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【#1 山本葉子】異世界殺戮課外授業~死霊術で優勝って無茶ですよ!!?~
一、山本葉子
「それでは文化祭の出し物を決めたいと思います」
男子クラス委員長、不二崎悠(ふじさき・はるか)は逸る気持ちを押し殺しながら、居並ぶクラスの面々を見ていた。彼の心中を支配する想いはただ一つ。
――早く帰りたい。
それだけである。
この想いを同じくする者は決して彼一人ではないだろう。だが、志木城高校二年B組三十八名(内一名欠席)の面々を見渡す不二崎は苛立ちを覚えずにはいられない。
誰一人やる気がないのである。
「えっと…意見のある人は挙手して下さい」
おどおどとした声音で呼びかける。当然、誰一人反応がない。
代わりに前方の席からごく小さな舌打ちが漏れた。学修宿マナブ(がくしゅうじゅく・まなぶ)だ。苛立ちが面構えから滲み出ている彼は、分厚い眼鏡に坊っちゃん刈りというステロタイプな出で立ちのガリ勉で、実際、成績は学年一位。放課後は塾の難関校コースで揉まれているようなので、彼としてはこんなことにかかずらわっていられないのだろう。
他にも焦りと苛立ちが隠せていないのが、中程の席に座る体格の良い男子、剛田健(ごうだ・たけし)だ。柔道部で地区予選ベスト8の成績を残している。不二崎からすれば別世界に生きている人種なのだが、その立派な成績にもかかわらず剛田は常に余裕を欠いており、いつも何かに急き立てられている。スポーツマンにはスポーツマンの悩みがあるのだろう、とは思うが、今の不二崎には知ったことではない。
その剛田の前に座る野牛十衛(やぎゅう・じゅうえい)は野球部のエースでピッチャー。野球部も地区予選ベスト16の成績を出している。野牛はよく言えば寡黙、悪く言えば反応の薄い人間で、何を考えているのかよく分からない。剛田の隣に座る女子剣道部主将の山本葉子も加えて、剛田、野牛、山本の三人は小学生の頃からの付き合いらしい。
最前列に座る女子、田倉むうはずっとスマホをいじり続けていた。前を見てもいないし、不二崎の言葉も何一つ聞いていないだろう。彼女はインフルエンサーに憧れていて、動画共有サイトや写真投稿SNSに必死にポストし続けているが、芳しい成果はまるで出せていない。今も今夜に投稿すべき動画の編集に追われているようだが、それなら文化祭を投稿ネタにするために、魅力的な企画案の一つでも出せばいいのに……と不二崎は思う。それすらできないからこそ、今の彼女の体たらくなのだが。
この放課後クラス会議をまるで馬鹿の群れを見るような目で見ているのは、最後列に座るお嬢様、城ヶ峰百合香(じょうがみね・ゆりか)だ。その人品は驚く程に劣悪であり、クラスメイトのことを当然のように「貧乏人ども」と呼び、心の底から蔑んでいる。実家にどれだけの金があれば、これほどに性根を歪ませながらすくすく育つことができるのか。クラスメイトの多くは彼女のことを陰で「汚い金持ち」と呼んでいる。
そして、転校生の服部菜心(はっとり・なこ)はクラス会議にまるで興味がなさそうに、手元の小難しい本を読み続けていた。
その他の面々の態度はまちまちだが、とにかく建設的議論を行おうとする雰囲気は微塵もない。ただし、その中でただ一人、真面目に企画を考えて机で静かに唸っていた少女がいたが、不二崎はその彼女には気付かなかった。
だが、彼らに苛立つ不二崎にも矛盾がある。彼自身もまた何らの提案も行っていないのだ。誰かが何らかの案を出したら、それを早急に取りまとめて、早く結論を出し、早く家に帰りたい。その気持ちだけが逸っていた。
