
脳汁功利主義~子育てのメリットを言語化する~
SNSでこちらの記事が話題となっている。
記事では「産まない」側の女性たちの声が紹介され、最終的には「産まない」という意志に対して寄り添うものとなっている。
「結婚して出産するのが女性の人生というような流れを社会が作っているのが問題で、『産まない』と決めた女性たちが罪悪感を抱く必要は全くないと思う。産む、産まないは個人の自由で選んでいいのだということを伝えたいと思っています。産む人、産めない人、産まない人。完璧に理解はできなくても、お互いに価値観共有したり、相手の立場に立てたりできるような、そういう考えを持てるといいなと感じています」
私も一人の個人主義者、自由主義者として基本的には賛成である。個々人が自由に生き方を選べる社会であるべきだろう。だが、この記事には欠けている視点がある。それは出産・育児のメリットだ。個々人が自由に判断をするにもメリットとデメリットの比較・精査が必要だ。では、先に本稿の結論から述べておく。
「子育ては脳汁の安定供給という点からメリットが大きく、合理的に考えても十分に選択肢に入る」
■子育てのメリットを言語化する
少子化問題の解決は難しい。産休や保育所の整備、児童手当など、政府も手を打ってはいるが、歯止めをかける有効な対策とはなり得ていない。ひとえにこれらはマイナスをゼロに近付ける施策であるからだろう。
現代社会において出産は基本的にはマイナスの行為とみなされる。合理性だけで考えるなら頷かざるを得ない。自由な時間は奪われ、仕事の機会も削がれ、ままならぬ子供の扱いにストレスを募らせ、煩わしい人間関係を呼び込み、教育への出費を余儀なくされる……。そういったマイナスを政府の施策が幾分か緩和したとしても、子供を作る積極的な理由とはなりえない。
積極的な理由、つまり、出産・子育てのプラス面は個々人が自分で見つけ出すしかない。「女の幸せは結婚と出産」といった言説がほとんどタブー視されている現在、われわれは「なぜ子育てが幸せに繋がるのか?」を真剣に考え、言語化する必要に迫られている。女性だけではなく、もちろん男性もだ。
だが、ここで問題となるのは、子育ての「幸せ」は概ね主観的なものとなり、他者に対して十分な説得力を持たないことだ。「赤ちゃんがかわいい」などはその最たるもので、「かわいい」という個人の情動が十分に伝わるはずもない。子育てのデメリットは簡単に言語化できるのに、メリットは説得的に言語化できないという問題がある。
そこで本稿は、子育てにおけるメリット・プラス面を「脳汁」の観点から説得的に論述しようと試みる。これまで合理性の面ではマイナス面しか目立たなかった子育てを、「脳汁」――つまり快楽の定期供給という観点から合理的に肯定しようとする試論だ。
「子育ては子供のためであって、親が満足感を得るためのものではない!」という信念をお持ちの方には全くもって不向きな内容なので、ここで引き返して頂くのが良かろう。タイトルにある通り、本稿は自己功利主義の立場からの説得である。あくまで「親がどう幸せになるか」という点にのみフォーカスし、それ以外の倫理的問題は度外視する。
なお、本稿はなんら量的調査に基づいたものではなく、個人の主観に基づく論であることは断っておく。何らかの科学的な実験により、本稿の内容を量的調査でも裏付けられるかもしれないが、ひとまずはエッセイの範囲と考えて頂きたい。また、脳汁(脳内物質)にはドーパミン、セロトニン、オキシトシンなど複数あるが、ここではまとめて「脳汁」とさせて頂く。
■創作における脳汁
私は作家であり一児の父である。そして、私は以前までQOLの観点から「創作」の有用性を強く勧めていた。創作は自己肯定感の確保に繋がり「脳汁」を出せるからだ。
創作活動は明らかに自己肯定感を高める。言い方を変えるなら「主人公になれる」。何を作るかを自分で考え、自分で必要な手段を確保し、理想を実現するため自分で練磨し、自分で試行錯誤し、自分の望むものを作り上げる。さらに結果として、他者から認められ金銭収入にまで繋がればベストである(金銭収入は具体性を伴う「承認」と言える)。
ジャンプで掲載されていたゲーム制作まんが『白卓』に、それを端的に示すシーンがある。



主人公が、自分の制作したゲームをクラスメイトにプレイしてもらい、承認欲求が強く満たされるシーンである。
私も作家として、このような状況には何度も遭遇している。まんがの演出上、上の画像は誇張表現ではあろうが、私もこのような脳汁が溢れ出す体験を何度もしている。このような機会が度々あることは人生の幸福度を底上げする。だから、私は創作活動を強く推していた。しかし、だ……。
私は気付いてしまったのだ。
「子育てしてると、この脳汁、しょっちゅう出るぞ……」
と――。
■創作と子育ての共通項
体感的には週に2~3回くらい出る。大掛かりな作品を作る必要もなく、技術的な練磨も不要で、とにかく、やってれば出る。脳汁分泌量の総量で言えば、ハッキリ言って社会的成功とか全くメではない。私も一応ベストセラー作家の端くれではあるが、必死に作り上げた作品が成功した時に出る脳汁と、同程度の強度の快楽が頻繁に訪れるのだ。かなりキマれる。
こういう実感があると、「女の幸せは結婚と出産」というカビの生えた価値観にも意外と頷けてしまう。脚光を浴びるような社会的成功には努力も運も必要であり、そこに至れる人は一握りであろう。しかし、かつては誰もがやっていた「出産・育児」で同程度の脳汁を出せるなら……そちらの方が明らかに「イージーモード」である。
しかし、なぜこれほどの脳汁が出るのか。考えてみると、創作と子育ての共通項の多さに気付かされる。『白卓』の上記引用画像では、作品完成後、そのゲームが遊ばれ、評価された瞬間の承認欲求の充足にフォーカスしているが、実際は、創作は制作過程においても脳汁が出ている。
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