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【#2 不二崎遥】異世界殺戮課外授業~死霊術で優勝って無茶ですよ!!?~
二、不二崎悠
いかな剣道部のインハイ出場者とは言え、これまで竹刀しか振るったことのない少女が、いきなり真剣で人を斬れるものだろうか?
斬ったのである。斬れたのである。少女の凝縮された殺意が弾けるように溢れた瞬間、抜き打ちに斬りつけた山本の刃は過たず女神の素っ首を斬り落としていた。
女がもたらした状況がいかに異常であろうと、その言動がいかに不穏であろうと、ここで人の首を斬り落とす判断は尋常ではない。実家が古流剣術の道場だという山本葉子は、果たして日常をどのような覚悟で生きているのだろうか。この時の心境を本人に聞いてみたいと思った生徒も多いことだろう。
目の前で起きたこの状況には、誰もが言葉を失っていた。不二崎も朝ヶ谷も学修宿も、阿山田、吉良、そして財善ですらも。今この瞬間、ここで立て続けに発生した莫大な情報量を即座に処理し得たものは誰もいなかったが、首を失った女神の体が鮮血を撒き散らしながら倒れるのと同時に、剛田が狂ったような悲鳴を上げた。
山本の頭が潰れ、上半身が腰までめり込んでいたのだ。
剣道部の少女は、袴の上から無骨な小手と肩当てだけを生やした異様な姿となって、女神の死体の後ろに崩れ落ちた。そして、その少女の上から死んだはずの女神が降りてくる。何が起こったのかは分からない。あえて形容するなら不可視の巨大な質量により山本は押し潰されたかのようだった……。
なおも不二崎は声にならなかった。だが、剛田に続いて朝ヶ谷が、屋木村が、学修宿が、薬丸九音が、その他ほとんどのクラスメイトが絶叫を上げ、あるいは声を失い、茫然自失となった。阿山田は目を丸くして震えていた。恐怖にも勝る鋭い敵愾心を瞳に乗せて女神を睨み続けていたのは、吉良陸央一人だけだった。
硬直する生徒たちの中で、財善は一人、静かに立ち上がり、後方の扉へと動こうとした。だが、その扉が勝手にガラリと開いた。そこにはカッターナイフを手にして呪詛を唱える少年――、岩清水良和(いわしみず・よしかず)。通称、ヨワシの姿があった。彼は叫んだ。
「阿山田、殺すーッ!」
*
――阿山田殺す、今日こそ殺す、絶対に殺す。
教室に絶叫が巻き起こる数分前……。ヨワシは教室の扉を前にして、奥歯をガチガチ鳴らせながらカッターナイフを握りしめていた。教室の中からは賢者だの侍だの、おかしなノリで盛り上がる連中の声が聞こえてくる。陽キャどもの盛り上がり方は不可解の極みであり、ヨワシにはとんと理解できない。何も分からない。なぜ自分が標的にされ、いじめられているのかもよく分からない。
数日ズル休みを続けている間に、阿山田たちの標的が不二崎あたりに変わっていることを彼は祈っていた。だが、昨日、阿山田からの電話で放課後に呼び出しを受けたことでヨワシは絶望した。逃げても事態は解決しない。勉強もできず、力も弱く、気も弱く、おまけに面構えも不細工極まる自分では、仮に転校しても同じことの繰り返しだろう。だから、それを思うとヨワシは絶望し――、半ば破れかぶれでカッターナイフを握り込んだ。
――阿山田殺す。絶対に殺す。お前を殺して僕も死ぬ!
