2024年を終えて
少し気が早いけれど、自分の中では10月は今年の振り返りの月、それ以降は取りこぼしの回収や、仕上げに使うと決めています。
自分の中で決めてみると、不思議と気持ちもそれに従うもので、周囲の見え方や考え方も影響を受けるようです。
夢中になれる事がある幸せ
昔、バカボンドという漫画が好きだった事を思い出しました。
宮本武蔵を題材にした話でしたが、天下無双に取り憑かれたバカで、剣術に夢中という設定でした。
好きなものがある自分を、当時は重ねて読んでいました。
武蔵は年老いて古傷が元で闘えなくなってからは、洞窟に隠って書物を書いたそうです。
と、言う事は夢中になれるものがある人は、何かに夢中のままに人生が終わってしまうのだろうと気づきました。
諸行無常と繰り返し
僕は記録(メモ)を残すことが好きで、いつも記録の整理方法を考えています。
その度に完璧な分類方法は… と考えてしまうのですが、不変のものなんて無いので、必ず再編成が必要であることに思い当たります。
という事は、集めて分類して編成して、要らない物を捨てて…
それを繰り返している内に人生が終わっていくという事に気づきます。
しかし、記録だけじゃなくてどんな事でも一緒だなと思います。
仕事でも、勉強でも、歴史でも、枠組みを変えながら繰り返しているようです。
普通、繰り返しは退屈で嫌な事です。
特に人から強制されて行う繰り返しは苦痛でしかありません。
しかし、夢中になれるものがある人は、飽きる事無く繰り返しを続けます。
しかも楽しみながら。
繰り返しと苦痛
では、夢中になれるものが無い人は、毎日の繰り返しをどうやってこなしているのでしょうか。
そこに雑念が入り込む余地があるように思います。
快楽への依存や、人を騙して苦痛を避ける方法を選ぶこと、現実逃避や、八つ当たり、弱いもの虐め、自分虐め、なのではないかと思いあたりました。
自分には夢中になれるものがあるので、それを夢中になれるものが無い人にどうやって伝えていくか、それがこれから考える事だなぁ…
と、今年を締めたいと思います。
表現の方法に決まりはない
最近見たYoutubeで、枡野和尚様が面白いことを仰っていました。
修行を通して学び取った事を自分が得意な方法で表現する。
枡野和尚にとっては庭造りがそれに当たるという話でした。
世の中にある仕事は元は表現手段だったとも仰っていました。
バカボンドの井上さんは漫画で表現していました。
文章やトーク、絵や漫画などに囚われなくても良いのだと理解しました。
自分には何が向いているのだろう…楽しくなってきます。
5回の大絶滅
最近知ったのですが、
生物は40億年の間に5回も大量絶滅していたらしい、
よく今日まで誕生と死を繰り返して来てくれたと、
感謝せずにはいられませんでした。