15年前のルームメイトがニューヨークの政治家になった話
久しぶりにFacebookを見ると、アメリカ留学時代のルームメイトが、なんと、ニューヨーク市の市議会議員に立候補していた。
広報ウェブサイトの動画を見ると、アジア系、LGBTQ、シングルマザーといったマイノリティをサポートする政策を中心に街に根ざした活動をしていくことを訴えていた。
ふと、振り返ると、彼女は、15年前にルームメイトだったその当時から片鱗が見えていたように思う。
サンフランシスコ、2005年。僕が25歳の時、朝は語学学校に行き、午後は、貿易会社でインターンをしながら、お金はないけど、刺激的な日々を送っていた。長くルームメイトだった同級生の韓国人が帰国することになり、当時流行だったCraigslistという掲示板サイトでルームシェア探しをする中、価格と立地から、二つの候補を見つけた。
双方に連絡を取り、一つ目は、カストロストリートの高級住宅街の大きな家だった。
こんな豪邸の部屋にこんなに安く泊まれるなんて、と勢い勇んで内見に行くと、50歳くらいの一人暮らしの男性家主が、パーテーションに仕切られて区画を指差し、ここが君のスペースだと、と言われた。
もう一つは、中心地から離れた区画にあるアパートで、ダウンタウンからは離れた庶民的なエリアのアパートだった。部屋を案内してくれたのは、マッチョなフィリピーノアメリカンの男で、なんだかこの部屋暗いね、といったら、リビングからスタンド照明を持ってきてくれて、これ使えば良いよ、と言ってくれた。
結局はその部屋にすることにした。
そのアパートは、部屋が4つほどあって、案内してくれたフィリピーノアメリカン、ラテンアメリカン、僕、そして、ベトナム系アメリカ人の女の子の4人がシェアしていた。ベトナム系アメリカ人の子がその部屋の借主だった。
その部屋に住んで何日か経って、その子と話すことがあり、君いい奴だね、みたいなことを言われた気がする。
あるとき、夜の9時くらいにアパートに戻ると、その子の友達がリビングに集まって、お酒を飲んだりしていて、横を通ると、
「一緒に飲む?」
と聞かれて、「いい?」と答えて混ぜてもらうことになって、そこから、色々と遊びに誘ってもらう様になった。
ある時、アパートでその子と話していると、
「デモに参加したことある?」と聞かれて、なんだか面白そうと思って、人種マイノリティの権利に関するデモに参加したことがあった。なんだかいつも、仲間と遊んでいる姿ばかりが印象的だったから、ちょっと意外に思った。
色々聞くと彼女は、大学を卒業したばかりで、当時は、NGOで仕事をしていたと思う。具体的なNGOの目的は覚えていないのだけど、地域コミュニティを支援する活動がメインだったと思う。
僕はその時は25歳で、大学を卒業して、就職して、1年半で辞めてアメリカに来た。良い大学に行って、良い会社に就職して、そんな価値観が当たり前だと思っていた自分にとって、彼女の生き方はあまりに新鮮だった。
大学で社会課題を勉強し、卒業後、NGOで働き、夜は仲間と遊び、週末は、デモを企画して、社会課題をアピールする活動をする、
そんな彼女の姿はあまりに新鮮で合ったし、「偏差値」型の価値観ばかりだった自分には、とても自由をそこに見た。
それから、もう15年近くが経って、結婚してニューヨークに引っ越していた彼女のFacebook投稿を見てみると、自分の名前を冠したフライヤーの写真が投稿されていて、どういうことだろうと、投稿を遡ってみると、彼女が今、NYCの市議会議員として立候補していることがわかった。
ホームページに上がっていた動画をみると、
NYCの街で、経済格差、女性、移民、シングルマザー、LGBTQといった街のマイノリティが直面する不公正に正義を与えることをテーマとした政策を推進していくメッセージを伝えていた。
最初は、本当にびっくりしたけど、ふと過去を振り返って、とても腑に落ちたのだ。
早速、メッセージで連絡をとってみると、「私も自分が立候補するなんて、100万年起きないと思っていたので、クレージーよね」と言っていた。
でも、恐らく必然であったのかなとも思う。もう、5年以上前だけど、ニューヨークに遊びに行った時、彼女の仲間達とセントラルパークでピクニックをしたのだけど、様々なマイノリティ、LGBTの友達に囲まれて、皆に愛されてる姿がとても印象的だった。
NGOの活動、デモ、社会貢献、友人との交流、そんな彼女の「日常」は、友人、同僚、隣人、街へと次第に影響力となって広がって、気付けば街をもっと良くしてほしい、という声が集まった結果なんだろうと。
彼女が街のリーダーとなって、社会的弱者を支えている姿がありありと浮かんでくる、僕もそんな街に住みたいな、と思った。