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伸びた背筋が語るもの

相手は自分の真向かいにいて、こちらに話しているに決まっているのに、なお耳を疑うような言葉があります。

それがたとえば愛の告白、昇給のような内容ならば嬉しく、お別れ、減給のごとき内容ならば衝撃ですが、つい先日、私が友人から告げられたのは、そのどちらでもない一言でした。

「あなたには威圧感があるよね」

威圧感。これまでの人生で、誰かからこんな単語を聞かされたことは皆無です。
顔立ち、髪色、身長、服装どれをとっても、私には威圧感とは正反対の要素が揃っています。


それでは、もしや周囲に対してよほど偉そうな態度を取っているのかと、解せないまま真意を尋ねてみると、友人はあっさりと答えました。

「姿勢がいいから。
姿勢がいい人って、なんだか近寄りがたくない?あなたに初めて会った時、話しかけても相手にされないかと思った」

そんなこと、と声を上げようとする私に先んじ、今はもちろん誤解だってわかってるけどね、とフォローが入ります。


予想外のとらえられ方には驚きでしたが、それで思い出したのが、アレクサンドル・プーシキンの小説『エフゲニー・オネーギン』です。

物語の主人公オネーギンは、社交界で気ままに遊び暮らす伊達男であり、ゲームのような恋愛を好みます。そのため、自分に熱烈な愛を向ける田舎娘のタチヤーナはただうとましく、彼女を邪険に扱います。

ところが数年後、サンクトペテルブルクでグレーミン公爵夫人となった彼女に再会し、彼は息を呑むのです。

〈タチヤーナのなんという変わりよう!なんと素早く新しい地位に溶け込み、人を威圧する気品を身に着けたことか!〉


内気でろくに口もきけず、人目を避けて本に顔を埋めていた少女は、今や人々の注目と羨望の眼差しを一身に浴びる存在です。

オネーギンはタチヤーナの前にひざまずき、熱列な恋文を書き送ります。
彼女も初恋の思い出に揺れるのですが、二人にはまさにこの世の摂理ともいうべき、苦い結末が待っています。

オネーギンが震撼した彼女の変化、身に纏った品格は、社会的な地位だけでなく、その外見、とりわけ昂然と頭をもたげ、まっすぐに身体を伸ばした姿勢にもあるように思えます。


『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが演じたアン王女を思い起こしても明らかなように、巻肩で背を丸めたプリンセスなど存在しません。
それはおそらく、伸びた首筋や背中こそが、侵しがたい気品と優雅さ、威厳などを醸し出すからでしょう。

そしてそれは、優雅さや威厳と共に、近寄り難さ、ある種の防御壁の役割すら備えます。

19世紀末、英国きってのダンディとしても鳴らした作家のオスカー・ワイルドは、真の紳士ダンディと”その他大勢”である大衆とを隔てるものは、服飾品や金銭のみならず、態度や身ごなしなど品性の違いが最もだと書きました。

5本の指の全てを別々の職人が縫った特別あつらえの手袋をめるだけでは不十分で、まずその手がどのような表情を持つのか、そしていかに訓練の行き届いた仕草と動き方をするかが死活問題です。


そんな最上級のエレガンスを身に着けたダンディは、無趣味で粗野な大衆を見下し、物の数にも入れません。
それをワイルドはこんな風に描写しています。

「無礼者を罰するのに、手にしたステッキを振り上げる必要もない。完璧な姿勢と礼儀作法が、彼らを彼方に遠ざけてくれる」

ここでも重要なのは伸びた背筋で、セビル・ロウで仕立てた特注品のスーツは、誇りを持って立てられた背があってこそ、最大限にその価値を発揮するというわけです。

人々はワイルドをはじめとするそんなダンディたちに、賞賛というよりは胡乱うろんげな目を向けたでしょうし、彼らの一糸乱れぬ服装以上に、その高圧的な姿勢は反感を買ったはずです。
そこでの姿勢の良さは優れた品格よりも、己の優位性を表す、鼻持ちならない傲慢さに映ったでしょうから。


まさか西洋の伊達男たちや王侯貴族と自分を並べて考えようとも思いませんが、私が告げられた”威圧感”の大元は、このダンディたちと根本の部分で同じです。

「バレエをしてると、良くも悪くも目立つよね。普通に歩いてるだけで、気取ってるとか偉そうだって言われるしね」
私のバレエの先生も、笑い話のようにそんな話をしていましたし。

バレエ界から演技の世界に転身した女優さんも、身ごなしや姿勢を変えるのは、それを身につけるよりも困難だったと語っていました。
その人は「何をしていてもダンサーにしか見えない」との寸評を覆すため、身体つきや動き方から"ダンサーらしさ"を削ぎ、”普通"に見えるように大変な努力をしたそうです。

私は決してスタイルが良いわけではなく、その埋め合わせのように姿勢を褒めてもらえるのは幸福だと思っていましたが、そこに思わぬ副作用があったことは発見でした。


とはいえ、無理に脱力して"ゆるさ"を演出するのも今さらですし、物事には何でも良い面と悪い面があるものだ、と割り切るほかありません。
どのみち、人に与える印象の全てを自分が操作出来るはずもありませんし。

とりあえずは初対面の際、今よりもっと微笑むとか、口数を多くするなどの対策が良いでしょうか。
そうでもないと、威圧感のある近寄り難い人、という別人のような評価に、自分で笑ってしまいそうですから。



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