往復書簡_佐藤研吾:06_「喫茶野ざらしへの仕込み」
連休に入っていよいよ大玉村の田んぼでは稲の作付けが始まった。水が張られた田んぼが、安達太良山と青空を逆さに映し出したその風景の中で、あちらこちらで稲苗を背負ったトラクターたちがバラバラと、グングン働いている。そんな田んぼの中を車ですり抜けていくのがとても良い感じ。たぶん情報として耳や目に入ってくる昨今の騒がしさがあるからこそ、そんな景色をよりいっそうとても美しいなと思ってしまうのかもしれない。あーいいなと思って、米作りもしたいなーなんて考えることもあるんだけど、なかなかそこにまだ足を踏み込めないんだよな。こっちでいろんな人の話を聞いたり、働く姿を見たりしてより一層に、何かできるんじゃないかの思いつきもあると同時に、なかなか厳しいぞこれはの現実も見知る。
米作りの代わりに、ひとまず自分にとってやはり身近な家づくりに最近手を出しているんだけど、改めてだけど、自分の家を作るというのはとてつもなく面白いだよね。ずっと作って、直していたい。俺は実家は一軒家だったんだけど(横浜の戸塚の山の上にあって、子供の頃は畑に囲まれてた。けどいまはその周りの畑は全部住宅地に変わってた)、一人暮らしを始めた以降はずっとマンションに住んでて、正直なところそれが苦しくてたまらなかった。モノを家の中に入れたり、出したりするにしてもいちいちマンションのゲートくぐって、狭いエレベータのってまたドアかよ、ってかんじで疲れるし。もちろんマンションの人付き合いとかコミュニティのような人の集まり方も面白いなと思うこともあるけれども、自分自身が地面から浮いてしまっている(物理的だけではない)というか、大地に対して隔離されている感覚が実はあまり馴染めなかった。そんな、たわいない、素朴な経験が、けれどもやはり今の自分が大玉村にいたり、インドにわざわざ行ったりしていることに繋がっているとは思う。
それは何かに対する反動というよりはむしろ、振動なんだろうなとも。自分の居場所、立ち位置が時の経過とともに揺れ動く。あらゆるインテリが戦後に自身の転向を悔しそうに宣言したけれども、自分の振動は、そんな大層なものでもない。ただブレているんだ。けれどもその挙動が一続きの連続体である、という、そんな自覚はある。
そんなブレるための余白は常にとっておきたいと考えるんだよね、やはり。喫茶野ざらしの名前も、「野」という、人間世界か自然の世界なのかいったいどちらかよく分からない場所、ブレブレの場所への想いからつけたものだった。喫茶野ざらしの一階の店内はそんな考えから、やはり何か確からしくて筋が通ったものではないんだけれども、どこかしらに信頼たるカタチを持った場所、になればいいな、と考えて作った。
どんなカフェ、喫茶の場所になるのか、どんな営業の形になるのか、正直なところオープンしてみるまでほとんど想像もできていなかった。けれども、結果的に晴矢が店に立ち、日々工夫を重ねて時間を積んでいってくれているのがとてもよかった。オープンしてから俺はあまり店内にいることができてないけれど、うまくバトンをパスするというか、グラフィティのように(やったことないけど)その場所の脈を読んで痕跡を残して次の描き手に繋げるかんじ。というか喫茶店というのはそんなグラフィティ的な時層空間かもしれない。ある人が訪れ、店主と話をボソボソしながらコーヒーを飲み、そのコーヒーの香りを残して店を出て、また新たな人がフラっと店に入る。コミュニティだとか共同体というのは、なんだかんだと顔を突き合わせて同じ時間を過ごさないといけないわけではない。ビュービュー吹き荒れる荒涼たる風景の中に、誰かナニモノかが何かを遺していっているはずなんですよ。その遺物と痕跡を通して、自分ではない他の存在を知覚し、想像する。そんな共同のテイ(体)もあるはずだと思うんです。けれどもそのためには、場所が必要なんだ。場所がなければそんな知覚も発現しない。喫茶野ざらしという場所を続けよう、とにもかくにも。
いま自分は東京には行けずに大玉村から出ていないのだけれども、喫茶野ざらしへのアプローチをいくつか仕込んでいます。
まず一つは「大玉カレー」を喫茶野ざらしで販売すること。大玉カレー東京支店ですね。大玉カレーは、臼井秋平さんというプロDJがレコードではなくオタマを回し、大玉村で採れた旬の野菜をトロトロになるまで煮込んで作るカレーで、かなり特徴的でパンチが効いて美味しいやつ。それにはもちろん村産のコメを合わせます。今、そのカレーをどうやって東京へ送るのが良いか試行錯誤していて、もうすぐリリースできるはず。前々からどうやったら東京に野菜を投下できるかを考えていたんだけれども、野菜を煮込んでカレーという形にパッキングすればいいんだと思いまして。やっぱり喫茶店にはカレーが必要でしょう。野ざらしには奇妙なドリンクメニューがたくさんあるけれど、大玉カレー(名前はふつう)はそれに負けないくらいの奇がある。大玉村のコメは別で真空パッキングして別途販売も準備中です。
あと、今企画しているのが、大玉村のおばちゃんおじちゃんたち(先輩方)に喫茶野ざらしの厨房に立ってもらい、イカニンジンとダイコン炒りという名前そのまんまな郷土料理を作ってもらうというもの。素朴ゆえに奥深い味がして、家ごとに微妙に味が違うんだな。イカニンジンとか、ほとんどイカなんか入ってないんですよ。だいたい全部ニンジン。そして内陸部の大玉村、中通りに、一体なんでイカを使った料理があるんだと疑問に思うんだけれど、どうやらイカは浜通りで採れたイカが内陸に流通してきたそんな貴重な食材だったらしい。それだから大量のニンジンの中にイカがちょっと入っているのが、とても大事だったんだろうな。だから名前にはちゃんとイカが入る。そんな土地の歴史、地勢が生み出したイカした料理なんです。
いや、別に俺は大玉村とか福島をアピールしたいとかではなくて(行政にはそんな名目にしているけれども)、とにもかくにも喫茶野ざらしというフィールドを訪れるヒト・モノを増やして、痕跡を重ねようというトライアルなんです。フィールドというのが、自分の言葉としてはやはり「荒れ地」ということになる。喫茶野ざらしを一人遠望していると、ニヤニヤといろいろな妄想もふくらみます。
https://readyfor.jp/projects/cafe-nozarashi
(佐藤研吾)
(冒頭の写真:コムラマイ)