「はァい……」
教師不在の静まり返った教室の中で、不意に手が上がった。手の動きと声音に可能な限りのやる気の無さを含ませた、議論を馬鹿にするためだけに発言権を求めた男の名は――、屋木村人職(やぎむら・ひとしき)。高校二年生にもなって勉強も部活もせず、未だにいじめに精を出しているクソ野郎である。
「女子全員でスク水喫茶とかど~ぉ~?」
その屋木村が、予想を上回りも下回りもしない下劣かつ面白味のない提案をしてクラスに冷めた空気が広がっていく。ところで、彼は就職とか進学とかどうする気なのだろうか。就職面接で「高校時代はいじめを頑張りました」とでも言うつもりなのだろうか? 不二崎は時折、不思議な気持ちになる。まあ、どうでもいいことだけれど。
「屋木村くん、真面目に提案して下さい」
「ギャハハ、冗談だよ、委員長ォ~」
不二崎の隣で教壇に立つ女子クラス委員長、朝ヶ谷四季(あさがや・しき)がピシャリと言ったが、屋木村はいつもの軽薄極まる態度で受け流す。数人の女子から「キモ~」などと言った小声の非難が投げかけられたが、屋木村にはどこ吹く風といった様子だ。
ともかく、こんな有様では話が進まない。
「み、みんな……!」
冷めきった雰囲気に気圧されながらも、不二崎は勇気を振り絞って切り出した。彼は早く家に帰りたくて仕方がないのだ。
「真面目にやろう! 早く終わらせて…早く帰ろう!」
普段なら不二崎はそんなことを率先して言うような人間では全くない。事情がなければ、クラス委員長でなければ、椅子に座ったまま一言も発さずクラス会議が無難な結論に落ち着くのをぼんやりと待つだけの無気力な少年である。これだけを述べるのにも、崖から飛び降りる程の蛮勇が必要だったのだが、
「……ァ? 聞き捨てなんねーな、委員長」
返ってきたのは賛同ではなく、待ってましたとばかりに揚げ足を取りに来た、そう、この男である。阿山田享(あやまだ・とおる)。クズである。
「やる気ねェーのか、委員長!」
阿山田に合わせて声を上げたのは崎山和男(ざきやま・かずお)。これもクズだ。
この阿山田に崎山、屋木村を加えた三人が二年B組のいじめグループだ。不二崎は幸いにもその対象とはなっていないけれど、正直、スレスレではある。主ないじめの対象である岩清水が欠席している今、いじりの矛先が己に向きかねない、危うい立場にあった。
「高二の文化祭は一度きりだぜ。早く帰りてえから決めるモンじゃねーだろ」
と、阿山田は「それっぽい」ことを言う。下劣で頭の悪い屋木村や金魚のフンの崎山は、クラスの皆から馬鹿にされているが、阿山田は違う。彼は自分が悪人になりそうな展開は巧みに回避する。
「それによ、委員長サンは決まった後も先生に報告とか色々あんだろ?」
「どのみち早くは帰れねーぞ」
不二崎の心情をどこまで見透かしているのか、阿山田と崎山がニヤついた笑みを浮かべる。「そうだよ! だからこそ、早く会議も終わらせたいのに!」と、不二崎の焦燥が募っていく……。
そもそも不二崎がクラス委員長を拝命する事になったのも、この阿山田たちのせいなのだ。このような面倒な役職、当然ながら誰一人として立候補者が出ない中、阿山田が突然、「不二崎くんが適任だと思いまーす」などと言い出して、他の男子たちも同調した。不二崎が必死に辞退の言い訳を考えているうちに押し切られてしまったのだ。
阿山田はそれきり何も言わずにニヤニヤしているが、崎山や屋木村などは、阿山田が作り出した「不二崎がやる気がない」という流れに乗っかって、わいのわいのと騒ぎ始める。訳の分からない言いがかりが続く中、不二崎の苛立ちがなおさら募る。とにかく話を進めてくれ、僕は早く家に帰りたいんだ!
