視聴者の議論に後味を委ねる作品には辟易している(レビュー:『イット・カムズ・アット・ナイト』)
オススメ度:★★☆☆☆
夜やってくる“それ”の感染から逃れるため、森の中の一軒家に隠れ住むポール一家の元に、ウィルと名乗る男とその家族が、助けを求めてやって来た。ポールは“それ”の侵入を防ぐため「夜入口の赤いドアは常にロックする」というこの家のルールに従うことを条件に彼らを受け入れる。うまく回り始めたかに思えた共同生活だったが、ある夜、赤いドアが開いていたことが発覚。誰かが感染したことを疑うも、今度はポール一家の犬が何者かによる外傷を負って発見され、さらにはある人物の不可解な発言…“それ”の正体とは一体何なのか?疑心暗鬼に陥った彼らは、予想だにしない結末へと突き進んでいく―
この作品は怠慢ではないだろうか? 私はこの作品は好きではない。
「夜」「感染」「赤い扉」など、グッと来るキーワードを散りばめたあらすじに視聴前の私の期待は大いに膨らんでいた。結果として、その期待には応えてくれなかったのだけど。
この作品では、夜に現れる「それ」について、最後まで明らかにならない。皮膚疾患を伴う感染症のようであるが、ゾンビ禍や吸血鬼禍のようにも見える。どのように始まり、今がどのような状況かも分からないし、描かれない。だが、これは明らかに意図してそう作られている。
サメの出てこない『ノー・シャーク』や、
巨大怪獣の出てこない『クローバーフィールド』など、
むしろ、「出てこない」ことをウリにした作品もあるし、これもその亜種だろう。その事自体は「そういう作品」だから特に問題はない。(むしろその点を強くアピールしてくれれば変に期待しなくて良かったのだが)
問題なのは、作中の脅威を明確に描かなかったことにより、人間ドラマにフォーカスを当てすぎているところだ。ゾンビ映画においては、しばしばゾンビは舞台装置に過ぎず、人間同士の葛藤や抗争がストーリーのメインとなるが、まさにそれの「完全にゾンビ出ないバージョン」である。
そして、本作では「世界がどうなっているか」を一切描かず、二つの家族の物語という極めてミニマムな世界に終始している。確かに、その小さな世界におけるドラマ自体にはパワーがあった。
主人公のポールは危機的状況にあって家族を守るために最善を尽くす男であり、用心深さと高い合理性、そしてコミュニケーション能力を持っている。「登場人物がバカ」の対極に位置するような男であり、カタストロフィ後の世界を生きるにはこのくらいの用心深さが必要なのだろうと思わされる。そんな懸命に生きている男の、懸命であるがゆえの悲劇……といった作品が本作だ。
まあ、やりたいことは分かる。確かに、その部分のドラマ性は強かった。しかし、
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