想像力は私たちを最も遠くへ運ぶ乗り物である
「見て、あの窓」
犬との夜の散歩中、すぐ後ろから、ご夫婦らしき二人の会話が聞こえてきました。
「あそこって、職員室だよね?」
「そうだっけ」
「役員の時に行ってるし、間違いない。まだ電気ついてるよ」
「誰か先生がいるんだね。こんな時間なのに」
ちょうど小学校の前を歩いているところで、時刻はすでに8時半を回っていました。
つられるように校舎の方に目をやると、2階の大きな部屋に煌々と明かりが灯っています。
そのご夫婦の会話通り、夏休み期間中の遅い時間にも関わらず、まだ居残って仕事をする先生がおられるようです。
世の中で叫ばれる少子化のニュースには現実感を持てないほど、私の暮らす地域では、子どもたちの姿をよく見かけます。
生徒数があまりに多いため、とうに現役を退いた先生たちにも協力を仰ぎ、どうにか学級を維持しているという学校の話まで聞くほどです。
それでも仕事は増え続け、休日出勤や残業はもはや当たり前だと、現職の先生たちは漏らしています。
実際に、ある先生など「もう十年以上、旅行にも行けていない」といいます。
それでもその先生は、長い休みの間中、家族でどこへも出かけられなかった生徒に、こんな風に伝えたそうです。
「お互いに旅行できなかったね。でも、がっかりしなくていいよ。ただ移動するだけが旅じゃないから。たとえ家から一歩も出られなくたって、遠くへ行く方法はいくらでもあるよ」
空想すること。本を読むこと。映画を見ること。身近な自然を眺めること。
そんな方法を語るうちに、暗い表情だった生徒の顔が、少しずつ明るいものに変わっていったといいます。
この賢明な先生の言うことは本当で、家に居ながらにして新しいものに触れたり発見を重ねることは、決して難しくはありません。
幸いにも遠い記憶になりつつある"ステイホーム"の時期には、誰もがその試みを余儀なくされました。
遠出は諦めざるを得ず、海外旅行など夢のまた夢。仕事や必要最低限の外出以外は、自宅や狭い行動範囲内での生活が推奨され、どこへも行かないことが賞賛される。
そんな日々の中で、皆がその暮らしに順応しました。
その時に私が面白く感じたのが"陰キャ"や"引きこもり"を自称する人たちの意見で、その人たちはこんなことをあちこちで発言していたのです。
「ステイホーム楽勝すぎる」
「いつもの生活と何も変わらない」
「オタクにはノーダメージ」
「おうち最高!」
反対サイドに位置する"陽キャ"の人たちが、それまでのような飲み会やパーティー、観光旅行が不可能になり落ち込んでいる一方、"陰キャ"の人たちは、心底から"地味で孤独な生活"を満喫していたというわけです。
私もどちらかといえばこちらのグループに属しており、外へ出ても楽しくはあるものの、休みの間家にこもりきりでもそれはそれで十分というタイプです。
実はコロナ禍がきっかけで、当時熱を入れていた仕事が駄目になり、ついにはその分野から撤退してしまった、という経験もあるのですが、そのことに恨みの感情もありません。
それもまたひとつの流れであり、必然であったのかと思うだけです。
人からは、あんなに尽力していたせっかくの仕事を、と嘆いたり目を丸くされたものの、私はいったん過去となったものには感傷を抱かないタイプゆえ、自分が達成した物事も遠い目で眺めるだけでした。
あまりに口が過ぎると、関わっていた人たちを傷つけることにもつながりかねないため、これ以上そんな思い出話はやめにしますが。
ただ、もしそこでコロナ禍に見舞われなかったなら、手がけていた仕事が軌道に乗って順調に進み、こうしてここで文章を書くこともなかったと思います。
そのための時間がとれませんし、そちらでも文章を書いていたため、なお別個で何かを綴ろうとは思えなかっただろうからです。
そちらで書いていたものはテーマも対象も異なるため、文体やそこに現れる私のキャラクターも、まるで違ったものでした。
もしそちらの方で書き続けていたならば、今頃どんなふうに進展していたか、興味深くはあります。
それでも、もしもの世界の話は無意味であり、ひとつの重要な仕事を失った私は、別の仕事へとゆるやかに移行しながら、ステイホームを楽しみ、多くのひそやかで深い発見も重ねました。
誰かと共に過ごすのは素晴らしいことではありますが、一人で充実して時を過ごせることもまた、それに劣らず良いことです。
本、楽器、毛糸、チェス盤、ハサミ、絵筆、天体望遠鏡、スコップ、ピンセット、刷毛、包丁、粘土、カメラなど、一人で取り組んでも喜びを与えてくれる道具はいくらもあり、できればそれを一つでなく二つ、三つと持っていれば、一生孤独や不幸とは無縁でしょう。
時間を忘れ、心から楽しんでそれらに打ち込むことは、未知の国への旅に匹敵するからです。
そこで自分の持つ可能性に出会ったり、何かを創り出す達成感を得ることは、時に世界旅行よりも遠くへ私たちを運んでくれます。
だからこそ、休み明けに落ち込む生徒に語った先生の言葉は、単なる慰めではなかっただろうと感じます。
その先生は、一人で過ごすひそかな楽しみを存分に知る人だったに違いありません。
だからこそ、その言葉は生徒の顔を晴らしたのです。
事情があってどこへも出かけられなかった生徒さんが、現実の旅が叶うまでは内的世界の旅を楽しみ、豊かな時間と体験を手にしてくれたならば最高です。
その上で先生には時間的余裕と休暇を、そしてもう二度と、社会全体が望まぬ隔離に追い込まれないことを願います。
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