未来に偏った考えがもたらしたもの
気がついたら未来ばかり見ていて余裕がない生き方を良しとして、過去のことは殆ど忘れてしまっていた。
毎週母の見舞いに行って思ったことは、辻褄が合わなくても良いから都度書いておけばよかったと今更ながら後悔している…
過去を思い出した切っ掛け
この1ヶ月、毎週片道2時間かけて母の見舞いに通った。
脊椎の圧迫骨折で入院して1カ月目くらいのとき、認知症のような症状が現れたのを気遣っての行動だったけれど自分にとっても得るものがあった。
いわゆる一般的な認知症の症状に加えて幻視症状があったので、兄はレビー小体認知症を疑っていたが、夫の死、脊椎骨折からくる痛みなどのストレスと薬剤の影響で、せん妄を起こしている可能性もあって、病院の担当医師と家族とで何回も話し合った。
自分は認知症には何も出来ないけれど、精神的にサポートすることはできると思ったので、まずは衣服を買い揃えて睡眠環境を整えて、記憶や感情を刺激するために、タブレットで地図を見ながら、昔住んでいた場所の話をしたり、知っている事を検索で補いながら話をした。
そんな中で自分の記憶にないくらい昔の家族の話を聞くことも出来た。
過去(のんびりした生き方)を切り捨てた理由
当時はずいぶんとのんびりした生活をしていて、よく買い物を兼ねて散歩に連れて行って貰っていた。もしそのままの流れで生きていたら、普通に平凡な人生を送れていただろうなと別の人生を想像した。
別の可能性を見て気が付いたのは、普通の幸せに憧れている自分だった。
波があって振り回されて、挫折感と後悔ばかりの人生を生きてきたので、ずっと苦しくて嫌だったから。
最近になって、そんな人生も内容が盛り沢山と考えれば、お得なのかなと考えられるようになったけれども…
最初の挫折は従弟が集まった時に馴染めない事だった。
2つ目の挫折は転校で友達がいなくなったことだった。
3つ目の挫折は転校後いじめにあった事だった。
4つ目の挫折はコンピューターをいじり始めたけれど、頭が悪いことに気づいたときだった。
全部上げたらキリが無いけれど、挫折するたびに目標(普通の幸せ)は遠い未来になり、過去の自分との隔たりが大きくなっていったように思う。
言い方を変えれば、変身願望が大きくなればなるほど、過去は要らない物になり、現在は未来の為だけに存在するようになり、心も時間もすり減っていったのだと思う。
自己評価のゆがみ
その変身願望が一番適っていた時期が30代の前半に訪れた。
愚かにもさらなる高みを望んでしまったため、40代前半で全てを失って転落したけれども。
まるでイカロスのようだと思いにやけてしまう…
30代の上手く行っていた時期以外の人生には意味が無い、未来も(その頃より)良いことは起こりえないし、もう必要ないと考えるような歪みを抱えていたので、普段は過去のことを振り返らないし、思い出そうとしてもそれ自体が難しかった。
特に感情面が思い出せなかったのだけれど、母と話したことで子供時代の自分と繋がる事できて、今を楽しむ人生もあるのではないかと思い始めている。
母の精神面が安定してきたのと、コロナウイルスの影響で毎週の見舞いはやめることにしたけれど、自分が本当に求めているものを考えるときに役立つ重要な記憶が蘇ってきたのを嬉しく思う。
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