と、その時――、
「やめてください」
鈴が鳴るような凛とした声が響き、クラスが一瞬、しんと静まり返った。その声の主は……不二崎の隣に立つ朝ヶ谷四季だ。
「それは言い掛かりです。不二崎くんは間違ってません」
不二崎は救い主を見るように女子クラス委員長の姿を見つめた。
「誰にでもそれぞれの用事と事情があります。真剣に文化祭を楽しむことと、物事を早く進めることは両立できます。早く議論がまとまれば、それだけ準備にも時間を割けます」
理路整然と述べる朝ヶ谷には誰も反論できない。不二崎は憧れと羨望の混じった眼差しを彼女に向ける。成績優秀、スポーツ万能、人望も厚い朝ヶ谷は、不二崎と違って押し付けられたのではなく、皆から請われてクラス委員長へと就任したのだ。
「大丈夫、不二崎くん?」
朝ヶ谷が小声で不二崎を気遣う。おまけに優しい! 押し付けられて大迷惑を被ったクラス委員長だが、唯一、朝ヶ谷と一緒だったことだけは嬉しかった。放課後に残って二人でクラス委員長の雑務をこなすのも、場合によっては甘酸っぱい青春の記憶となったのかもしれない。ただ、今日ばかりは、とにかく早く家に帰りたかったのだが……。
阿山田がスッと手を挙げた。
「委員長、すまん。俺が間違ってた。じゃあ、真面目に提案なんだが、展示企画はどうかな?」
その変り身の素早さに不二崎は感心してしまう。崎山と屋木村は梯子を外されて、「ほへ?」と困惑しているが、阿山田はいつまでも泥舟に乗り続けるような間抜けな男ではない。
「展示なら準備を頑張れば当日体が空くし、その準備も各自の事情に合わせて融通が効くだろ?」
教室からオオーッと賛同の声と拍手が上がった。先の朝ヶ谷の言葉を踏まえた巧みな切り返しだ。もちろん、皆、展示企画などという何の捻りもない企画案を心から激賞したい訳ではない。不二崎のような人間に準備を頑張らせれば楽だという打算が働いただけである。理路を通し、周りの称賛も受けながら、不二崎のような弱者にきっちり負担をおっかぶさせる。崎山や屋木村のような二流、三流のいじめとは一線を画す、洗練された匠のいじめである。
その腐った内心が薄々透けて見えようとも、ここまで形式を整えられては朝ヶ谷と言えど、反論はできない。
「わ、分かりました。では、展示なら次はテーマを決め」
「悪ィが」
その時、朝ヶ谷の司会をブッた切って、教室の後ろで唐突にふたりの人影が立ち上がった。不二崎は「あぁ……」と嘆息して天を仰いだ。人影の一人が堂々と宣言した。
「悪ィが、先に帰るぜ。忙しいんでな」
最悪だ……これでまた話がとっ散らかる……。不二崎はもう涙目だ。
発言の主はクラス随一の不良、吉良陸央(きら・りくお)と、その彼女、麻倉楓(あさくら・かえで)だ。吉良は見事なリーゼントヘアに短ラン・ボンタンという由緒正しい出で立ちの不良で、麻倉は金髪の長髪に七色のメッシュを入れて耳と鼻と口とまぶたに無数のピアスを穿っている。その上、恐ろしくスカートが短く、今にもパンツが見えそうだが、もし何らかの弾みでパンツを目撃しようものならどのような言い掛かりを付けられるか分からず、大変に恐ろしい。
ともあれ、吉良の言い分は言語道断だ。だから、不二崎は、
「何を勝手なこと言ってるんだ! 僕だって早く帰りたいんだぞ!」
反射的にそう叫んでいた。心の中で。実際に口にする勇気はなかったので。彼は代弁を期待するかのように隣の女子クラス委員長をちらりと見た。
「吉良くん、麻倉さん、席に戻って下さい」
朝ヶ谷が静かに淡々と言った。流石だ! 不二崎は心の中でガッツポーズをした。
