイク画  13C頃?
*漂うような水を現しているようで
(写真資料:L'ARTE RACCONTAより)
モンレアーレ・大聖堂 
モザイク画 12C  ビザンチン様式
(写真資料:L'ARTE RACCONTAより)
*まるで日本の【青海波文様】を
連想させるような荒波の表現

 このモザイクと言う手法による表現では、画像のように"水"に関しても簡潔明快なデザイン的表現を自由に楽しんでいるように感じます。
 "水”と言うもの自体が姿形の不定形なものであるがゆえに、却って感覚的に自由に捉え、自由に表現出来るところがあるかと思います。

 ところで、日本美術の”水”の表現では江戸時代の琳派・尾形光琳の「紅白梅図屏風」の流水が何と言っても良く知られています。

「紅白梅図屏風」 尾形光琳 
(写真資料:MOA美術館HPより)
「紅白梅図屏風」 (上図部分)  尾形光琳
18C  江戸時代 MOA美術館蔵
(写真資料:講談社 日本の絵画 より)

 日本美術の表現・その特性のひとつとして、対象の姿形をそのまま再現するのではなく、本質やイメージを感覚的感性で捉えて自分の中へ落とし込み、その本質を簡潔明快に表現するように思います。
 光琳のこの絵の持つ平面的表現の世界、ある種、感覚的に簡略明快にデザイン化(絵画化)した表現に、感性の高さ、優れたデザイン力や創造力の豊かさ、また表現の自由さや技術力、全てに一貫して類を見ない次元の高いものを感じます。
 リアルさや現実観を求め、即物的な方向の表現になりがちな当時の西洋(ルネサンス)の有りように対して、日本美術の持つ特性との相違を改めて見比べながら、多くのものを見て行きたいと思っています。

 ここに於けるマソリーノの絵はまさに当時の西洋のひとつの指針に背を向けるかのような要素が多々見られ、そしてそれはむしろ日本的な表現手段に近く、それ故に、より親しみを感じて見られるのかなと思っております。

*拙い文をお読み頂きありがとうございました

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