ガーナ1: 国の概要
ガーナについての基本情報等を下記にまとめます。2023年5月時点での情報です。
アフリカというと、貧しい・紛争 というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、ガーナもといアフリカはもはや決して貧しい国ではありません。報道や雑誌等では人目を引くため貧困地域の写真が掲載されがちで、そのようなイメージが先行していますが、ガーナの首都アクラにおいては舗装された道路と近代的なショッピングモールもあり、レストランでは日本とさほど変わらない値段で料理が提供されています。ガーナは2019年の時点で一人当たりGNIが基準である1,005米ドルを超え、中所得国の仲間入りをし、先進国と変わらない、全く面白味のない生活もあります。
とはいえまだまだ皆様の想像する通りの場所・生活があることも事実です。田舎の方に行けば、衛生環境・食事・教育機会・医療アクセス、全てが乏しい環境があります。ガーナでも国主導の医療保険がありますが、保険料の払えない人向けの救済措置はありません。従って貧しい地域においては、保険料が払えず医療アクセスのない人たちが多く存在します。
1. ガーナの概要
ガーナは西アフリカの大西洋に面した場所に位置します。旧イギリス植民地のため、多くの人は英語を話します。1957年にサハラ以南のアフリカとしては最初の独立を果たしたのち、現在は共和制の形をとっています。公用語は英語とTwi語、その他地域によって異なる言語を話します。やはり国内にはいくつかの民族が存在しますが、アフリカにありがちな民族同士の対立は比較的少なく、西アフリカの中でもかなり治安の良い国になります。国民性としてもとても友好的です。
主要産業はやはり農業。1番は当然カカオで、全てが輸出用です。次いで主要食物のキャッサバ、メイズ(トウモロコシ)、米などを作っています。その他大西洋沿いの地域では金が採掘でき、かつてはゴールドコーストと呼ばれていました。
首都はアクラ、人口は3000万人程、一人当たりの名目GDPは2023年時点で2000US $程と予想されています。個人が一年の間に得た所得を示す一人当たりGNIにおいて、ガーナは2019年時点で1190US $となり、中所得国の仲間入りをしています。
2. ガーナの生活事情
◆安全
ガーナは全体的に非常に治安の良い国です。アフリカ特有の部族同士の衝突も少なく(北部は一部あるよう)、全体的に友好的で穏やかな国民性なのか、身の回りのものに注意する・一人で夜出歩かない等の海外旅行での基本的な安全対策で、犯罪にあうことは少ないようです。ただ日中の日差しが強く、熱中症対策は必要です。
◆交通
アクラ市内はUberが使えます。ちょっとした距離で十数Cedi(200円くらい)、稼働数は少ないですが、10分くらい待てば来てくれます。その他市民の足はTrotroと呼ばれる乗り合いバスです。国営ではなく市営のようですが、比較的田舎の方まで動いていますし、アクラから私の訪れたエリア(Volta région)のような長距離も行けるようです。アクラからVolta régionnまではタクシーでも3時間くらいかかりますが、45cedi(500円くらい)で行けるようですので、格安です。乗り方は行きたい方向をハンドシグナルで伝えると停まってくれ、場所を伝えて乗ります。やや難易度は高めです。現時点でガーナに鉄道はないようですが、現在アクラからVolta régionを結ぶ鉄道が建設中です。これは中国・インド・レバノンの合同出資だそうで、中国はもちろんですがインドやレバノン等も、ガーナでは存在感を増していることが伺えます。
◆食事
ガーナの国民食としては、Fufu、Bunku、Waakye等があります。Fufuはキャッサバとプランテーンを混ぜてこねたもので、見た目も作り方も食感もお餅に似ています。これをスープに入れて手で食べるのが一般的で、日本人にも比較的食べやすいでうす。一方Bunkuはキャッサバとメイズを混ぜてこねたあと発酵させたもので、やや発酵臭がする分食べにくいです。食感としては欧州でよく食べるクッキーDough(焼いてないクッキーの元)に似ています。Waakyeはご飯に豆を混ぜたもので、赤飯かな?みたいな感じです。ガーナは米を食べる国で、他にもJollof riceもよくありますが、これはトマトベースのややピリ辛チャーハンのようなものです。Bunku以外は基本的に日本人の口にも合うものが多いのではないかと思います。
◆その他
私がこれまでに訪れたアフリカの国はガーナとエチオピアのみで、両者を純粋に比べるには難があるとは思いますが、ガーナはエチオピアよりも経済規模では劣るものの、衛生面では優れているように感じました。まずトイレが綺麗です。というか、便器があります。水も流れるところもあれば、汲んだ水で流す場所もあります。エチオピアでは大半の場所が汲み取り式トイレでした。
3. ガーナの経済事情
◆産業
ガーナの主要産業は農業です。最も多いのはカカオですが、ほぼ100%が輸出用。カカオはガーナでの稼ぎ頭なので国主導で力を入れていますが、一次産業は二次・三次産業よりも低価格になり、カカオ市場は世界で1000億ドルだそうですが、その内ガーナのカカオ農家に入るお金は60億ドル程だそうです。カカオに次いでキャッサバやメイズ、米などが栽培されています。
◆携帯電話
