雑記:タコツボ表現社会
概要:我が国における表現規制問題は一進一退の状況にある。だが、仮に表現規制が進み、現在のコンテンツ環境が致命的に破壊されたとしても、(多くの事業者が大打撃を受けるだろうが)人々の表現欲が潰えることはなく、むしろコンテンツを巡る体験の質は向上する可能性がある。
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埼玉県にて行われた民間の水着撮影会が「市民」からイチャモンを付けられた事例は、まだ記憶に新しいと思うが、今年は同じく埼玉にて、制服・浴衣撮影会に対しイチャモンが付けられていた。
また、アダルトコンテンツに関するクレカ規制も以前より問題となっている。FANBOXの表現規制の原因もカード規制にあった。
上記記事の文末には、各プラットフォームでのクレカ状況が載せられているが、悲惨の一言である。
一方で、埼玉県の制服・浴衣撮影会については市側がイチャモンを跳ね除けたし(当たり前だ)、カード規制に関しても山田太郎議員がVISA側から言質を引き出すなど、一定の明るい兆しも見えている。
われわれは表現を規制したい側からの様々な攻撃を受け続けており、それに対して、一進一退の攻防を繰り広げているのが現状である。
ただ、私はふと思うこともある。表現規制の状況がかなり悪化したとしても、未来は意外とそれほど暗くないのではないか……という想像だ。むろん、これはあくまで想像であり、現実にどうなるかはなってみないと分からない。
なので、やはりまずは現状を死守すべきというのは間違いない。だが、仮に現状が破綻してもそれほど悲観すべきではない……かもしれない、という話をしてみたい。状況が変わったなら変わったなりに、われわれにはそれに応じた生き方があるということだ。
逆を言えば、表現を規制したい側がある程度の成功を収めようと、人類の表現欲求はその程度で潰えることなどなく、むしろよりディープになる可能性がある。私はその可能性を夢想しているのだ。
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さて、表現規制と言っても様々なマターがあるが、今回はエロ、それもニッチなフェチ方面の話に絞って考えてみよう。そもそも現状はあまり良い状況とは言えない。おかしな連中がどんどん寄ってくるからだ。
これなどが典型だが、そのジャンルの人達が相応に安全に気を遣って、楽しく平和にワイワイやっていることでも、傍から見ればこのような評価がされてしまう。人間は自分に関係がないことにはいくらでも冷徹になれるので、中の人たちの思いなど知ったことではない。そして、ニッチなジャンルは多くの人からは理解も共感もされないので(だからニッチなのだ)、こういった攻撃には「常識的な人々」が加勢し、一定の勢いを得てしまう。
現状で攻撃されていないコンテンツも、今後どうなるかは全く分からない。単に発見されていないだけ、というのが実情だろう。こういった「招かれざる外部者」に、われわれの土地を踏み荒らさせないよう、瀬戸際で防衛する必要がある。
つまるところ、身も蓋もない言い方となるが、表現規制を防ぐために最も有効なのは、
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