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三十六計逃げるに如かず

私が好きな読みもののひとつに、色々な媒体に掲載される『人生相談』があります。
そこには、相談者の悩みに対してどんな解決法がもたらされるのだろう、というわくわくがあるのですが、先日読んだある芸人さんの回答に、秀逸なものがありました。


学校でいじめを受けているのに誰も助けてくれない。どうすればいい?〉という小学生の男の子からの相談に、その人はまず〈逃げること、その場から離れること〉を勧めていました。

そして、さらに素晴らしいのは〈逃げることに罪悪感を覚えたり、恥ずかしい、駄目だと感じる必要は全くない〉という断言です。

そのためにも〈"逃げる"のではなく"別の場所を選ぶ"という考え方をするのはどうか〉といいます。
心身の危険がある場を離れるのは至極真っ当であり、今の状態で学校へは行かないという決断は正しいとも。


筋の通った優しい考え方で、相談者の男の子も、どれほど励まされたかと思います。
同じ行為も、それを表現する言葉によって意味合いは大いに変わり、"逃げ出す"と"選び取る"ではまるで異なります。

それはややもすると、本人や周囲のイメージ、その後の展開さえ変えてしまうかもしれません。
"逃げる"ことをネガティヴにとらえることがあったとしても、自らの意思で生きる場所を"選んだ"人を落伍者と考える例は稀でしょうから。


この考えに勇気づけられ、自分を肯定されるような気持ちになるのは私も同じです。

私は学生時代に一度も就職活動をした経験が無く、正規の社員や職員として、どこかの会社あるいは組織で働いたこともありません。

自分がそういった環境に馴染めないのは確実でしたし、それは努力や気の持ちようでどうこうなるものではない、というレベルの話です。
私にははっきりと自覚できるある種の欠落があり、もし無理にそういった生活を試みれば、おそらく数週間も保たずに病んでしまったと思います。


「ただの社畜だし」
「誰でも出来る仕事だから」
「9時5時で会社に行ってるだけ」

時々こんな自嘲をする人に会うことがありますが、"毎日決まった時間に出社して真面目に働く"人を、私は心から尊敬します。ひとつ場所で責任を持って自らの仕事を全うするのは、偉大な能力にほかなりません。
平凡に生きることは容易ならざる栄光である
ヘルマン・ヘッセもこう書くように。

私にはどうしてもそれが不可能なため、色々な種類の小さな仕事を掛け合わせて過ごしてきたのですが、このような生活が逃避ではなく、積極的な選択によるものだと肯定的にとらえられると、内心に安心感が広がります。


実は私がこんな道を選ぶ際、ひそかな後押しになった出会いがあります。

その人は二十歳の頃に知己を得たアート・ギャラリーのオーナーで、後にも先にもお目にかかったのは一度きりです。
どう贔屓目に見ても大した財力もない私に嫌な顔ひとつせず、20世紀初頭の貴重なアンティークの装飾品や宝飾品を次々と見せては、アール・ヌーヴォーやアール・デコの作品と作家たちの裏話を教えてくれるという奇特な人でした。


その時間はあまりに楽しく、ギャラリー奥の長椅子キャナペで二時間も話し込んでいたでしょうか。
突然、その人がまじまじと私を見つめ
「失礼だけど、あんまり友達がいないでしょう」

それが図星だったのと、あまりのストレートさゆえ思わず笑ってしまいました。
「いません。誰とも話が合わなくて」
「だろうなあ。こんなじいさんといくらでも喋ってられるんだもの。みんなが好きなものを、あなたは好きじゃないでしょう」
「私が好きなものも、みんなは好きじゃありません」


その人は笑いつつ私に学生かと尋ね、こんな突拍子もないことを言い出しました。
「多分ないだろうけど、大企業に勤めたいなんて、夢にも思わない方がいいですよ。あなたみたいな人は、普通のお勤めはしない方がいい。きっと続かないだろうし、みんなみたいに、なんて考えずに、何か別のことをするのがいいでしょうね」

何か別のこと、とつぶやく私に、その人はさも重要そうに声を低めました。
「頭を使うんですよ。自分に何ができるか、よく考えて。きっと何かあるだろうから。
それが見つかったら、普通にお勤めするのと変わらないくらいのお金は、必ず稼げるようになりますからね」


自分の中で、何かがかちゃりと音を立てたような瞬間でした。当時の私の周りにそんな意見を吹き込んでくれる変わった大人はいませんでしたし、思いがけずありきたりでない可能性を示されて、道が切り替わったか、何かがはまった音だったのかもしれません。

それから、まるでその教えに従うように、自分にできることを手探りしつつやってきたわけですが、もちろんそれなりに葛藤や迷いもあります。
ただ、私は今の在りよう以外の道を選べず、幸いにも時間と共に周囲にもそれを受け入れられたため、まだ幸福なのかもしれません。


"ものは言いよう"ゆえ、事によっては人の心を救うも砕くも言葉次第だと考えると、なかなかに怖いものです。
人生相談の小学生や二十歳の頃の私が、もし自分よりはるかに経験を積んだ大人から頭ごなしに何かを決めつけられたり、叱責されていたとしたら。取り返しのつかない傷を負い、あえて不本意な苦しい道を選んでいたかもしれません。

自力では克服し難いものへの真っ向勝負を強いられるとか、逃げることへのそしりを受ける事態が私たちに起こらなかったのは幸運でした。


戦うよりも逃げることが最善策なら、迷わず決意し、できる限り早く逃げ出すことが肝心だと私は信じています。
同時に、後ろへ下がるのは敗北のためとは限らず、もっと遠くへ飛ぶための助走であるかもしれません。

ですからその小学生の男の子やかつての私、いま戦略的に撤退しようとする人たちが、誇らしく自信を持って逃げられること、やがて新天地で、再びそれぞれの冒険を始められることを願います。

逃げた者はもう一度戦える
古代ギリシアの政治家・弁論家のデモステネスの言葉を味方にしつつ。




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