「そんな勝手なことが許されるわけ……」
「委員長」
吉良がギラリと凄んだ。
「俺は"忙しい"と言ったはずだが」
苛立ちを滲ませた低い声でメンチを切った。
途端に教室内の空気がピリッと張り詰め、重苦しい淀みのようなものが生徒たちに被さった。阿山田は君子危うきに近寄らずで距離を置き、馬鹿で軽薄な屋木村でさえ押し黙った。剛田、野牛、山本の運動部エース三人衆も口を開かない。最もショックが大きかったのは、凄まれた当の本人の朝ヶ谷で、いつも気丈な彼女が慄えて縮こまり、言葉を継げずに視線を彷徨わせている。そんな彼女を見るのは不二崎にも辛かった。
目のやり場に困った不二崎が朝ヶ谷、吉良の両名から目を逸らすと、凄まじい顔付きで不二崎を睨んでいる少女と目があった。薬丸九音(やくまる・くいん)。吉良、麻倉と同じく不良グループの一人で、いわゆる黒ギャルだ。その彼女がなぜか不二崎を睨み付けている。不二崎は慌てて彼女からも視線を逸したが、しかし、睨まれる理由が分からない。恐ろしい。
吉良は知ったことかとばかりに教室を出ていこうとする。だが、その動きが止まった。
「待てよ」
出口付近に座る男子生徒が吉良の右手首を掴んでいた。
「女子を脅すのか? カッコ悪ィな、不良」
端正な顔をクイと上げて、座ったまま吉良を見上げたのは財善摩利也(ざいぜん・まりや)だ。当然、吉良はこめかみに血管を浮かび上がらせ、恐ろしい目付きで睨み付けたが、財善は涼しい顔のままだ。しかし、その一瞬即発の雰囲気には教室中の全員が固まったし、不二崎も例外ではなかった。彼の中に財善への心配が募っていた。
実は不二崎は財善に対し、ちょっとした借り……というか、恩義……でもないが、親近感? 感謝? のようなものを抱いていたのだ。彼が阿山田たちからクラス委員長を押し付けられ愕然としていた時、足早に立ち去るクラスメイトたちの中で、財善だけは一人、自席に座ったまま、彼にこう言ったのだ。
「俺は良かったと思うぜ、不二崎、お前が委員長で……」
それだけを言って財善はクラスを後にした。
だが、その一言で、当時の不二崎がどれだけ救われた気持ちになったことか。皆から押し付けられたとばかり思っていた役職だが、少なくとも一人は本当に自分を認めてくれていたのだから。しかもそれが、クラスの誰からも一目置かれている財善摩利也なのだ。
財善は部活をしているわけでも誰かと特別に仲が良いわけでもないが、何をやっても何でもこなせてしまう。特に努力をしている素振りもないのに成績も常に上位に食い込んでいる。学校以外で彼が何をしているのか誰にも分からない、ミステリアスな一面も持つ。誰かに特別に肩入れするわけでもないが、皆が薄っすらと彼への好意を覚えている。財善への好意と無縁なのは吉良たち不良グループと城ヶ峰、それと田倉むうくらいだろうと不二崎は思っている。汚い金持ち、城ヶ峰は相手が誰であろうと等しく「貧乏人」と馬鹿にしている。田倉に至ってはSNS以外のことは何も考えていない。
そんな財善だからこそ、不二崎は柄にもなく彼のことを真剣に心配していた。確かに、このクラスで仮に吉良に伍し得る者を探すなら、剛田よりかは山本か財善だという気はする。とはいえ、吉良が暴力に訴えれば財善でも無事では済むまい。元より、自分ではなにもできない不二崎にはただ祈るしかなかった。
ーー先生、早く来てくれ。
と。担任教師は「結論がまとまった頃に来る」と言い残して早々に職員室に引っ込んでいた。あの恐ろしい吉良も流石に教師の前なら矛を収めるはずだ。たぶん。きっと。早く来てくれ、先生!
