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私流 親の介護  (記録)vol.2

vol.1を書いておきながら、放置であぁあれから何て色々な変化があった事か…。

振り返るとバタバタと大変だった

ちょうど1年前
父の入院の後だ

父87歳、母86歳
東京で2人暮らしていたのをコロナで茨城にある別荘に移住させ、タバコもお酒もたまに飲んだり夜中に起きてはテレビを観たり自由気ままな暮らしから突然始まった
父の入院から

さて、父は残して来た母を泣きながら心配しながら、順調に回復し、大きな見える麻痺を残さず退院した

茨城と神奈川
姉は埼玉

まぁまぁ行きづらい場所に住み諸々の手続き、面会やら順番に行きながらなかなか大変ではあった

約2週間(9月28日)で退院

父はLINEが使えて毎朝『おはよう』と挨拶LINE

2人とも要支援から
父は要介護2
母は要介護1に

担当ケアマネさんが変わる

また何とか2人での生活が始まって1か月経った
10月30日
新しいケアマネさんが来る〜っと何だか慌てていた母。
なぜか、いつもと違うスリッパを履いてリビングで転んだという。

父が見た時には倒れていて、ケアマネさんが来た時にはソファに横になっていたらしい。

病院に運ばれレントゲンをとったら首の骨、第二頸椎(ケイツイ)の軸椎(ジクツイ)骨折で、整形外科のある病院の受け入れてくれる所を探しやっと入院。

初めての救急車で母はかなりパニックだった様子。
せん妄と言ったか
パニックの患者さんは、ベッドからの転倒防止などの為もあり、どうしても拘束される。
またそれが、恐怖を倍増させるよね。でも仕方ないんだろうなぁ。。
しばらく入院している間、
私に『ここの病院はおかしいよ。いじめられている』など、拘束は取れていても、錯覚や被害妄想が続いて初めは私も病院、大丈夫かしら…っと心配したりした。
人の出入りが多かったり、寝る場所、生活の場所が変わったり、環境の変化で、頭が混乱しやすいので、認知症もまだ具体的にはなっている感じではなかったけれど、進行しやすいだろうなっと心配だ。

父の時もたまたま、ケアマネさん達が何人かで来た日で、救急車など滅多に呼んだ事がない母は、ショックで泣き、心細かったので、ケアマネさん達がいてくれ本当に助けられた✨

結局、首のカラーが取れないまま帰宅してもまた転ぶ心配もあり、約2か月の入院となり12月27日無事、退院。

2ヶ月もの間、家事をあまりやらない父の不自由だった事。
きっと初めての一人暮らしだったのかも

近所の方が差入れてくださったり、私や姉がたまに行ったり。
周りの人達に助けられながら、父、何とか生活していた。

野菜が少なめになるのか辛い便秘や脳梗塞のせいか涙もろくなり心配なコトだらけな時期だった

私が行った時、ご近所から頂いた柿が沢山。
包丁はもともとあまり持たない父
『血液サラサラの薬を飲んでいるから自分では切れない』と言う。

剥いてあげたら甘くて美味しい柿を嬉しそうに食べていた。
そして、おでんを作り食べさせたら、おトイレもスムーズ。

食べ物って大事だなってしみじみ思う

お正月には我が家で!っと言う事で年末ギリギリに退院。
父はかけよるように喜んで拍手👏で母を迎えた

しかしながら、この2人でこれから暮らして行けるのだろうか…と父も私も不安で仕方なかった

二階は利用しないで、一階のリビング隣りの和室に2台介護ベッドをレンタル。

数ヶ月の間に2人とも一気に心配な状態になって、この後破茶滅茶な日々が続くのであった。

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