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カウンセリングの価値が腹落ちした~クライアント体験その2

はじめて「カウンセリング」を体験した私でしたが
その後、コロナの制限などもあり、続けてカウンセリングを受けることが
できませんでした。
継続するって本当に難しいです。

そんな私が継続的に誰かに話を聴いてもらう経験ができたことについて
お伝えします。


きっかけは子どものメンタルダウン

二度目のクライアント体験のきっかけは
子どものメンタルダウンがきっかけでした。

こちらもピア・カウンセラーの認定試験が宙ぶらりんになっていた
1年の間に始まった体験です。

きっかけは小学校低学年のわが子が学校での出来事をきっかけに
大きくメンタルダウンしたことでした。

子どものメンタルダウンで私は大きく混乱、
児童精神科など手当たり次第にいろいろなところにアクセスし
そのうちのひとつが県の教育相談センターでした。

ここでのある心理士さんとの出会いが
私を緩やかに整えてくれたのでした。

誰か解決策を教えて

相談当初は荒れるわが子の対応、
学校とのやりとり、
「どうすればこの子は元通りになってくれるのか」の
解決策を探していました。

解決策はないことはわかっていたけれど
私は解決策を教えてほしかったのです。

そんな時に出会った教育相談。
月に1~2回、同じ心理士さんと話をする。
1時間じっと私の話をただただ聴いてくれる。
解決策は特にないのだけれど
帰り道は何だかすがすがしい気持ちになっている。
(駐車場から見事な北アルプスの山々が見えるところで
その景色は忘れられません。)

その方はサバサバした方で
いわゆる「カウンセラー的」な雰囲気とは少し違っていて、
ズバっとした言葉を使われることもありました。
私にとってはそれも心地よく、
「何を話しても大丈夫」という安心感を
少しずつ得ていきました。
カウンセラーとクライアントの相性も良かったのではないかと思います。


ベクトルが自分に向いてくる

教育相談なので内容はもちろん子どものこと。
子どもの状態がこんなで心配だとか
先生とこんなコミュニケーションをとっているけどしっくりこないとか。

でも不思議なことに「私自身の話」をする時間の割合が
少しずつ増えていったのです。

はじめは「子どものために」相談に行っていましたが
そのうち自分が整う時間になっていると気が付きました。
「自分のため」の時間となっていたのです。

後に知ったことですが、教育センターの相談員は
基本的には教員だということでした。
(自治体によるのかも。)
たまたま私はその心理士の先生に担当してもらうことができて
その方が異動されるまでの約2年半もの間、
継続的に定期的に話を聴いてもらう時間を経験することができました。

非日常の人

「継続的に」「定期的に」「安心できる人に」話を聴いてもらう。
こういった場所は誰もが持っているものではないと思います。
周囲の友だちや親との会話だと、
「こんなこと言って幻滅されないかな」
「今日は私ばっかりしゃべりすぎたかな」
「つい話したくないことまで話してしまった」
そんな気持ちがわいてくることがあります。

一方、カウンセリングはクライアントのための時間であり、
そこにジャッジはありません。
「自分の日常生活には登場しないけれど、信頼できる人」
に「聴いて」もらうからこそ
見えてくることや気づくことがあり、
ブレた自分を整えてくれる力があるのです。

カウンセリングは整える時間

大きな悩みがあるときはもちろんですが、
そうでない時でも日常の揺れ動きに私たちは動かされて
いつの間にか立っている場所が変わっていたりすることがあります。
だからこそ必要な「整える時間」。

カウンセラーの学びだけをしていたころは
「約1時間、話を聴くことでそこまでの価値があるのか?」
「おしゃべりとの違い、何となくは分かるけど…?」
という思いがありました。
でも、クライアントの体験をすることで
カウンセリングの価値が腹落ちしました。

即効性はない。
でも緩やかに整っていく感じ。
解決策を自分ではない誰かに求めていた私でしたが
「答えは自分の中になる」という感覚も
つかんでいくことができるようになりました。

もっとみんなが気軽にカウンセリングを受けられたら
日常の中の非日常で自分を整える時間が持てるのにと思います。
誰かのそんな存在になりたいというのが今の私の目標です。



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