アフリカではありがちですが、日本で2000年代に使っていたようなガラケーのようなものが、ガーナでも多くの場所で使われています。最もメジャーなのはItel(アイテル)という中国製の携帯で、140cedi(1500円くらい)で購入でき、通話・メッセージ・カメラ(ガラケークオリティ)機能が付いていますが、インターネットは使えません。電力供給が不安定なガーナに合わせ、1週間充電をせずに使うことができます。次にメジャーなのがTechno、次がAndroidです。とはいえ型落ちのiPhoneを持っている人も結構います。それなり収入があると思われる人は、ItelとiPhoneの二台持ちが多かった印象です。
◆外国資本について
中国がアフリカに対して大量の資金投資をしていることは既知の通りですが、ガーナについても同様です。インフラ整備はもちろんのこと、カカオや資源の採掘をする中国系の会社が増えているのだそうです。他にもMelcomという、ガーナ最大のスーパーマーケットはインド資本だそうです。米国はコカコーラ等の飲食系が主流、日本企業ではトヨタが支社を出しています。個人的には、日本がもっとこう言った途上国支援に力を入れていくことが、今後確実に沈んでいく国内市場を支えて行く唯一の道であるように感じています。
帰国中の飛行機内で、Malawi出身の方と話しました。その方は中国出資の奨学金で2年間北京に滞在したことがあるそうです。物的投資だけでなく、人材交流にも力を入れているんですね。ただ現地中国人が殆ど英語を話さず、あまり良い滞在ではなかったと言われました。日本も似たようなこと言われそう。。その方曰く、高度医療にアクセスがない場合(腫瘍の外科手術等)南アフリカやインド、中国に行くんだそうです。南アフリカはともかく、インドも中国もそれなりの距離があります。つくづくアフリカは中国寄りの国と仲が良いのだなと感じます。
4. 観光関連情報
◆ビザ・入国準備
ガーナの主要空港はアクラにあるKotoka国際空港です。ガーナの入国には、観光であってもビザの取得が必要です。大使館は東京にあり、郵送でも可能ですが申請してから2週間程かかります。実際に訪問して取得することも可能で、ビザの面接は毎週火曜日と木曜日の午前中です。その場合3営業日、+3000円支払えば当日の午後に受け取ることも可能です。またビザ申請の際に黄熱病のワクチン接種証明書が求められます。
◆空港から市内まで・ホテル情報
空港からアクラ市内までは車で20-30分程です。Uberも使用可能です。鉄道はありません。私はホテルが無料の送迎を付けていたので、それを利用しました。アクラ市内にいくつかホテルはありますが、ガーナは観光地ではないので選択肢は少なめです。それなりのホテルはそれなりの値段がします。私は3-starホテルに滞在しました。ベッドも綺麗でA/C付き、水圧の良い暖かいシャワーのあるホテルで、一泊72US $でした。
◆予防接種・医療面
ガーナは赤道直下なのでマラリアの地域です。ただ日中は殆ど蚊は見かけず、室内にもあまりいませんでした。蚊帳も持参しましたが、結局使いませんでした。ただ夜の屋外は蚊がでるので、やはり虫除けとマラリア予防薬の対策は必要です。
ワクチン接種は黄熱病は必須ですが、その他は任意です。私は狂犬病・A型肝炎・B型肝炎・髄膜炎・麻疹/風疹・腸チフス・破傷風を接種しています。その他コレラ等も推奨されていますが、基本的には個人の判断になると思います。
◆携帯電話
ガーナにはMTNというモバイル通信会社があり、そこのSimカードを現地で買うことが出来る、と聞いて行ったのですが、プログラムからsimカードが提供されそれを利用していたので、詳細はお伝えできません。基本プリペイドのtop-up方式で、大凡1GB=100円程で購入していました。
◆観光地: Cape Coast
ガーナは観光資源に乏しく、アクラ近郊では殆ど観光する場所はありません。強いて言えば野口英世の記念碑のある研究所でしょうか。アクラから車で3時間程のところにあるCape Coastは、16世紀から19世紀まで続いた奴隷貿易の拠点となった場所、ガーナの旧首都でもあり観光地になっています。
Cape Coastの辺りには、Cape Coast castleとElmina castleの二つの拠点があります。16世紀にまず侵攻してきたのはポルトガルで、ポルトガル人によりElmina castleが建築されました。この近辺はGold coastとも呼ばれ金が採掘されたこともあり、多くのヨーロッパ人が訪れたそうです。その後ポルトガル人は拠点をドイツに売却して撤退、その後イギリス人が侵略し、彼らの拠点としてCape coast castleを建てました。基本的に南北戦争によって奴隷制が撤廃されるまでこの地域から奴隷貿易をしてきたのはイギリスです。
アフリカは元々多くの部族から成り立つ国です。イギリス人はこの地に銃を持ち込み、特定の部族に渡します。銃を持っていない部族は、銃を持つ部族に対抗することが出来ません。その為奴隷を差し出し、対価として銃を買って部族闘争に望み、負けた側は奴隷として売られたのだそうです。
Cape coastには一度に1000人の男性奴隷、数百人の女性奴隷を格納する広さがあります。奴隷達はここでとくに食事など与えられないまま数ヶ月過ごし、亡くなったら海に捨てられます。その後大西洋側に面した“Door of no return”を通って船に積まれ、主に南部米国、その他ヨーロッパに売られて行きます。奴隷達の過ごす部屋はほとんど光のないレンガ造りのダンジョンですが、地面はレンガの上に黒い地層が形成されています。これは奴隷達の排泄物・食べカス・亡骸の一部などが積み重なって新たな地層を形成したことが、後の調査によって判明したそうです。