パーティー嫌い
コロナ禍になって困ることも多いが、自分にとって良いこともなきにしもあらずである。
その数少ない良いことの一つが、パーティーが無くなったことだ。
元来、華やかなパーティーになるものが苦手である。無論、若い頃はそういうものに憧れがあったし、普段会えないような人に出会える機会だと張り切って、出かけていた時期もあった。
ところが40を過ぎたぐらいだろうか、誰か来るのがわからないようなパーティーに招待されても、行きたいと思わなくなった。ちょうどその頃、尊敬する先輩から、「お前が、役に立つ誰かが来ないだろうかと出かけるパーティーには、同じような考えのやつしか来ないぜ」と言われた。なるほど、もう無理していかずとも良かろうと思ったのである。
それでも付き合いというものもある。「美味しいものをご用意してお待ちしていますから、ぜひ」などと言われると、無碍に断るのもどうなのかと悩むこともある。相手は、悩んでいるこちらを察してか、「今回、是非お会いしたいという方もおりますから」などと続けてくる。
残念ながら、これは蛇足である。そもそも私のようなものに会いたいなどという人物が、こちらのお目にかかりたい美女であるはずもなく、むしろ酔狂な人物に違いない。ともすれば、何か逆恨みをしている人物かもしれぬ。恐ろしくて近づけるものではあるまい。
要するに面倒になってきたのである。会合など必要なことが終われば、顔見知りに挨拶をし、そそくさと逃げ出し、いつもの飲み屋のカウンターで、熱燗を手酌で呑むのが落ち着くのだ。まあ、駄目な大人の典型であるが、年齢も年齢であるから仕方があるまいと自分を納得させられるようになったわけだ。
コロナ禍になり、困ったことの一つがパーティー嫌いを理由にして、飲み屋の手酌もできなくなったことだ。これは困るので、早くコロナ禍が落ち着き、以前のようにパーティーを再開していただきたいものである。