映画館の中で映画を見ている私と原作者は同じ人
映画館でIMAX・3Dで見ていると、臨場感溢れるシーンではあたかも自分がそのシーンの場所にいるような錯覚に陥る。周りにある小川に佇むシーンでは清流に浸かり水を飲みたくなるが、もちろん飲むことはできない。スクリーンの内容を変えることはできない。
映画は、原作者がいて、想いを抱き構想を練って原稿用紙に書き、脚本を作り、俳優が演技をして、カメラで撮影して、音響を入れ出来あがる。
映画館のシーンで清流の水を飲もうと思ったら、水を飲むシーンを原作者が思い描き直すことになる。あるいは脚本家がそのシーンを付け加えることになる。
この映画の話は例えであるが、真理の世界の意識がエネルギーとなり、やがて物質化して、現実世界を作り出している。
映画館で映画を見ている私は、映写機を操作している人であり、原作者であり、思い(意識)をこの現実世界で体験している原作者の投影された同じ人なのだ。
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私たちが住むこの世は、映写機に映し出されたスクリーン上の世界であり、本当の私はストーリーを作り原稿を書き映写機を操作しているのである。思い(原作者)が現実世界(映画館の中の観客)を作り出している。
IMAX技術が極限まで高められれば、このことが実感として感じることが出来るかもしれない。
この世は仮想現実である。