“人は非常時に本性をあらわす”
楕円形の窓の外に見える、美しい夕空のグラデーションと、その前で機嫌良くくつろぐ毛艶のいいゴールデン・レトリーバー。
旅客機のリッチなシートは、いかにも広々として座り心地が良さそうです。
この説明だけを読むと、ああ、どこかのお金持ちが、犬連れセレブ旅を満喫中なんですね、とでもとられてしまいそうですが、さにあらず。
写真に添えられたキャンプションには〈ターキッシュ航空のはからいにより、ビジネスクラスで帰国する救助犬〉と書かれています。
トルコで先月6日に起こった震災では、直後から世界各国の救援隊が現地に入りました。
この可愛らしい顔立ちの犬もその一員で、外国から救助活動のためにやって来たのです。
そして、その仕事を終えて帰路に着く際、トルコの航空会社は、予定されていた貨物室でなく、もっと快適に過ごせる客席を救助犬と訓練士に用意しました。
未だ収まらない余震、厳しい避難生活、増え続ける一方の死亡者数など、気の休まる暇もないなかで、なお他国の動物にまで感謝と思いやりの心を向けられる。
“人は非常時に本性をあらわす”という格言があるように、この一件は、関わったトルコの人々の人間的な高潔さを深く感じさせます。
反対に、思わず期待はずれとしか言えない本性を見せてしまった、こんな例も。
いきなり日常に寄りますが、私の知人のある人が、とても上品な女性と食事に出かけた時の話です。
その女性とは知り合ってまだ間もなく、お互いに少しずつ距離を縮め、相手を知っていこうという間柄です。
食事の時間は和やかさと楽しさに満ち、彼女のたたずまいや話し方、綺麗な笑みと食事の作法にも、知人はすっかり魅了されていました。
ところが、店を出てしばらくしてから、彼女が先ほどのレストランに忘れ物をしたことに気がつきました。
とたんにひどく取り乱し、声を上げながら周囲の人を押しのけ走り去る彼女の後ろ姿を、知人は呆然と見送ったそうです。
聞きながら大笑いする私に、知人は憮然とした表情です。
「僕にはただの一言もないし、舌打ちまでしたんだよ?」
「よっぽど大事なものを忘れたのかも。誰でもそういうことってあるし、笑って流してあげればいいのでは?」
「店ではあんなに澄まして、完璧なマナーでお食事を召し上がっていらっしゃったのに?
なんか、ただもうがっかりで…」
ますますコメディのようで楽しいと思うものの、知人にとってはショックな出来事だったのでしょう。
いかにも麗しい人の品の良さの底が見え、余計に残念だった、というところでしょうか。
この話で思い出したもうひとつの逸話は、非常時の思いがけない振る舞いながら、また違った結末を迎えます。
さる大家の主人がまだ若かった時代のこと。
彼は両親から強制される作法の稽古が嫌で仕方なく、どうにかそこから逃れようと、弟を巻き込みいたずらを計画します。
弟も同じように、こんな古臭いしきたりを習得して何になるのだと、普段から面倒がっていたのです。
二人は自宅を訪れた礼法の師匠を客間に通し、長時間待たせたあげく、昼時になると机いっぱいにご馳走を並べさせます。
そして、今日はどうしても都合がつかないため、申し訳ないがお稽古はまた次回に、せめて食事だけでもお上がりください、と伝えさせて、師匠を一人にしました。
すると、師匠は大変な勢いで目の前のご馳走を食べ始め、いつも口うるさく言う作法などはお構いなしのがっつきようです。
坪庭を挟んだ向かいの部屋から、兄弟はこっそりその様子をのぞき見し、声を殺して笑い転げます。
やがて食事を終えた師匠が部屋を出た後、さぞや凄まじい食べ散らかし方をしているだろう、これをだしに、作法の稽古がいかに無意味かを両親に話してやろうと、二人は客間に向かいます。
そして、部屋に入ると、あれだけ豪快に貪り食べたにも関わらず、一切の見苦しさがない状態のテーブルを目にしました。
箸先にもほとんど汚れはなく、師匠が
「箸先五分(1・5cm)、長くて一寸(3cm)」
と口やかましく言う通りの使いようです。
二人は黙って顔を見合わせ、以後は真面目に礼法を学ぶようになった、ということです。
これはまさしく最高の例であり、なかなかこの師匠のようにはいかないものの、どのような場においても、身につけたものが自然と発露し、本性と呼べるレベルにまで到達できれば最高です。
海外の可愛らしいマナー本《ティファニーのテーブルブック》は、ユーモラスに基礎的なテーブルマナーを紹介しますが、その巻末は、こんな風に締めくくられています。
『これで作法の心得がわかったので、作法を破ることだってできます。
けれど、 作法を破るには、まず十分な心得が必要だと覚えていてください』
『何よりも自然に振る舞うことが大切です。
飾り気のないあなた自身が良いのです』
これはテーブルマナーに限らない、深い哲学であるように思えます。
いつ来るかわからないいつかに備え、芯の部分を磨いておくべきは、いつかではない今。
そんなことを考えさせられた、三つのお話でした。