だが、次の瞬間、ガラガラと音を立てて教室前方の扉が開き、期待してそちらを見た不二崎の表情は直ちに曇った。そこに現れたのは教師とは似ても似つかぬ存在だったからだ。
「コスプレ?」
素朴な感想を最初に述べたのはクラスの女子、萬福寺かろり(まんぷくじ・かろり)だ。
萬福寺は入口からツカツカと侵入してきた謎の女性をそう評したが、同じことを思った生徒は少なくなかっただろう。白い薄絹を幾重にも重ねた奇妙な衣服をまとい、アイマスクのようなもので目隠しをした異様な出で立ちなのだ。
学園には似つかわしくない風体だが、それ以上に彼女からは得も言われぬ不気味さが漂っていた。見た目は完全に人間そのものだが、全身が「人間らしさ」を取り繕いすぎていた。不気味の谷から受ける忌避感と嫌悪感を全身で体現したような異様な存在がそこにあった。
だが、平和ボケした現代の日本人には、日常に現れた突然のイレギュラーに危機意識を覚えることすら難しい。他クラスの誰かの、文化祭にちなんだコスプレかと思ってしまう。その存在に警戒心を持てたなら、まずは及第点と言えよう。不二崎はもちろん落第していた。彼は顔をしかめつつも呑気にその存在を見つめていた。
一方で、彼の隣の朝ヶ谷は戸惑い、数歩、後ずさっていた。学修宿マナブは「不審者か?」と疑い、眉間に皺を寄せた。屋木村と崎山はボンヤリしていたが、阿山田は通報を視野に入れてスマホを取り出した。城ヶ峰は新たに貧乏人が一人増えたとしか認識しておらず、田倉むうに至ってはスマホでの動画編集に熱中したまま、今起こっている変事を認識すらしていない。
財善は吉良の手首を解放していた。彼は小さく呟いた。
「休戦だ」
「ああ」
吉良も財善も油断ならぬ視線を闖入者に向けている。
「はーい、静かに――」
白い女はパンパンと手を叩きながら、授業開始時の教師の如く振る舞い、不二崎を押しのけて壇上に上がった。その声にも巧みに作られた紛い物のような違和感があった。
「これから皆さんには異世界転移して頂きまーす」
人間は音として聞き取ることができても、意味を理解できなければ認識できない生き物である。イセカイテンイ、という言葉を理解できた者はほとんどいなかっただろう。
だが、その中で、いち早く意味を理解して喝采を上げた、意外な人物がいた。
「き、来たあぁああぁ!」
素っ頓狂な裏声で叫んだのは、いじめグループの一人、崎山和男だった。
「来た! 来た! 来た! 異世界クラス転移! ナローで見たやつ!! こんな日が来るって信じてた!」
こいつは何を言ってるんだ、というのが不二崎がまず思ったことである。不二崎も小説投稿サイトで、そういった作品をポチポチと眺めたことはある。確かに作中の人物たちは、最序盤で転移だの転生だのを素早く受け止めることが多かったのだけれど……。でも、それは話の都合というやつで……崎山は正気なのか?
「では、あなたは女神ですね!」
崎山がビシッと女に人差し指を向けた。こいつはだいぶ恥ずかしい振る舞いをしているが自覚はあるのだろうか、と不二崎は訝しむ。
ともあれ、崎山のおかげで「異世界転移」という言葉を認識したクラスの面々からは、ざわつきが起こっている。大半は崎山の振る舞いに対する揶揄・嘲笑だが、彼程ではないにせよ何らかの期待感を抱くものや、いやまさかそんな、と一瞬抱いた己の期待を自嘲する声もある。この辺りの温度差には個人差があったが、ともあれ、ここに至っても警戒視する者は少数だった。不審者がクラスに闖入し、異様な言動をしているというのに……。
「クソッ、な、何なんだよ! 俺は部活が……!」
焦燥を露わにする剛田健もその一人だ。クラス会議で足止めを食らった上に変な女が闖入してきて、クラスも妙な雰囲気になってしまった。いつ議論が再開するのか、いつ部活に行けるのか。剛田の焦りが貧乏ゆすりとなって現れるが、その彼の左膝に少女の手がスッと置かれた。
「健、切り替えろ」
女子剣道部エースの山本葉子だ。剣士は壇上の女を鋭い眼差しで見つめたまま、静かに言った。
「浮ついてたら対応できんぞ」
「お、おう……」
剛田は山本の真剣な横顔と、自分の膝に置かれた彼女の右手を交互に見ながら頬を赤らめさせている。貧乏ゆすりは止まったが、代わりに彼の鼓動が脈打っていた。
一方で、未だに言葉の意味すら把握できていない者もいて、朝ヶ谷四季もその一人だった。彼女はそういった作品に触れてこなかったのだろう。
「ね、ねえ、不二崎くん……みんな、何を言って……」
「…………」
だが、不二崎にも返す言葉がない。女神(?)が再びパンパンと手を叩き、皆の注目を集めた。
