此岸
亡くなって、12年が過ぎました。
母、享年63歳。
余命三ヶ月。
ドラマの中のワンシーンのように、私たち兄妹は医師の元に呼ばれ告げられた言葉でした。
私の頭の中では、「まだ、セカンドオピニオンがある」「こうやって、言われてるけど良くなる人っているはず」ぐるぐる言葉が回ってる。
事実を認めたくないことより弟に、動揺を見せないことが先でした。
それから、三ヶ月私と弟の生活は変わりました。
弟は、地元に住んでおり介護職なので仕事終わりに母の病院へ行く。
私は、病院から二時間ほど交通機関を使った離れたところに住んでいたので二日に一度病院へ通う生活。
夜、働いている私にはちょっときつかったです。
毎日の終わりはなく、起きたらまた病院へ行く生活。
母には、余命を言われたことなんて言いませんでした。
度々看病に来る私を、おかしいなと思ったと思います。
母の状態は、毎日変わることもなく本当に三ヶ月で亡くなるの?と思いました。
それだけ、元気だったからです。
その間に、いろいろな人に相談しました。
知り合いの教授に、相談したところ「この病気は治らないから、お母さんが好きな場所で、好きな人に囲まれて過ごさせてあげなさい」と言われた時は、流石にショックでした。
どうにかしたくても、できない事に悔しかったことを思い出します。
何で、気づいてあげれなかったのだろう?とずっと、思いました。
日々は過ぎ、余命から本当に三ヶ月で母は亡くなりました。
振り返ればいろいろなことが、ありました。
18年しか母と一緒に住んでなかったので、今では離れた生活が長くなっています。
当時の私は、長女だからと愛されていないと思っていました。
でも、そんなことはなかったのだと今頃気付かされるのです。
家を出ても、心配してくれた母。
亡くなった後、母の所有していたものを片付けに実家に帰ると色々と発見しました。
料理の本に、走り書きで書いている言葉。
全く、その本とは関係がないのに思い付いたのでしょうか。
そのメッセージは、自分のことではなく相手を思いやりなさいという意味の言葉が書かれていました。
母らしい、言葉です。
今では私が、思い付いた言葉があると書き残したりしています。
母がいない世界が、12年以上も経っていることなんかは想像ができませんでした。
でも、こうして私は生きていてそのことを書いている。
生きていれば、予想もつかないことがいくつもあります。
そして私も、いつか時が来たらこの世界から去ります。
繰り返し、流れていく。
三月、彼岸ですね。
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