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半径1mを「やさしい世界」にしたい
最近、誰かに褒められましたか?
最近、誰かを褒めましたか?
最近、自分を褒めましたか?
おとなになると、いろんなことが「できて当たり前」にされてしまって、褒められる機会がどんどん減っていく。
朝7時に起きて仕事に向かうなんて、大学生の頃から考えたら凄いことなのに。
8時間働くことだって、働いている間にきちんと仕事をすることだって、決して簡単なことではない。
それなのに、「当たり前」だから褒められない。
むしろ色んなことで怒られたり、自分を責めたりすることのほうが多い。
確かに反省は大切だし、駄目なところは見つめないといけないけれど。
自分のことをもっともっと褒めてもいいんじゃないかなと、思っている。
褒め言葉のバーゲン会場はこちらです
私は毎日、自分のことを30回は褒めちぎっている。
朝ちゃんと起きた!えらい!
カーテンを開けた!えらい!
きちんとニュースを確認した!天才!
朝の会議に時間通り参加した!すごい!
タスクを終えた!すごい!
お昼ごはんを食べた!えらい!
本を読み終えた!天才!
仕事終わりお昼寝した!セルフケアできてえらい!
シャワーを浴びた!すごい!
お風呂上がりにボディクリーム塗った!天才!
髪乾かした!神様!(髪乾かすの嫌い)
こんな調子で、もう毎日が褒め言葉のオンパレード。大バーゲンセール。えらいの大安売り。
そんなこと当たり前に私はできています何もえらくないって思ったそんなあなたには、ノーベル日常頑張っているで賞をあげちゃいます!すごい!えらい!天才!偉人!!(くす玉の割れる音)(拍手喝采の音)
たとえ何か失敗しても、失敗に気づいたことがえらいし、それをちゃんとリカバリーしようものなら天才。失敗から何か学んだならば偉業。
だから毎日私はえらいし、あなたもえらい。みんなえらい。
誰かへの期待は取り扱いません
私は基本的に、他者に期待をしていない。
そうなったのにはまあまあそれなりのあれやこれやな理由があるのだけれど、まあ、とにかく、期待しないことにしている。
(なんなら人間という生き物を信用していない。)
人間関係で辛い思いをするときって、大抵の場合は"期待を裏切られたとき"だと思う。
恋人であろうと、友人であろうと、家族であろうと、上司であろうと同期であろうと部下であろうと、基本的にはこれ尽きる。
「こう言ってくれると思ったのに!」「こんなこと言わないと思ってたのに!」
「こうしてくれると思ったのに!」「こんなことしないと思っていたのに!」
そういうふうに、まるで裏切られたかのように感じたことは誰にでもあるのではなかろうか。
褒められたいという欲求、認められたいという欲求はなかなか厄介で、無くすことはなかなかできない。
だから、これをやったら褒められると思った、喜ばれると思った、などといった他者への期待を裏切られたときにはものすごーーーーく辛くなってしまう。少なくとも私はそう。
察してもらうなんて、そんなことテレパシーが使えない私にはできっこないのに。
だから、褒めてほしいなら「褒めて!」って言う。
喜ばせたかったのに喜んでもらえなかったならば「こういう理由で喜んでくれる思って頑張ってんだよ、失敗しちゃったけど…だから頑張ったことにだけちょっとだけ喜んで!」って言う。
私にとってすごいことが、誰かにとっては当たり前かもしれないから、褒めてほしいのに「いや当然でしょ」みたいに言われてしまう場合もある。
(そしてこれ、昔の私はよく言っちゃっていた気がする。反省。)
だから、人に褒めてもらうことをアテにしない。活力にしない。
その変わり、自分で自分を褒めまくる。自分で自分を、満たしてあげる。
自分を責めるフェアは終了しました
最近までの私は、たくさん自分を責めてきた。
あるとき、親友に「お前は自分に厳しすぎる」と言われた。
そんなつもりはないのに「ストイックだ」ともそれなりに言われてきた。
朝起きてお布団から出るまでに時間はかかるし、締切ぎりぎりまで本気を出せないし、面倒なことは避けて通るし、私は自分のことを今でも「自分に甘いだめな人間だ!」と思っている。
