宇宙が作ったシュークリーム
シュークリーム。
誰もが知るクリームたっぷりの焼き菓子で、元となるフランス語では"chou à la crème"
直訳すると"クリーム入りキャベツ"なのは、もちろんその見た目によるものです。
この国にシュークリームが伝来したのは幕末であり、1884年には一般向けに発売されていたというから、日本人とは付き合いの古いお菓子です。
そのシュークリーム作りに精を出し、人並外れた努力を続けている方と、去年の暮れにお会いしました。
その方は1987年に兵庫県西宮市で洋菓子店を開いたパティシエで、今は250名余りの社員を抱える社長でもあります。
〈卓越した技能者(現代の名工)〉や黄綬褒章も受章していらっしゃるそうですが、そんな素振りや記念のプレートなどはどこにもなく、かわりに応接室に飾られていたのは〈日本でいちばん大切にしたい会社〉審査委員会特別賞の賞状でした。
他にもおそらく数え切れないくらいの賞を受け、数々のメディア取材も経験なさっているはずながら、悪い意味での慣れや傲りはどこにもなく、社長はあくまで謙虚さと熱意を持って、お菓子作りの話をしてくださいます。
私がそこに同席していたのは友人のおかげによるもので、その年上の友人は長年放送業界に携わるプロフェッショナルです。
今から10年前、友人はテレビ番組の制作のために社長を取材し、それから変わらぬ付き合いを続けてきました。
年が変わる前に久しぶりにお店を訪ねる、良ければ一緒にと誘われれば、喜んでと返事をしないわけがありません。
以前こちらのシュークリームは食べたことがあり、その味わいは忘れがたいものでしたから。
お店は駅から続く坂の途中にあり、遠方からも訪れるお客を案内するため、何人もの交通整理の人が立っています。
休日は近隣の駐車場もいっぱいになり、長い入店待ちの列もできるため、これらの人たちが不可欠なのです。
この人たちの感じの良さからして、まずどんなお店かがわかります。皆、親切なだけでなく話好きで、責任と喜びを持って働いている様子がありありと伺えるのは、お店のどんな従業員さんたちとも同じでした。
お店に着くと私たちは瀟洒な建物の3階に案内され、応接室にて社長からケーキなど様々な焼菓子を振る舞われました。
どれもさすがの美味しさながら、やはり特筆すべきはシュークリームです。
社長がパティシエとして仕事を始めるきっかけともなったお菓子であり、17坪の小さなお店であっても、多い時は一日に2,000個を売り上げるという逸品です。
そのシュークリームは素材や作り方など、聞くほどにこだわりが満載であり、いかに全国の有名百貨店から乞われようが、この本店でしか販売はされません。
皮にもクッキー同様の香ばしい味わいを加えるために、その日の天候によって焼き具合を変える秘伝の"焼きの味付け"と、注文後に詰める特製クリーム。
社長のひそかな願いとして"買いに来た車の中ですぐに食べてほしい"というほどの繊細な作り。
ふんわりと膨らんだ頂上に真っ白な粉糖をまとったそのシュークリームの美味しさを保つには、細心の注意が必要とされるのも理解できます。
まず一口食べた友人は絶句して社長の顔を見、社長はその意味を理解してか、小さな笑みを浮かべています。
「おかげ様で、テレビで取り上げてもらって以来、ますます改良しないとという気持ちが強くなって。色々試し続けてますよ」
「いや、これ別物ですね。10年前の味もよく覚えてるけど、進化してる。皮のこの絶妙な味と食感なんて」
10年前はこうではなかったのか、と問う私に、友人は大きくうなずきます。
「あの時だって十分美味しくて特別だったけど、これは別次元すぎるっていうか」
お店を代表する看板商品でも、同じところに安住し続けてはいけないのだ、と社長は私たちに語ります。
「お客さんを喜ばせたいというのは一番だけど、難しいお客さんに負けたくないというのもあるんです。
世の中には宇宙のように深遠で凄い味覚を持つ人たちがいて、そんな人たちがうちのシュークリームを食べて、なんだこんなものとはならないような、最高の味を提供したいんです。
そのためには、こちらもどんどん味を深めていかなきゃなりません」
その気概と共に"宇宙のような"という独特の表現はいいなあ、と思っていると、社長の口から別の文脈で、また同じ単語が飛び出しました。
「このシュークリーム自体が、宇宙のようなものなんです。世の中すべてと同じ、宇宙の力でもって成立してるんですよ」
私が、はあ、とあいまいにうなずく横で、友人は笑い声を上げています。
「出た。まったく訳がわからなくなってきた」
「シュークリームの膨らみは非常にセンシティブなものなんです。もちろん素材の力もあるけれど、全ては重力と引力のせめぎあいの中で成り立っています。
その均衡が少しでも崩れればぺしゃんこですよ。
とても微妙で奇跡的なバランスで、この膨らみや空洞は最高の具合に保たれているんです。
それは、ここの窓から見える景色、立っている木や歩いている人、水の流れと同じ、宇宙的な力があるから、このお菓子も成立しているっていうことなんですよ」
社長の語る言葉に友人と私は顔を見合わせ「テンセグリティ」と小声でつぶやきます。
社長の説が"宇宙的"すぎ、どこまで理解できているかにやや不安も残るのですが、それはまさしくテンセグリティの話と解釈して間違いはないはずです。
テンセグリティを有名にしたのはアメリカが生んだ万能の天才バックミンスター・フラーで、"張力"と"完全無欠"をかけ合わせた造語"テンセグリティ"は、"圧縮力と張力の釣り合いによってバランスが安定するシステム"のことを指しています。
テンセグリティの構造をわかりやすく視覚化した不思議なモビールやモダンアートを見たことがある方もいらっしゃるかもしれませんし、アウトドアの三点スツール、自然界の幾何学パターン、DNAの螺旋などにもその原理が見られます。
私たちの身体自体もテンセグリティで成り立っており、骨(圧縮材)と筋肉(張力材)が支えているため、バランスを保っていられます。
よく耳にする体幹も、テンセグリティがあればこそです。
そう思えばシュークリームがテンセグリティの原理でもって存在し、そこに詰まった美味しさを私たちが味わえるのもまた、自然の摂理によるものということですからありがたい話です。
そんな宇宙的なシュークリームをめぐるお話や焼菓子全般へのこだわり、素晴らしい経営哲学などもお聞きして、階下の店舗での買い物も堪能したのち、夕暮れ前にはお店を後にしました。
いただいたお土産や買い周り品でいっぱいの紙袋を嬉しく眺めながら、話題になるのはやはりシュークリームについてです。
まさか、お菓子と宇宙を重ね合わせる作り手がいらっしゃるとは。
だからこそあのシュークリームは特別であり、同時に、この世界は面白いのかもしれません。
「これから先、社長とシュークリームはどんな進化を遂げていくんだろうね」
「なんせ宇宙規模だから。予測不能だね」
そんな話をしながらも、ますます加速するに違いない、宇宙的シュークリーム進化の旅を追い続けたいと思います。
一体どれほどの美味しさに到達するのか、ぜひ味わって確かめたいに決まっていますから。
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