86歳が綴る戦中と戦後(10)無条件降伏
空襲から一夜明けて眼が覚めると、表通りを人々があわただしく走って行きます。
うちにはラジオも新聞もないので、何が何だか分からずみんなの後を追って行くとあるお店の前に人だかりがしています。
店の前で大人たちはみんな頭を垂れており、何やらボソボソした声がラジオから流れていました。何を言っているのかさっぱりわからないので家へ帰って来ると、あの滝野川のおじさんが飛び込んで来ました。
「ナオコちゃーん!戦争が終わったよー!」
「戦争が?終わったの?!」
「そうだよ!お父さんが帰って来るよ!たい焼きが食べられるよ!」
突然のことで頭がボヤーッとしましたが、「お父さんが帰って来る!そしてたいやき!」という言葉に突然実感が湧いて、喜びが突き上げて来ました。
わーい、わーい、と飛び跳ねて回りました。
ラジオ放送を聞いて帰って来た母とも抱き合って喜びました。
もう空襲はないんだ、灯火管制もないんだ、とどれだけ安心したか分かりません。
それにしても町の中心部はまだ前夜の空襲で焼け跡がくすぶっている所もあるくらいです。
どんなに悔しかったことでしょう。
もう一日早く戦争が終わっていれば焼けなくて済んだのにと、子ども心にも気の毒でなりませんでした。
アメリカは「原爆のお陰で戦争が終わったのだ」と言っていると憤慨する人がいますが、まさにその通りだと私は思っています。
そうでなければ日本中が死体の山になっていたからです。
結局は完敗して完全に日本国は世界地図から消えていたでしょう。
軍部はあくまでも本土決戦をするつもりでいましたから。
完全に頭の狂った男たちはアメリカ軍の機関銃の放列に向かって子どもにまで竹槍を持たせて戦わせる気でいたのですから。
天皇の終戦の詔勅を吹き込んだレコードを奪って放送させないようにしようとした人たちがいたことは誰もが知っている話です。ドラマにも映画にもなりましたから。
このレコードが奪われていたら、と思うとゾッとします。
完全に国や国民を私物化しようとした人たちを私は今でも許すことが出来ません。
負けて天皇陛下に申し訳なかったと皇居前広場で自決した人たちもいましたが、命を粗末にしないでと叫びたい思いです。
武士道だか何だか知りませんが切腹だなんて死に方も決して美しくはないし、命を自由にしていいという考え方自体が不遜です。
亡くなった人には気の毒ですが、人間は生きなくてはなりません。
必ずいつかは死ぬのですから急ぐことはないのです。
純粋に国のため、家族のためと信じて特攻隊などで死んで行った若者たちは別として。
「動機が大切」とはシルバーバーチもフィンドホーンのアイリーンも言っています。
彼らの動機は純粋だったと思います。
私の大好きだった「お兄ちゃん」の動機も。
でも2度とあってはならないことです。
魂が肉体を離れることを決める日までは勝手に死んではなりません。