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雑記:家父長制とは何なのか
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こちらのポストが少し話題になっていた。
これはパッと見は異様な言説に思われるかもしれない。家父長制の辞書的な意味合いを考えれば、この言説が成り立つとはとても思えないだろう。
だが、これはMakimura氏個人の認識が異様なわけではない。これはフェミニズム思想全体に関する問題なのだ。「死人が蘇る」という認識は異様ではあるが、キリスト教ではそれが受け入れられているのと同じである。
家父長制は、その外郭が非常に掴みづらい概念であるが、私の中である程度、考えがまとまったので、現時点での私の私見を残しておく。まだ途中段階であることは自覚しており、読者による指摘は歓迎する。
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今回の種本となるのは、
ケイト・ミレット『性の政治学』である。
さて、結論から言うと、フェミニズムの文脈で言われる「家父長制」は辞書的な意味での家父長制とは異なる。
> 父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。また、このような原理に基づく社会の支配形態。(デジタル大辞泉より)
↑これではない。実際、『性の政治学』においては「家父長制」ではなく「父権制」という訳語が用いられている。日本語の示す「家父長制」と、言語のpatriarchyでは指し示す概念が異なるようで、あえて「家父長制」というタームを避けたのだろう。この辺りの前提の違いにより、議論が食い違ってしまうのだ。
では、家父長制あらため父権制は何なのか、というと、
> 性による支配はわれわれの文化のおそらくもっともいきわたったイデオロギーとして通用し、またわれわれの文化のもっとも基本的な権力概念を与えている。
> これというのも、われわれの社会が、他のあらゆる歴史上の文明と同じく、父権制だからである。軍隊、産業、テクノロジー、大学、科学、行政官庁、経済ーー要するに、社会の中のあらゆる権力の通路は、警察の強制的暴力まで含めて、すべて男性の手中にあることを想い起こせば、この事実はただちに明らかになる」
社会の様々なものが男性の手中にある状況を、ミレットは父権制としているわけだ。社会が主に男性の主導によって作られてきたと仮定すれば、つまるところ、現在の社会的な事柄の全てが父権制と言えるだろう。
敷衍すれば次のように言える。
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