「はいはーい、お静かにー。最初は信じられなくても大丈夫でーす。これから全員にランダムで職業(クラス)とマジックアイテムを付与しまーす。その後で信じればオッケーでーす♪」
女神はいつの間にかタクトのようなものを手にしている。未だにクラスメイトの多くはキョトンとしていたが、「クラス」「マジックアイテム」などのワードに強い反応を示した男女が数人いた。崎山は感極まったのか、ガッツポーズしながら落涙している。
女神がタクトをくるくると回した。山本葉子の体が一瞬、強い光へと包まれた――。
「はい、出ました。レアリティCommon、侍でーす!」
山本の姿が本当に変じていた。大小二本を腰に携え、無骨な小手と肩当てを付けているが、他は袴姿という、ちぐはぐな格好だ。いわゆる"ファンタジー"的な侍姿だ。特筆すべき点としては彼女の胸元には勾玉がネックレスのように吊り下げられていた。これが女から付与されたマジックアイテム「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」なのだが、この時点では誰もそれを知る由はない。
クラス内に一定数いた異世界転生小説の愛読者たちは、目の前の現実を受けて、"崎山側"にコロッといってしまった。「スゲエ!」と快哉を叫ぶ声が上がり、次第に「山本さん、似合う!」などといった、のんきな評まで飛び出してくる。
他のクラスの面々はなおも戸惑いつつ、何かしらのマジックの類かと疑っている。山本本人はと言えば、その顔にはやはり驚きと警戒の色が滲んでいたが、努めて冷静に己の装備を確認している。
「続きまして! レアリティUnCommon、賢者来ました!」
学修宿マナブの姿が光に包まれローブ姿へと変化した。まさにゲームに出てくる「賢者」そのものである。当のマナブは酷く困惑している。彼は先程から、目の前のイリュージョンを先端テクノロジーによるものと考えて様々な可能性を検討していたが、実際に自分が変化したことで、その検討は全て一瞬で否定されてしまった。
「おおっと、料理人! レアリティCommonです!」
萬福寺かろりの衣装がシェフのような姿に変わる。その手には可愛らしいノートのようなものも握られていた。
「スゲェェーッ! 本物……本物だァ!」
崎山は立ち上がって小躍りを始めたが、隣に座る阿山田は真顔でスマホを握りしめたままだ。学修宿も己のローブを触りながら、必死に「解答」を探そうとしている。教壇から押しのけられた形となった不二崎と朝ヶ谷は教室の端で呆然とし続けている。
だが、クラスメイトの実際の変容を受けて、クラスの雰囲気はじょじょに変わりつつあった。崎山ほど素直に喝采を叫びはしないまでも、「もしかしたら」「本当に」という期待感を抱く者たちが増えてきたのだ。「次は俺! 俺!」などと女神に必死にアピールする者までいる。
そんな喧騒の中、不良生徒の吉良は険しい顔をして、隣に立つ恋人の麻倉楓に小さく呟いた。「俺から離れるな」と。それに加えて「薬丸を呼べ」とも。麻倉は困惑しつつも、スマホで薬丸九音に呼びかけようとしたが、そこでなぜか圏外になっていることに気付いた。
吉良の隣の財善がスッと手を上げた。「質問いいかな?」と――。
「あんたが本物だとして……俺たちに異世界で何をして欲しいんだ」
すると、財善のこの問いに、それまで気持ちを昂らせていた者たちも一瞬我に返ったようだ。「そりゃそうだ」「魔王とか倒すのか?」「よく考えたらだりぃな」「無双できるなら、まぁ」「チートスキルは?」。クラスがざわつき始めると、女神は少しだけ困ったような素振りを見せて、
「えーっと、えーと。それは後でお伝えしようと思ってたんですが、簡単に言うと」
そう前置きしてから、言った。
「皆さんには殺し合いをして頂きます」
しれっと言った。
もちろん教室はその瞬間に水を打ったように静まり返った。女神は空気など読むことなく繰り返した。
「最後の一人になるまで殺し合って頂きまーす♪」
教室中に困惑が広がっていく。さっきまで興奮していた生徒たちも冷水を浴びせられたかのように押し黙った。にわかには理解できず、言葉の意味を咀嚼し続ける者も多い。だから、その時の一人の女子生徒の行動に気付けた者は本当に少なかった。不二崎はたまたまそれに気付いた一人だった。剛田も気付いていた。彼はいつでも彼女のことを見ていたから。
ごく自然な足取りで女神の背後に回った山本葉子が、刀の鯉口を切ったのである。次の瞬間、クラスの全員がびくりと身を震わせる程の凄まじい殺意が山本の全身から溢れ出た。
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