ネバーエンディング金色夜叉ってなんのはなしですか
「金色」について一番に想起するのはいつも『金色夜叉』だ。
尾崎紅葉という明治の文豪が、読売新聞に連載してて、書いてる途中で亡くなったから完結してない、だから結末が永遠に訪れないネバーエンディングストーリー。それが私にとっての「金色」、『金色夜叉』である。
とか言って、ちゃんと内容を覚えているかと言われると自信がない。
実はこの物語、私の学生時代の課題図書だったので、しょうがなく読んだ。
すみません、
しょうがなく読みました。
文語体がどうしても頭に入りにくくて、読みながら何度も寝落ちしたのを覚えている。寝落ちしたのだけは覚えている。
左手でページをおさえ、右手にふせんを握って、1ページごとに睡魔に襲われ、はっと目覚めてまた同じページから読み直して……
なかなか波に乗れなくてつらかったものである。
しかし、しょうがなくでも読んでいくうちに、「尾崎紅葉案外おもしろいな(失礼)」と思い始めた。何がおもしろいかって、この話って結局、
#なんのはなしですか
なんである。
この境地に達して以降、私は物語にひたすらツッコミながら読んでいた。
ツッコミどころしかなかった。
この記事は、私の『金色夜叉』に対するごく個人的な意見を述べているにすぎないので、関係者はどうかこの先を読まずにブラウザバック願います。
あと、尾崎先生は化けて出ないでください。本の宣伝するので許してください。
私の記憶の『金色夜叉』はこうだ。
尾崎紅葉先生に呪われ始めたのか、寒気がしてきたので、今手っ取り早くあらすじを調べてみたら、まあだいたい合ってた(「だいたい」の目安には個人差があります)。
さて、『金色夜叉』といえば、
名場面のインパクトが思ってる3倍。
『金色夜叉』の名シーンといえば、主人公貫一が、熱海でお宮にケリを入れる一幕。
敢えての「踏みつけ銅像化」。
銅像になるのって普通、もうちょっと晴れがましい姿だと思うの。尾道の林芙美子もさすがに前転はしてないわけで(それはそれで晴れがましいし前転したのは森光子であって芙美子の持ちネタではない)(#どうでもいいか)。
とはいえ、いくら思い出してもいろんなあらすじを検索しても、
「踏みつけシーン」しか勝たん。
この差。動と静。それぞれに物語があります。
「勝たん」と言いながら、熱海で元カノを足蹴にするシーンと同率一位で推したいシーンが、私にはある。
子供の頃、気に入った言葉を連呼して楽しくなっちゃった経験を思い出すやつ。
とあるパーリーに、どデカいダイヤの指輪をはめてきた男の登場に、場が沸き立つシーンを見てみよう。
「ゐたり」じゃないのよ。
ギャグなのか? なにかのまじないなのか?
「金剛石」って言いたいだけのやつか??
小学生か???
このシーンは、わりと序盤に我々読者にぶつけられる。尾崎、攻めている(尾崎呼ばわり……)。なんだかやけにむずがゆくなる場面なので、共感性羞恥というやつなのかもしれない。
オレの中の小2が疼く……ッ!
あ、部屋の照明がチカチカしてきた。ええかげんにせえよとのメッセージでしょうか、先生。もうすぐです。もうすぐ書き終わります。
お宮の意図が結局わかんないとかいろいろ謎はあるが、「金色夜叉」の最大の謎シーンは、やっぱりこの「金剛石連呼」だと思う。
30人を超えるパーリーピーポーが金剛石を叫ぶ。
異様である。
大学の授業では、先生が実にさりげなくこのシーンの解説を流していった。
いやもっと突っ込んでいいんだぞ? これ新聞に載せてたんだよ?
#どうかしているとしか
初読みの30年前から全くテンション変わらず、こうした「ツッコミ」が自分の中にある。
これってすごくない?
こんなに心に残る作品、なくない?
繰り返しになるが、『金色夜叉』は未完の物語である。著者が亡くなっているから、もう誰も続きが読めない。読めないと知ると俄然読みたくなる。そのニーズに応えてか、いろんな作家が後を引き継いで続編の執筆をしたそうだ。
Wikipediaの記述によれば、紅葉の死後、『金色夜叉』についての創作メモも見つかって、紅葉が書こうとしていた意図らしきものもわかっているようだ。
でもやっぱり、
本当の結末を誰も知らない。
私はここに、『金色夜叉』の魅力というか、魔力的なものを感じるのだ。
今もなお謎に包まれたままの、ジャパニーズネバーエンディングストーリー『金色夜叉』。
調べてみると、こちらのサイトの解説が一番わかりやすく、かつ原作のおもしろさが伝わってくる。
あなたもぜひ読んで、貫一お宮にツッコミを入れてほしい。
現代語訳の本も見つけました。ほかのどの表現よりしっかり貫一が蹴りとばしている表紙が目印です。
#シロクマ文芸部
で投稿しようとしていましたが締切をゆうに過ぎました……貧乏性なので投稿しておきます……