人生最後の日の過ごしかた 川越あぶり珈琲
どうしても眠れない夜は人生最後の日 ー好むと好まざるとに関わらず必ず訪れるー をどう過ごすかを思い出しては頭の中でリハーサルしている。
それは明日突然来るかもしれないし、50年後に来るのかもしれない。
その日が来たら世界中のどこにいたとしても川越に駆けつけて、ある喫茶店で午後のひとときを過ごすと決めている。
それが観光客で溢れる一番街から蜂蜜屋と醤油屋のある路地裏を歩いたところに静かに佇んでいる「あぶり珈琲」である。
有線から静かに流れる匿名的なジャズと柱時計の律儀なリズムが染み渡る空間で、珈琲を飲みながらゆっくりと文庫本を読むのが好きだ。
マスター曰くabriとはフランス語で待避所との意味もあるとのこと。珈琲を炙るとのダブルミーニングがなんとも粋だ。
ここで過ごすと自然と声のトーンが抑えられる。他人の時間を邪魔しないようにか、それとも自分の時間を護るためか、客も店員も基本的に小声で過ごしている。
ブレンドが煎りの深さでno.1からno.5までのシンプルなラインナップなのが良い。珈琲オタクじゃない限り、ブラジルだのマンデリンだの言われてもはっきり言ってわからない。
その道を極めると普通の人がわからないというのがわからなくなってしまうという罠もある。
この店と出会うまで珈琲が飲めなく、スタバでは迷わずフラペチーノを頼む程に甘党だった。
なんか苦くてどれも同じに感じた。
初めてオーダーしたのはカフェオレだった。飲めなくとも焙煎香は十分に人を癒す。その香りは実家で充満していたコーヒーメーカーから醸し出される安物のコーヒーの香りとは違った。
まずはその空間で過ごすという行為を求めるようになった。
強すぎない適度な珈琲を煎る香りが漂う。昼下がりに訪れるといつもマスターが奥の部屋で黙々と焙煎していた。
だんだんと苦いばかりでよくわからない珈琲の味の違いが気になりはじめた。そしてメニューをコンプリートしたくなった。
ハードな日常から逃避したい思いと、コレクター癖が絶妙に絡み合い、足しげく通い詰めるうちに珈琲の沼でドリップされていたのは自分の方だった。
スカラ座で流行りから取り残された古い映画を見た帰り、市役所に手続きに行ったとき、何かと理由をつけては立ち寄るようになった。
だんだんと理由をつけなくとも、時間ができる度に訪れるようになった。
何度か通ううちに、ああ、コイツはミルク使わないんだなと悟られ、こちらから頼まない限りミルクは付かなくなった。
常連だと認めれらたようで少し嬉しかった。
耳がもげるほどに寒い2月の雪の日は少し熱めに淹れてくれた。
無言の気遣いがハードボイルドで嬉しかった。
気がつけば10年も通い詰めてしまった。
国民的アイドルグループのメンバーは入れ替わり、オリンピックが2回行われ、携帯電話はiPhoneに代わって、デヴィットボウイが宇宙に旅立った。
そんな事を思い出しながら店を出ると良い感じに日が暮れている。
さて明日からまた、、、そこまで思って、そうかもう明日は無いだったと気がつく。
悪くない生涯だった。
とっておきにお気に入りの喫茶店は、穏やかに人生最後の日を迎えるためにとっておきたい。
枕詞のように使い古されてしまった言葉でもあるが、本当に誰にも知られたくなかった隠れ家だった。
過去形なのは今ついに心の中に積もった根雪みたいな隠し事を白状してしまったからである。
★西武本川越駅、東武東上線川越市駅から歩いて15分程度。川越は池袋より東武東上線に乗って30分とすこし。新宿からも西武線で30分。時間が許せばこのためだけに川越を訪れたい。
Write by Yuki.H
普段は三浦半島で力いっぱいキーボードを叩いています。
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