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あなたの身体はどれくらいの原子で出来ているか
何だか難解な物理学の本のようなタイトルですが、私はこの問いの正確な答えを知っています。
多いものから順に、私の身体は
2760000000000000000000000000個
のH(水素)原子と
1060000000000000000000000000個
の O(酸素)原子と
530000000000000000000000000個
のC(炭素)原子とで出来ています。
さらにこれから窒素、リン、カルシウム…と続くのですが、きりがないのでこのへんでやめにしておきましょう。
これは大阪・中之島の『科学館』が所蔵する〈原子体重計〉が弾き出した数字で、この体重計は“その上にたった数秒間乗るだけで各人ごとの原子の一覧表が表示される”という、きわめて面白い装置です。
それにしても、ゼロがこれほど連続すると目で見ても数値がよくはわからず、どうにかがんばって勘定すると、私の体内の水素原子の数は2760 𥝱個、酸素原子は1060 𥝱個、炭素原子は5300 垓個でした。
𥝱や垓などがまたしてもぴんと来ず、さらに詳しく調べてみると、億、兆と耳なじみのある単位に続き、次に来るのが京、その次が垓と𥝱。
ちなみに𥝱は一兆の一兆倍です。
考えているとくらくらしそうなほどですが、そのくらくらするほどの原子によって自分の身体が作られているという、これはなかなかにすごい事実です。
私の友人の内科医は、脳外科での研修中に人間の脳を手にしたことを、一種の神聖な体験であったと語っています。
人間の脳は成人で1200〜1500gほどの重さだそうですが、その中に喜怒哀楽や人生の記憶など諸々が詰まっているかと考えれば、抱え持つだけで感慨深いものがあるのも理解できます。
私は幸か不幸か本物の脳に触れる機会はなさそうですし、おそらく他の臓器についても同じです。
それでもまだ臓器ならば、特に何らかの不調の折など、その存在を感じ取ることは可能ながら、原子の場合、その存在は頭の中で想像するよりありません。
けれど私の好きな宇宙物理学者のローレンス・クラウスは、私たち一人一人の身体に満ちる原子について、こんな詩的で壮大な考えを述べています。
「あなたの身体にある原子は、すべて爆発した星々からやって来たものだ。
あなたの左手を構成する原子は、おそらく右手のものとは別の星から来たものだろう。
あなたは星層なのだ。
もし星が爆発しなければ、あなたがここに存在することもなかった」
自分が星の一部である。
それはファンタジーの世界の作りごとでなく、純然たる事実です。
それだけで深遠で感動的ですが、言葉はさらに続きます。
「炭素や窒素、酸素や鉄など、進化や生命に必要なすべての元素は、時の初めには存在せず、星の内奥で生成されたものだった。
それらがあなたの身体の一部になるには、星々が爆発してくれなければならなかった。
だから神のことは忘れてもいい。
星が命を捧げてくれたからこそ、今日あなたはここにいられるのだから」
クラウス博士の言葉に反し、私は太古の燃え尽きた星々と共に、神にも感謝の祈りを捧げたくなります。
「宇宙は、我々が好むと好まざるとにかかわらず、あるようにある」
生粋のサイエンティストで不神論者の博士は常々こう口にし、あらゆるものの起源に“何者か”が持ち出されることに眉を顰めるでしょうが、私はどうしてもその存在を思わずにいられないのです。
宇宙のどこかで起こった星の爆発。
それがきっかけとなり、死せる星の欠片によって生命を得、私たちはまたそれを繋いで行く。
こんなに美しいエピソードは、そうはないのではと感じるからです。
「人が夜空を見上げてため息をつくのは、あの場所に帰りたいと故郷を懐かしんでいるからだ」
そう書いたプラトンは全く正しかったのです。
古代ギリシャの賢人は、何の知識もなしに紛う事なき真理を見抜いていました。
これらの事実を鑑みれば、冒頭であげた無機質な数字の羅列も、全く違った意味を帯びてきそうです。
そして今夜、星空を見上げる時は、プラトンの言う特別な感情が湧いてきそうな予感がします。
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