死物狂い。一人一殺の精神だ。崎山だの屋木村だのは所詮は金魚の糞。あいつらは社会に出てもきっと勝手にのたれ死ぬ。本当に許せないのは……阿山田だ! もっとも性悪かつ邪悪なクズ野郎! イジメも全てあいつが扇動している。性根の腐ったクズのくせに大学の志望校判定はAだし、女子からは妙にモテるし何度かラブレターも受け取っている。マジで許せない。あのクズが社会に出る前に道連れにできるなら自分の糞みたいな人生にも多少の意味が出る。阿山田殺すべし! ヨワシは手の中のカッターナイフをぶるぶると震わせる。
絶対に殺す! しかし、彼が扉の前でそう強く念じてから既に数分が経過していた。ビビっていたのだ。いや、躊躇うだけの理性が残っていたとも言えようか。クラスメイトが刃物を持って教室に押し入り、級友を殺害したら……大事件である。ヨワシは思いを馳せる。事は自分と阿山田の問題に留まらないだろう。クラスの皆は自分の凶行に怯え、それは一生の心の傷となるはずだ。家族にもきっと迷惑をかける……。
だが、それでも彼は決意した。不退転である。意を決して雄たけびを上げ、己を鼓舞しながら力強く扉を引き開けた。
「ウオオーッ! 阿山田、殺すーッ!」
右手に握るカッターナイフをこれ見よがしに振り上げる。しかし、次の瞬間に彼は絶句し、棒立ちとなった。真っ赤に染まった血溜まりの上に首無しの女の死体と異常な形状の肉塊が転がっていたからだ。
「な、なんじゃ、こりゃァーッ!?」
ヨワシは素っ頓狂な声を上げた。教室内の皆はヨワシには一瞥もくれることなく、前だけを見て怯え続けていた。ヨワシは惑乱する。お、おかしい、刃物を持った自分が乱入したら、皆は自分に怯えて叫び出すはずだったのに。だ、誰も自分を見てもいない。なんだ、なんだこれ……。
教壇に立つ変な女が何か言い始めた。
「みなさーん、落ち着いて下さい! ハイ、叫ばない。静かに。落ち着かないと殺しまーす!」
待て……。殺す? ちょっと、何を言っているのか? いや、今から殺すのは自分であって。お前が殺すのはおかしい。この女、どうかしてるのではないか? エッ、なんで?
ヨワシは必死に考えるが、その混迷は度合いを深めるばかりだ。さっきまでの気勢もすっかり削がれてしまった。女の「殺す」という言葉を受けてクラスメイトたちは即座に押し黙ったが、相変わらず誰もヨワシのことなど見ていない。
お、おかしい……。自分は人生を棒に振って、命を捨てる覚悟で大事件を起こしに来たのに。大騒ぎどころか誰も自分を見てすらいない。待ってくれ。普通、クラスメイトが刃物を握って入ってきたらもっと大慌てするもんじゃないのか? あ、阿山田は……おい、アイツ、なんで大人しく座ったままなんだ? こっちを見もしない。僕は名指しで「殺す」と叫んだのに。普通、殺すって言われたら見るくらいしないか? ……あれ? 僕、「阿山田殺す」って言ったよな……? もしかして、言ってない? 言ったつもりになってただけ……?
自分の言動に自信が持てなくなったヨワシは、へっぴり腰のまま改めてナイフを振りかざした。
「う、うおお~。あ、阿山田、ころすぅ~。阿山田ころすぅぅ~」
弱々しい口ぶりで唱えながら、空中でカッターナイフを上下させるが、誰も見てくれない。教壇の前で女が何かを言っており、皆は顔を青くしながらそれに聞き入っている。
「う、うおぉ~うぉお~」
どんどん自信がなくなり、どんどん小声になっていく。誰も見てくれない中、教室の後ろでカッターを持って踊っていると物凄く惨めになっていく。この時間は実際には一分もなかったのだろうが、ヨワシには永遠とも思える辱めの時間が続いた。その中で、ついに一人の人物が自分を見てくれた。
吉良陸央だ。
不良生徒の吉良だ。でも、やった! とにかく気付いてくれた! よっしゃ、ここからだ! 頼むぞ、吉良。悲鳴とか上げて注目を集めてくれ。僕が危険であることを皆に伝えてくれ! ほら、カッターも握ってるぞ!
