往復書簡_佐藤研吾:02_「集まることの検討」
3月の新型コロナウイルスが東京を中心に拡大して行き始めた頃、ちょうどすれ違うように僕は東京から福島の大玉村へ引っ越し(拠点の重心移動)をしたところでした。それから福島でしばらく自宅の内装工事をしているうちに、緊急事態宣言が発令され、東京をはじめ首都圏へ向かうことが困難な状況になってしまっています。
そもそも拠点の重心を東京から福島に移したのは、都市と非都市の間に身を置き続けるための一つの実験、方策でした。普段は非都市に居ながら、時折、都市へと顔を出すくらいの生活と生業のあり方を考えて、実践してみようとしていた矢先の、緊急事態宣言でした。
往復書簡いいですね。まとまった文章でのやり取りというのは、さいきんメッキリ減っていた気がします。実際に集まることが難しいいま、テレカンなどでの即時のやりとりではなく、少し時間のあいたポツポツとした話しの仕方をすることは大きな価値があると思っています。
集まることって実は自分は結構苦手なんです。いろんな人が目の前にいて、言葉が行き交い、そんな中で自分がどんな振る舞いをしなくてはいけないかを考えなければならない。本当はそんなことを気にせずに呆気らかんとしていればいいのかもしれませんが、時と場合によってはなかなかそうもいかない。東京では特に何かしらのテーマ、主題や目的を持った集まりが多くて、なんだかコミュニケーションの切り口を自分でこじ開けなければいけないと意気込んで辟易することもある。そんな緊張感が程よく刺激的でもあるんだけれども、一方で、そんな人たちとの対面でのやり取りの土台は、実はほとんどがSNSで基礎情報が共有されていることが前提になっていることがある。「昨日投稿していたアレ、良いね」とか「最近の見たよー」とか。そんなところから会話が始まることも多い。
しかしながら、そんな東京でのやり取りをずる賢く使っている自分もいる。自分が欲しい情報、欲しい繋がりを効率よく見つけることができるからだ。web空間には未だ無い微細な情報と爆発的なドライブ感を、人が密集する都市のなかで手に入れられる。非都市から時折都市に「出稼ぎ」に行こうという最近の自分の目論見は、そうしたずるい思惑もある。非都市に隠れながら、都市へ出没する。そんな生活を企んでいたら、突然世の中の人々全員が家に隠れてしまって、webにより頻繁に出没するようになった。正直いって、先を越されたという気持ちです。
とはいえ、喫茶野ざらしが今年始めにオープンしてから、自分はあまり店に行くことができなくなっているのがとても残念です。けれども、たとえ自分がそこに居なくとも、その場所が在るということで、訪れた人たちや知り合いとの何らかのやり取りは生まれる。もちろん日頃コーヒーマスターとして店番をしてくれている中島晴矢との会話を経由して、自分は訪れた人たちとやり取りができている。ある人がやって来て出て行き、また別の人が訪れる。場所がある、というのは、そんな時差のあるやり取りが成立することがとても大事なのではと感じています。集まるだけではない「場」の可能性です。
今後、喫茶店という業態自体がどのような形で成立し得るのか、経営状態も含めて、しばらく困難と試行錯誤が続くと思うけれども、なんとか「場」を作り続けていたい。
そんな希望と意地の発露であり、喫茶の場を補完するのが、今クラウドファンディング で作ろうとしている二階のスペース整備なのかなと思っています。おそらく、これからしばらくは人々が集まってイベントをすることが難しくなっている。集まることへの価値はみんなが理解しているのに、それができない。
もしかするとせっかくスペースを綺麗につくっても、それを使うことができないかもしれない。そうなってしまわないためにも整備費をどんなことに使っていけばいいのかの工夫を、「集まること」を検討するためにも、考えていきたい。
ちなみにもうすぐ大玉村での拠点工事がひと段落して、ようやく住み始められます。そのあとは住みながら、環境を整えて修理して作り続けていくことになる。いつまでそこに住み続けるのかはわからないけれども、作り続けていくこと自体が未来への何らかの価値を持つと思っている。家の正面には小さな畑もあるので暇ができたらトマトくらいは植えてみるつもりです。これも未来への投資。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?