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黄金の時間
気がつけばもう1月半ば。松の内もとうに終わり、小正月を迎え、noteへの投稿も前回から10日以上の間が空いてしまいました。ここ数年で、これほど更新に時間がかかったことはありません。
では一体何をしていたのかと問われると、何のことはない、ただ体調を崩していたというだけです。
今でもまだ本調子には遠いにせよ、やっとスマートフォンの画面を見たり、文字を綴るのも苦痛ではなくなりました。ここに来るまでに予想以上の時間がかかり、私自身が最も驚いています。
それほどまで体調に差し障りの出る原因が何だったのかを考えるに、年始から難解な頼まれ仕事にかかりきりだったこと、氷点下で一時間以上も犬の散歩に出ていたこと、あまりきちんとした食事を取れていなかったこと、など自業自得という他はない事実が次々と浮かんできます。
体調が妙だ、と思って試しに測った体温が38.6度だった時は目を疑いましたし、それから何日間も目盛りが下がらず、果たしてどのくらい記録が更新されるものか、むしろ興味深いほどでした。
具合が悪化した初日は特に動けず、ただ横になって眠るばかりで、昼間に散々睡眠を取っているのに、夜になるとまた強烈に眠くなり、病人と囚人はいくらでも眠れる、という言葉を思い出していました。
2日目の午後からは少しは起きていられるようにもなり、本などもゆっくりとなら目を通せるようになりました。
私が思うに、こんな時の本は選択が極めて大事で、ここを間違うとまた一気に具合が悪くなります。
いくら読み応えがあろうとも、あまりに重いノンフィクションは心身が充実している時にとっておくべきですし、複雑な社会情勢を反映した推理サスペンスももっと適した時機がありそうです。美味しそうな料理やデザートが満載の本はそぐいませんし、身体論のジャンルは内容と体調が乖離しすぎています。論文は理解が浅くなりそうですし、哲学は生存の悩みの前に形而下的な苦しみが先に立ちます。
などと、こうも悪口のようなことを書き連ねると、それならどんな本なら良いのか、正解を出してもらおうかと言われそうですが、もちろんご提示できますとも。こんな時に読む本は、ずっと机の上に"積ん読"してある、鶴岡真弓さんの著書『黄金と生命』に決まっています。
金属と練金をめぐる歴史を人間及び世界各国の文化と絡めて描く名著であり、美術、考古学、文化人類学、象徴学、自然、宗教、経済、文学、神話と、扱われるテーマはあらゆるジャンルを網羅します。
また、紀元前から現代まで、ユーラシア大陸から南米大陸までを縦横無尽に駆け巡る制限なき旅ゆえに、その記録はいきおい長大にもなり得ます。黄金の装丁も美しいハードカバーで全編で500ページ近く、せっかく入手はしたものの、なかなか読み始められないままでした。
いやいや、まとまった時間の取れる時が来たら腰を据えてじっくり味わうのだ、と自分に言い聞かせて罪悪感を紛らわせてもいましたが、とうとうその約束を果たす時が来たというわけです。
この本ならば、頭を過度に疲れさせる要因も、気持ちを沈ませる暗さもなく、病床に持ち込むにはうってつけです。ほとんど動けず、他のことは何もできませんし、時間だけはたっぷりあります。内容の詰まったこんな長編は最適の一言です。
刑務所に入り、有り余る時間で平家物語を全文読破した人の話を聞いたことがありますが、やはり……と、いいかげん「病人と囚人は」はやめなさい、と突っ込みが入るでしょうか。
そういえば、中学生の頃の私の親友がわりだった本『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルも、足の怪我で動けない退屈のあまり、あの大長編を書き始めたといいます。
誰しもに訪れる可能性のある、思うに任せぬ足踏み期間も、そのようにして上手に使えるならば、決して損にはならないのかもしれません。
私も『黄金と生命』を順調に読み進み、牧歌的な古ヨーロッパ文明が、東方の草原地帯から襲来したインド=ヨーロッパ語族に呑み込まれてゆく件まで到達しました。このあたりでまだ紀元前4500年頃であり、100ページ読んでも全体のうち5分の一に達したに過ぎない、という状況ではありますが。
よく、西洋を知るにはキリスト教を知ることだ、と言われます。それはもちろん真実ながら、それだけでは片手落ちです。
もしも本当に西洋を知ろうとするなら、ケルトを知る必要が生じます。それを私はこの本の著者、鶴岡さんに教えられました。
鶴岡さんはケルト研究の世界的な第一人者であり、西洋文明の礎がキリスト教以前のケルト文化にこそあることを、他の著書でもつぶさに解き明かしておられます。
そして日本人である私がそれを学ぶことにも、大きな意味と価値があります。ケルトの森に深く分け入るごとに、西洋的価値観やその世界観の根本に、時に無意識的なレベルまで肉薄できるからです。
古い民話や神話にはその集団の"取説"的要素が多分に含まれ、その成り立ちを理解すれば、表層的なところも理解が容易になります。
好むと好まざるとに関わらず、現代社会に生きる限り、西洋基準の文化やグローバルスタンダードと無縁ではいられません。抗ってもその状況を変えられないなら、自分がどのように設計された世界に生き、そこで日々醸成される空気を吸って暮らしているのかを、根本的につかまえておきたいと思うのです。
システムに迎合するにも、その外に出ようとするにしても、です。
などと、思わず"論"のようなことを長々と述べてしまいましたが、お勉強のためでなくとも、読んでいて純粋に面白い本でもあります。込められた知識は膨大かつ他では決して出会えない内容であり、それでいて文章は流麗です。
読み切るのに骨の折れるボリュームではあったとしても、その分どれほど未知の見地に出会えるのだろうと考えると、かえって嬉しくなるほどです。
久しぶりに長い文章を書き、そろそろ頭もくらくらします。本を片手に、ベッドの中へと舞い戻るのが良さそうです。
少し元気になってくると、遅れてきた寝正月さながらに、寒い屋外の様子をもろともせず、ぬくぬくと読書に浸っていられるのは至福の極みでもあります。
とはいえ、寝付いてしまうほど体調を壊すのは、もう御免被りたいところ。休みがてら、今しばらくはゆっくりと黄金の旅を続けるつもりです。
みなさまもどうかご養生を。