ヨワシはそう念じながら、少しだけ声を張り上げた。
「う、うおお~!」
その瞬間、頭が真っ白になるような衝撃がヨワシを襲い、彼の目の前を無数の星が飛び交った。岩のように硬い吉良の右拳がヨワシの顎先に食い込んでいた。吉良以外の誰にも気付かれぬまま、ヨワシはその場で昏倒した。
*
「えーっと! 皆さん、少し混乱されているようですので、ここからの説明は省きます。順次、職業(クラス)とマジックアイテムを付与し、付与した人から転移させていきます。転移後にも説明はありますので、ご安心下さい!」
山本が肉塊に変わってから起こったことは、不二崎には酷くうろ覚えだった。女神は混乱する生徒たちを順次、例のファンタジーじみた衣装へと変えていった。そして、一人ずつ、消していく。本当に消えていく。目の前で人が消えるのでびっくりする。
怯えた生徒の一人が出口から逃げようとしたが、扉が開かないようだ。その生徒――、男子の青木利樹は脱走を図った罪により山本同様に潰されて死んだ。そう言えば、少し前に後ろの方から「うおお~」といった弱々しい声が聞こえた気がする。不二崎にはどうでもいいことだが。
不二崎の今の心境を占めていたのは、恐怖と同時に絶望であった。これは一体……いつ家に帰れるのだ? 異世界転移……とやらはもはや事実と認めざるを得ず、きっと免れないのだろうが、えっと、つまり、いつ家に帰れるのだ? 「殺し合ってもらう」「最後の一人になるまで」とか女神は言っていたが。ちょっと想像が付かない。今日は早く家に帰らなければならないのに。なんで、よりにもよってこんな日に……。
目の前で級友が二人死んだ事実を不二崎は未だに受け止められていなかった。他の者達が茫然自失としている代わりに、彼の心中ではなおも「早く帰りたい」という思いが渦巻いていた。いずれにせよ混乱していたのは間違いない。
阿山田が消え、吉良が消え、薬丸が消え、いつの間にか教室で気絶していたヨワシが消え、朝ヶ谷までが消えた時にも、不二崎はまだ呆然として帰宅のことばかりを考えていた。そんな時だった。背後から彼の名を呼ぶ囁き声を聞いたのは。
「不二崎、いいか、そのまま。振り返らず、俺の言葉を聞いて、覚えてくれ」
声だけで分かった。財善摩利也だ。いま彼らの目の前では、ガタガタと怯える雛森弥生(ひなもり・やよい)が洒落た職人着のような姿へと変えられていた。雛森を含めて、教室には既に自分たち三人しか残っていない。
「転移したら、すぐに俺を探すんだ。俺もお前を探す。他の誰も信じるな。接触も相談も危険だ。まず俺を探すんだ。いいな?」
それだけを言い残して、女神に名前を呼ばれた財善は前に進んだ。彼は中東の人たちが着るような白くてふんわりした衣装に変えられていた。他の面々のファンタジーめいた格好に比べると随分と地味だ。女神はCommonだと言っていたから、たぶん強い職業ではないのだろう。
そして、財善摩利也も消えた。教室に残るのが女神と三つの死体と自分だけになってから、いよいよ不二崎遥の名前が呼ばれた。
*
彼の目の前に広がるのは荒涼とした大地だった。しかも、暑い。猛烈に、という訳ではないが地味に暑い。汗がじっとりと溢れてくる。不快な湿度の高さが伴っている。
不二崎悠はその場で辺りをぐるりと見渡し、軽く絶望した。何もない。サボテンのように見える植物がまばらに生えている他は、岩と砂しか見えない。人もいなければ水場の類も一切ない。
女神は「殺し合え」と言っていたが、そもそもクラスメイトがどこにいるのかも分からない。この転移先の異世界がどのくらいの規模の広さかも分からない。だから、いつ会えるのかも分からない。というか、このままだと死ぬ。流石にこの世界にも村だの町だのあるとは思うが、何とかそこに辿り着かないと飢えと乾きで死ぬだろう。しかし、村や町がどこにあるのか、もちろん分からない。
持ち物に地図の類はなかった。というか、マジックアイテムとして渡された杖しかない。女神は「混沌の柘榴(ザクロ)」と呼んでいたこの杖だが、その効果はこの状況を打開できるものではない。むしろ下手に使うと直ちに死ぬ。
不二崎はいきなりノーヒントでのギャンブルを強いられることになった。三六〇度、どこを見ても似たり寄ったりの景色の中、いずれかの方向を選び、直進せねばならない。それで体力が尽きるまでに村や町に辿り着けなければ、何もできないうちに死ぬ。女神は説明をすると言っていたが追加説明が始まる気配もない。忘れているのか?
