往復書簡_青木彬:04_「複数の場所から耕す」
二人の書簡を読んでから少し時間が空いてしまいました。
その間にもラジオを収録したり、今後の野ざらしの活動についてあれこれ話をしましたね。
とにかく今は「集まれない」という状況がいつまで続くのか、先が見えず、どうすべきか決めることが難しい。でも、だからこそ野ざらしがどんな理念を持っていて、それをどのように実現させていくか、改めて自問自答する時間となっていることは、前向きに考えています。
自宅にいる時間が多くなったことで、いつもよりも少し自分のことをする時間が増えたことと、運良く機会に恵まれ、複数の場所で農作に挑戦しています。
昨年から借りている墨田区の農園には、佐藤さんは別のプロジェクト(ファンタジア!ファンタジア!)の一環で来てもらったことがありましたね。今年は去年よりも少し区画を小さくして使っています。そこに大玉村のじゃがいもの種芋を植えました。
また、藍の種は自宅のポットに蒔いたところ、先日芽が出ました。うまく育てられたら藍で糸を染めて、刺繍でもしたいなと思っています。
そして、東京から離れたとある場所では畑づくりから始めました。畑にしようと思った一角を鍬でひたすら掘り返したのですが、とても粘土質な土地で、石もゴロゴロ出てきています。野菜を育てるには土壌改良が必要そうなので、必要な土を揃えて配合したところですが、もう少し土を盛らないとダメみたいです。
初めてのことはワクワクします。単純に土に触れるという触覚が気持ち良いのと、今この世界で、人間以外の時間を考えれる作業はとても心地よいです。
そういえば昨年、イギリスを拠点に活動するGrizedale Artsが山口県の集落で行うプロジェクトを視察(手伝い)に行ったことがあります。そのプロジェクトでは古民家を再生し、夏には山の中に養蜂箱を作る計画を立てていました。彼らはイギリスで農作も行い、レジデンスに来たアーティスト達は村の人の農作を手伝うそうです。拠点がある湖水地方はウィリアム・モリスが暮らした土地でもあります。
彼らが自分たちが行なった過去のプロジェクトについて話していた時、「コミュニティは気がつくと保守的になる」と語っていたのが印象に残っています。彼ら曰く、アーティストは保守的なコミュニティを解すとことができると。自分達の話しに引き寄せれば、野ざらしを“耕す”ということにも通じるかもしれません。東京という都市を土壌改良する、そんなイメージもあるのかも。
哲学者の西周はMechanical Artに「技術」、Liberal Artに「藝術」という字を充てました。「藝」の字には作物を育てるという意味があるそうです。しかし、第二次世界大戦後に政府は当用漢字として「藝術」に「芸」の字を充てました。これには「藝」と反対に、草を刈り取るという意味がある字だそうです。
最近、種苗法の改正案が進んでいるの様子を見ながら、芸術祭が批判を浴びたり文化が蔑ろにされる昨今の状況(文書の取り扱いやら本当に色々な局面でそう感じます)を重ね合わせ、「藝」から「芸」の間に抜け落ちたものがあったのかを考えたりします。
野ざらしに対して、「耕す」という言葉を使っているのは、大玉村を起点とした「農」への接点もありますが、僕らが思考するアート、ART、芸術、藝術へのひとつの態度表明ではないでしょうか。
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