ニュースでよく見るあれに出た話
ある漫画家さんのエッセイに、こんなお話がありました。
交際中の恋人と上手くいかず、出先のカフェで別れ話が始まった。
恋人は深く顔を俯け、その人も涙目になり、というところで隣の席から力強い宣言が聞こえてきた。
会社員らしき二人連れのうち、後輩と思しき男性が「では、わたくしは、これより用を足して参ります」と元気よくお手洗いに消え、戻るなり、今度は自分の下着の色についてはきはきと報告をし始めた。
そんな二人の隣で深刻な話をするのも馬鹿らしくなり、別れ話もうやむやに。後にその恋人と結婚し、今に至る、というエピソードでした。
その会社員の男性たちは、期せずして人の運命を変えてしまったわけですが、これはいかにも人生の妙だという気がします。
かつて書いた話のタイトル『人生の全てはタイミング』ではありませんが、私たちの身の回りで起こる多くのことは、それぞれの意思だけでなく外側の物ごとと複雑に絡み合い、結果として偶然に支配されるのかもしれません。
この漫画家さんの体験談にも似た、こちらはそれどころではないのですが……という出来事は、私にも覚えがあります。
もう間もなく長い期間のお別れをする、という友人と過ごした際の話です。
ぜひとも話したいことがあって、と思わせぶりな連絡の後、顔を合わせるなり、友人は急だけれど二年間の留学に行く、と私に打ち明けました。
ずっとしたかった勉強をする夢を叶え、あちらの学校で寄宿生活をしながら本場の技術を学ぶのだ、とのことでした。
驚きながらももちろんその決断を祝福しましたし、更に詳しいあれこれを聞き、私のささやかなホームステイ体験などを語るうちに、時間はたちまち過ぎてゆきます。
もっと話していたいけれど、帰って荷造りをしなくては、という友人を送るため地下鉄駅まで歩くうちに、次に会えるのは二年も先だね、としんみりした空気になりました。
いくら文章や声でやり取りができるとはいえ、それと、同じ空間にいて、顔を見て話すこととは計り知れない違いがあります。
地下鉄の入り口前でハグをし、泣きそうだからもう行くね、と友人は地下への階段を急ぎ足で降りて行きました。
互いに手を振り合い、やがて友人の姿も見えなくなってから、私は深いため息をつきつつ、そこを離れようと踵を返します。
その瞬間、すぐ脇から
「すみません。いまお時間よろしいですか?」
どこかで聞き覚えのある声がしました。
見ると、そこに立っているのはあるニュース番組のアナウンサーの女性で、後ろには数名のテレビクルーが控えています。
「すぐ済みますので、ひとつだけ質問させていただけませんか」
その人の必死さを隠しきれない顔に、ああ、これはだいぶ苦戦しているのだな、と察せられます。いかにも"誰もインタビューに答えてくれない、どうしよう"という焦りと疲労があらわれているのです。
その大変さもわかりますが、こちらとしては、今ですか!?という感じです。
まだ友人との別れの余韻に浸っているのに、ここでいきなり、テレビの取材をさせてください、はあまりの間の悪さです。
けれど私を一心に見つめるその人たちに、手のひらをふらふらと振って足早に歩み去る、などということはできる訳も無く、あいまいにうなずくと、皆が心底ほっとした表情を浮かべました。
そして、そこでされた質問というのが、ある企業の不正疑惑についてです。
その企業は過去最高収益を上げつつ税金対策の一環のために利益を隠し、マスコミや株主総会での追及にもまともな回答をしないでいました。
一方で消費者を騙すように、値上げを繰り返していたのです。
あなたはこの件についてどうお考えですか、とのお尋ねでしたが、何とも世知辛い話題への急展開です。
テレビカメラとマイクを向けられ、普段なら当たり障りのない意見を述べたでしょうが、友人との別れの反動でまだ頭がぼやけていた上、この妙な状況に半ばやけになった私は、ウェブ上で読んだ詳しい分析や裏話も含め、憤りを早口で話し始めました。
皆があ然とした表情を浮かべていますが、そんなことは知ったことではありません。相手もタイミングも悪いのです。
こんなに怒りっぽい人間相手、それも感情的でいる時に、社会悪への意見を求めるなんて。
私が口にするどんな苦言や批判にもアナウンサーの女性だけは表情を崩さず、では今回もそういった企業体質が表面化したに過ぎないということでしょうか、と上手くまとめてくれました。
そうです、代表者は責任を果たすためにも真相を公にし、自らの進退については外部の判断に委ねるべきです、など言い放ったのですから、我ながら何様です。
けれど、くどいようですが、この時の私はあまりに精神状態が乱れていました。
どうせ没になるに決まっているし、遠慮したり思い悩む必要もありません。
ところが翌日、仕事で取引先の会社に出向くなり、ほとんど話したこともない、顔見知り程度の女性が駆け寄ってきました。
そして、無邪気な笑顔で一言。
「見ましたよ、昨日」
何のことかわからずいると、彼女は生き生きと報告してくれます。
「ちょうど休憩室にいた時、テレビで夕方のニュースをやってたんです。何となく画面を見てたら、急にほたかさんが。もうびっくりでした!」
それは私の方こそです。まさかあんな回答が採用され、私のあずかり知らぬところで世間に流されていたなんて。
おまけに可愛らしい女性に、にこにこと告げられたのです。
「怒ってましたね。聞いててこっちもすかっとしました」
これに対し、何と答えれば良いものか。
ありがとう、も違いますし、ただ苦笑いするよりありませんでした。
それにしてもすさまじいのはテレビの影響力で、誰にも知られないと思っていたのに、こうも容易に知り合いに見つかってしまうとは。全く油断がなりません。
いくらやけになってはいても、人前であまりに奔放な物言いはしない方が良い、という教訓を得たと同時に、あそこで声をかけてくるテレビスタッフも、答える私も、皆おかしいのではないか、というのが結論です。
ちなみに、留学中の友人は元気でがんばっているそうで何よりです。