仕方なく不二崎は勘だけで歩き始めた。日が暮れ、夜になり、今度は寒気が強くなった。女神は不二崎の職業(クラス)を「レアリティSR」「超レアです!」と言って興奮していたが、彼が身に着けている黒ローブはボロボロで防寒性能はまるで期待できない。ふと手袋を外して自分の手を見て、不二崎はギョッとなった。黒く変色しており皮膚はカサカサに乾いて鰹節のようだった。
夜通しで歩き続け、再び太陽(?)が天高く上り、にもかかわらず酷い寒気に全身が震え、乾きにも耐え切れなくなった頃、不二崎は幸運にも小さな村を見つけた。入り口では門衛らしき若者が彼を見てギョッとしていたが、朦朧していた不二崎は、それを気にする余裕もなく村へと入った。
村の中はまるで中世ヨーロッパのような前時代的な様相だ。しばらく進むと食堂らしきものを見つけた。現地通貨などもちろん一銭も持っていないが、もはやそんなことは言ってられない。命が懸かってるのだ。言葉も通じないかもしれないが、とにかく身振り手振りでも、何とかお願いして、水の一杯でも恵んで貰わなければならない。不二崎が倒れ込むように席に着くと、店のおやじがぎこちない笑みを見せながら近付いてきた。
「お、お客さん……旅の方のようだね。ご注文は……?」
良かった、言葉が通じる! 不二崎は掠れる声で必死に、手持ちがないこと、残飯でもなんでも良いから水と食料を恵んで欲しいと頼み込んだ。店のおやじはチラチラと横目で何かを気にしながらも、不二崎の頼みを受け容れた。
助かった。ひとまず、これで生き延びられる……。不二崎がホッと一息付いていると、まず水が、それと、残飯というにはしっかりしたパンとスープが運ばれてきた。おやじの親切に厚く感謝しながら水を一気飲みし、パンを頬張った不二崎だが、少しだけ腹が膨れたことで、ここで彼はようやく店の外の異変に気付いた。店を囲むように兵士が集まっている。手に手に棍棒や刺股を持っている。さらに村の男達が拳大の石を握りしめながら兵士に合流している……。
不二崎はパンとスープを慌てて飲み込みながら、おやじの様子を伺った。おやじはカウンターでぎこちない笑みを浮かべたまま、しきりに店の外に視線を送り、外の者たちとハンドサインでやり取りしている。店内にいた他の客はいつの間にか消えていた。食べかけや、手つかずの食事が机の上に置き去りとなっている。
不二崎は視線を巡らせ、必死に"青黒いもの"を探した。ここに辿り着くまで丸一日歩き続けた中でも、彼は"青黒いもの"を何度か目にしたが、しかし、それを見るたびに絶望に打ちのめされてきた。だが、とにかく今はこれを――、この能力を利活用しなければ生き抜けない!
食堂の扉が開き、刺股を持った兵士がワッと雪崩込んできた。同時に、机の上に放置されていた豚の丸焼きが、むくりと起き上がった。兵士たちはギョッとしたようだ。不二崎の目には青黒い炎を帯びて見える豚の丸焼きが、兵士たちへと向かって走り出した!
「わッ!」
彼らが怯んだ瞬間に不二崎は窓から飛び出した。そこにも村の男達がいたが、不二崎に怯えて腰を抜かしたようだ。不二崎はふらつきながらも、すぐに立ち上がって駆け出した。彼の背後から、投石と共に男たちの罵声が飛んできた。
「逃がすな! 呪われし死霊術師(ネクロマンサー)だ!」
飛来した石が不二崎の背骨を撃ち、彼は「ウッ」と悲鳴を上げたが、堪えて走り続けた。走りながら――、彼は女神の言葉を思い出していた。
「死霊術師は超レア職業です! ……が、強いわけではありません。単にレアなだけです。性能もピーキーなので頑張らないとCommonの職業にもあっさり殺されますよ? 特に序盤は本当に大変なので頑張って下さいね~」
大変というのがまさかこういう意味だったとは……! 村に立ち寄っただけで迫害され殺されかけるなどハードモードにも程がある。先程、豚の丸焼きが動いたのは死霊魔術「リアニメイト」。死霊術師たる不二崎が初期習得している唯一の魔法であり、対象となる死体は不二崎の目には青黒い炎をまとって見える。
不二崎は己の職業が死霊術師であることに、この一日、愕然としていた。それは、ここに至る道中、青黒く輝く死体……つまり操作可能な死体を小虫しか発見できなかったためだ。何度か試した。ゴキブリに似た昆虫やミミズに似た生き物の死体がチョロチョロと動いた。アホか! こんなもので戦えるか!!
必死に逃げ走る彼の脳内に無機質な声が響いた。
「レベル2に上がりました。スキルポイントを1獲得します」
なんだ? 一体何があった?? デタラメに走らせた豚が運良く兵士でも傷付けたのか? 困惑するが、ともあれ、その瞬間、不二崎の脳内には死霊魔術のリストが一斉展開されていた。多くは霞がかっていて理解できないが、認識できるスキルだけでも複数ある。しかし、そんなものを今、熟慮・選別する余裕などない。不二崎のこめかみを投石が掠めた!