それなのに自分に厳しいストイックな人間だと思われているのは、ひとえに自分の外面の良さゆえだと思ってきた。
でもよく考えてみたら、自分で自分を褒めたことってあんまりなかった。
高校生から何度も精神的な不調を経験してきた。
社会人になってからも、新卒で入った会社は適応障害で休職し退職したし、その後の会社も精神的な辛さからくる体調不良で退職してしまった。
そんな自分をたくさん責めて、責めて責めて責めて、もう生きている価値なんてないんじゃないかって、考えたこともある。
ぐうたらな自分を責めた。
身体の弱い自分を、心の病になった自分を、働けない自分を責めた。
そんな時に、「自分に厳しい」と思われていたことを知った。
私で言う「お布団から出られな〜い」というようなぐうたらな一面は、大抵の人にあるのかもって思うようになった。
もうちょっと自分に優しくしてみることにした。
自分を無駄に責めるフェアは終了。もう一生開催しないことにした。
その代わりに始まったのが、褒め言葉の大セールだった。
自分を責めても良いことはあまりなかったから。
反省することと、責めることは違うのだ。
責めることで生まれるものは精神的不調くらいのものだった。
そもそも、何でもかんでも自分のせいにするなんて、今思えばおこがましい話だなって思う。
お世辞との違いにご注意を
自分をたくさん褒めるようになってから、周りの人のこともたくさん褒められるようになった。
ただ、お世辞は言わないと心に誓った高校生以来、私はお世辞とは距離をとって生きてきた。
よくある「そんなことないよ〜!」って言ってほしいんだろうなっていうような相手の発言に対しても、本当にそう思わなかった限りは「そんなことないよ〜!」は言わない。
「かわいい〜!」とか、「すご〜い!」とかも。
これは私の、言葉を大切に扱うための決まりごとだ。
言葉には中身が伴わないといけないと思っているから、思ってもいないことはなるべく言わない。
思ってもいない発言の最たるものがお世辞。
だから、お世辞での褒め言葉は吐かないようにしている。
そんなことをしたら、私の褒め言葉大バーゲンへの信頼性が落ちてしまう。品質管理は大切。
誰かを褒めるとき、私は本当にそう思って褒めている。
精神的にしんどくて実家に帰ったり休職した友人たちには、心の底から「本当に無理になる前にちゃんと気づいて行動できて偉い!!」と褒めるのだけど、本当に、そう思っているということはこの場を借りて伝えたい。
半径1mをやさしい世界に
私は私の周りの世界を、やさしいものにしたい。
毎日自分を褒め称えている!って言ったときに、友人から「やさしい世界だね」と言われた。
やさしい世界、なんて良い言葉。
本当の世界は決してやさしくないし、社会は辛く厳しいし、世間は狭くて苦しい。
だからこそ、自分の周りのちいさな世界だけは、やさしくありたい。
2mの距離を取らないといけなくて、直接会うこともままならない今だけれども、いや、だからこそ。心の半径1mにいる人たちのことを、私はたくさん褒めていきたい。
半径1mには、私に関わってくれている人たちがいる。
私の周りの友人のみんなはとっても素敵で、えらくて、すごい。だから、もっともっと褒めちぎりたい。
後輩であろうが年下であろうがすごいところは素直に褒められる人でありたい。
褒められたいときは連絡してほしい。辛くてたまらないときも褒めちぎるから、どうか辛い気持ちを抱えたままに壊れないでほしいと思っている。
あなたがあなたであるというただそれだけで、私はあなたを褒めたいのだから。あなたにとっては些細なことだとしても、たくさんたくさん褒めさせてほしい。
みんないつもありがとう。
私のまわりのすべての人に、全力の拍手と爆音の「すごい!!!!!」を送ります。そう、あなたです、受け取ってください。
私が半径1mを優しい世界にできたなら、そこからもっと優しい世界が広がるかもしれない。
だから私は今日も自分をせっせと褒める。
自分に優しくなかったら心に余裕を持てないし、心に余裕を持てなかったら誰かに優しくなんてできないから。
ちょっと良い感じな気がするようなnoteを書いて、えらい!!!
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