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自分軸の作り方#52 〜母の笑顔を探していた。〜
私の実家は北海道にある。
成人してから北海道を離れ、
雪のない生活に慣れてしまって、もう、朝が雪かきから始まる生活には戻れない、戻りたくないとは思っているけれど、
雪の朝のハッとするような美しさは、好きだった。
それが見られないことはちょっと寂しい。
本当は今年のゴールデンウィークに、実母に会いに北海道まで行きたかったけれど、緊急事態宣言のため行けなくなった。
一年以上会っていない。
母に会いたい願いはしばらく叶いそうにないので、今日は母について書いてみようと思う。
私の母は関西人で、
人の笑いを取るのが好きな人だった。
「こうあるべき」の主張が強い人で、思春期に私と母は、かなり衝突した。
私も私の兄弟も
みんな、反抗心剥き出しだった気がする。
母は、よく泣いて、よく怒り、よく笑う人だった。
自営業だったので、人にあいそ良く振る舞うのが母の仕事だったのかもしれない。お客さんとは、いつも笑顔で話していたことを覚えているし、遊びに来た私の友達からは
「お母さん、可愛い❤️」と、よく言われた。
母を思う時、真っ先に思い出すのは小学校の運動会の時。
運動会のお昼の時間は、家族のもとに行って、各々お弁当を食べる。
我が家では、日曜日も仕事があり、
父親が運動会を見に来たことは、一度もない。
たくさんの人の中、
母親の姿を探す。
母親を見つけた時、母も私を見つけて、満面の笑みを浮かべ、ここだよーと手を振ってくれた。
大勢の人の中、
母の笑顔は、そこだけが輝いて見えた。
仕事の合間に、大忙しだったろうに、
お弁当を作って、持ってきてくれた。
お弁当を食べながら話を聞くと
競技する私を一生懸命探してくれたことがわかる。
私は運動が苦手で、走るのはいつも一番ビリだったけど
母が私を見ていてくれたことが ただ嬉しかった。
厳しい面もあったし、価値観を押し付けてくることもあったし、怒ったら怖い人でもあった。けれど思い出すのは、笑顔の母だ。
父亡き後、施設で暮らしている母。もう90才になる。
物忘れが進み、孫の顔は忘れているけれど
私と夫のことは、覚えてくれている。
面会に行くといつも
施設のホールで
他の入居者の方の、辻褄の合わない話を、
ただ、笑顔で聞いている。
思いついたことを次々と話す隣の席の方の話に
うなずきながら「あら、そうだったの」「そうですかー」「へぇ」と相槌を入れながら
話をきいて、ほほえむ母は
きっと、その方の癒しになっているんだろう。
贔屓目かもしれないけれど、そう見える。
そして母も、とても穏やかで幸せそうに見える。
子供に笑顔で接していこうと決めて
イメージするのは
運動会の人混みの中
探し当てた時の 母のあの笑顔だ。
あたたかく、包み込むような
それでいて子供っぽい、
大好きな笑顔。
願わくば 将来、子供の心に残るのは笑顔の私であってほしい。
私が歳を重ねていった将来
誰かの話を、頷きながら幸せそうに笑顔で聞いている
そんな老後であってほしいと願っている。
(最近鏡を見ると、自分の顔が母に似てきて、我ながらびっくりする今日このごろです。)