「げえっ!」
不二崎は唸った。村と外の世界を隔てる門扉に兵士が詰めて通せんぼしている! だが、後ろからは容赦なく兵士と村の男が迫る。進退窮まった不二崎は手にした杖を――、「混沌の柘榴」を門扉に向けて念じた。
門扉の付近の大地がボコリと隆起した。異変に気付いた兵士たちが慌てて後ずさるも、隆起はそのまま巨大な人の形を為して一人の兵士の足首を捕まえ、力任せに地面に叩きつけた。ゴーレムだ。「混沌の柘榴」の魔法効果はモンスターランダム召喚である。
門扉周辺はパニックに陥り、外界へ通じる道がひらけた。だが、ゴーレムは不二崎にとっても危険である。「混沌の柘榴」の効果はあくまでもモンスターを放つだけだ。彼に支配権があるわけではない。あんなものに殴られたらゴミのように死ぬ。
「な、なんだ! 化け物……ゴーレムが、急に!」
「し、死霊術師だ! 呪われた死霊術師のせいだ!」
兵士や村人が怯えながら叫ぶ。実際に不二崎のせいであり、誤解でもなんでもない。
ゴーレムの足下付近では、勇敢な兵士が叩きつけられた仲間を命懸けで救出していた。
「おい、大丈夫か、しっかりしろ!」
兵士が危険地帯から彼を引きずり出すと、死んだかと思った仲間が存外元気に起き上がったので、この兵士はきっとホッとしたことだろう。だが、次の瞬間には、兵士はその仲間に首筋を噛み付かれ、激しく血を噴き出していた。たった今、手に入れたばかりの不二崎の死霊魔法「クリエイト・アンデッド」によるものである。
ゴーレムの残存時間は不二崎にも分からない。とにかく、少しでも混乱を増やして逃げる時間を稼がねばならない。村に化け物を放ち、死体を起き上がらせて襲わせた不二崎は、名実ともに「呪われし死霊術師」そのものであるが、彼も必死なので仕方がない。
暴れ狂うゴーレムの傍らを決死の思いで走り抜け、怨嗟と悲鳴に満ちた村人たちの絶叫を背後に受けながら、不二崎は逃げた。逃げて、逃げて、逃げ続けた。その先にオアシスを見つけた。湧いていたのは濁った水だったが、不二崎は構わず水面に顔を付けて、臭い水を喉を鳴らして飲んだ。そして、顔を上げた瞬間に、彼はたまらず悲鳴を上げた。
あまりにもおぞましい顔がそこにあった。
それは、水面に映る自分の顔だ。黒く変色し干からびていた。両手と同様、彼の顔も死体のように青黒く変色し、ひび割れのようなものが顔中を覆っていた。不吉で不健康で冒涜的――、生理的嫌悪感を否応なく惹起する、あまりにも不気味な貌(かお)であった。
身体を覆うローブも、改めて見ると、まるで墓の中から起き上がった死人が着用していたかのような虫喰いだらけの襤褸布で、不二崎の干からびた顔や皮膚と合わせると、ほとんど幽鬼のような出で立ちである。
自分の身体の異様な変容にショックを受け、不二崎は打ちひしがれた。村人たちは自分を「呪われし死霊術師」として迫害してきたが、この姿では無理もない。こんな奴が村に闖入してきたら、そりゃあ石を投げる。僕だって投げる。
――ムリだ……終わった!。
不二崎は諦念すら覚えかけた。まともな食料もないのに村に入っただけで殺されそうになる。自分にできることは虫を動かしたり死体をゾンビにするだけ。唯一の切り札は「混沌の柘榴」だが、これに頼っていれば遠からず自分も巻き込まれて死ぬだろう。クラスメイトとの殺し合いだの何だの以前に、その土俵にすら立てそうにない。ああ、なんでこんなことに……僕は早く家に帰りたいのに……。
だが、絶望に打ちひしがれる彼に最後の希望の光が差し込んだ。
聞き慣れた女の声が、戸惑いを含みながらも、彼の背後から投げかけられたのだ。
「不二崎……くん?」
と――。
彼が振り返った先には、凛々しくきらびやかな装束に身を包んだ少女の姿が――、女子クラス委員長、朝ヶ谷四季の姿があった。
彼女の職業(クラス)は「勇者」。レアリティはRareである。
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