名曲は25条の夢を見る
ラヴェンダー色のスリーピーススーツに濃紺のポケットチーフ。
光沢のある白縁眼鏡と綺麗に分けられた白い髪。
デューク・エリントンの有名なナンバー『Take the 'A' Train』の演奏を終えた後、その人はピアノの鍵盤から指を離し、客席に向かって話し始めました。
明るく軽妙な語り口に観客の気分もほぐれ、時にさざ波のような笑い声がホール内に広がります。
今日は自らが率いるトリオに加え最高のゲストを迎えて名曲をお贈りします、というお話の最中に登場する、ドリス・デイやソニー・ロリンズといった懐かしい名前。
「あれ…誰も知りませんか?
僕は年が年ですからね、たとえ話に出てくるのも、そのくらいの年代の人なんですよ。
ジャズの黄金時代の大スターたちですけどね」
そう微笑み、バンドマスターかつピアニストである大塚善章さんは、ご自分の年齢が89歳であることを、ごくあっさりと告げられます。
どよめきと拍手を笑って受けつつ、2月には90歳になる、先日亡くなったトニー・ベネットの96歳を超えてプレイするつもりだ、と更に客席を沸かせます。
ピアノの技量、語り口、矍鑠とした佇まいのどれをとっても素晴らしい大塚さんは、その宣言をきっと真実のものになさるだろう、という確信を抱かせます。
その日のコンサートでは、著名な賞を受けたテナーサックス奏者の西村有香里さんと、ジュリー・ロンドンばりにセクシーで優雅な歌声の西田あつ子さんもステージに立ちました。
私が生でジャズを聴く機会はせいぜい年に数回ですが、その度に思い出すのは『どんな名演奏を収録したレコードも目の前の生演奏には敵わない』という名言です。
それが本当だと思うのは、暗い客席に座って演奏に耳を傾けるうち、身体中が幸福感に満たされていくように感じるからです。
生まれては消える音の響きの連続の中で、別世界に引き込まれるような心地になるのです。
そして、急に現実的な話ながら、これは日本国憲法第25条1項〈文化的で最低限度の生活〉そのものだとも思います。
誰もがこんな時間を持つことは大切だと、私は強く信じるからです。
たとえば義務教育期間中に“芸術鑑賞会”で観たステージや音楽会のいくつかを今でも覚えていますし、大人になっても、せめて年一度でも、誰にもそんな機会が保障されれば良いのにと思います。
第25条は“生存権”であることがその重要性を物語っています。
まさに人はパンのみにて生きるにあらず、ということがそこに明記されているのです。
音楽、演劇、ダンス、落語、どんなエンターテイメントでも、日常を離れてその世界に浸り切り、いったん心が別のところに飛ぶことは、再び現実に戻ってからの日々を支える糧になり得ます。
素晴らしい舞台に触れる度、私はそんな確信を深めます。
けれどこの国ではとかく芸術支援にお金を出し惜しみ、そんなものをいくら手厚く保護したり、国民に文化芸術に触れる機会を与えても何の実益にもつながらない、という考えが蔓延っています。
ところが、私はこれを真っ向から否定するような記事を最近になって目にしました。
“最も自由でクリエイティブな働き方が出来る”と言われる動画配信会社ネットフリックスの、“高い専門性を持つプロ集団”たる社員の中でも、輪をかけて"優秀で特別”な人たちがいます。
技術系人材の担当者べサニー・ブロドスキーさんはそんな社員を調査し、その人たちがある一つの共通点を持つことを突き止めました。
それは、全員が音楽好きだということです。
音楽好きは右脳と左脳の切り替えが得意であり、それこそデータ分析にとって重要なスキルであると判断したブロドスキーさんは、自らのチームに新人を迎える際、音楽好きか否かを重視するようになったそうです。
音楽の精神的な効果についてはこれまでも語られてきましたが、ここへ来て実務やキャリアアップにつながる実例も生まれたのです。
しかもきっとこれはほんの一例であり、他の職種や企業で似たような調査をすれば、音楽、そして他の芸術と仕事にまつわる興味深い相関関係が、いくらでも見つかるに違いありません。
文化はお金にならず実生活では役立たない、という合理主義者の主張は崩れつつあります。
だからこそ、全ての人がそれぞれに好みの文化的な何かを享受でき、心を弾ませたり一息つける、そんな機会は必要不可欠です。
私と同じような考えを持つ政治家の偉い先生方が、予算委員会で芸術にまつわる新しい法案を提出した、政府は全国民に何らかのアート体験の機会を責任を持って保証する、などというニュースが飛び込んできたら、私はそれこそ飛び跳ねて、サラ・ヴォーンと一緒に『Jump For Joy』を歌います。
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