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2人が今いる日本は、空の見える「監獄」なのか…映画「東京クルド」

クルド人は、中東のイラン、イラク、シリア、トルコにまたがる地域に数千万人が暮らす民族。現在の世界に「クルド人国家」といえるものはなく、クルド人は、彼らが暮らしている国の政府や多数派民族との間で何らかの問題を抱えている。不安定な地域情勢が原因で海外に逃れた者も多く、ヨーロッパなどの欧米で一家で代を重ね、故国を知らないクルド人も少なくない。

この映画は、そうしたクルド人のうち、日本で育ち、日本の教育を受けた者たちが、どんな困難に直面しているのかを描いたドキュメンタリー作品だ。

欧米に比べると、日本にいるクルド人の数はとても少ない。作品によれば、難民認定を受けて暮らしているクルド人はゼロ。東京周辺には1500人以上のクルド人が生活しているという。その多くが「仮放免」という立場で暮らしている。「仮放免」とはわかりにくい言葉だが、合法的な日本滞在が認められておらず、本来、入管施設に収容される必要があると考えられている者が、入管当局の職権で一時的に収容を解かれている状態のことを言う。居住地や行動範囲も制限され、就労することも認められていない。

この映画の主人公は、埼玉県に暮らすクルド人の2人の若者、ラマザン、オザンだ。ラマザンは9歳で、オザンは6歳で、家族とともに日本に来た。何度か難民認定申請を出しているが、認められたことはなく、今も「仮放免」の状態にある。2人や彼らの両親は、トルコに戻れば、トルコ当局の弾圧、迫害によって、命の危険があると主張しているが、日本政府はそれを認めていない。

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トルコでは、東南部のクルド人居住域(クルディスタン)などで、トルコ政府側とクルド人の反政府武装組織の衝突が続いている。代表的な反政府武装組織がクルディスタン労働者党(PKK)だ。映画の中で、オザンの父親は、具体的にPKKと言ってはいないが、クルド人ゲリラに物資を運ぶ仕事をしていた、と打ち明けていた。

そうした経験があり、トルコに戻れば「身の危険」がある、と主張しているクルド人に対し、日本政府が難民認定をしたことはこれまでにない。かといってそうした状況の中で、トルコへの強制送還強行に踏み切ることもできないことから、「仮放免」と入管施設への「収容」を繰り返すクルド人が増えていくという実情がある。

定時制高校を卒業したラマザンは、日本語、英語、トルコ語、クルド語を使える通訳になることを目指して英語専門学校に進もうとするが、どこの学校でも正規の在留資格がないことを理由に受験さえも拒否される。結局、入学を認めてくれた「自動車大学」に進学し、自動車整備士への道を進もうとしている。

もう一人のオザンは、建物の解体工事のアルバイトをして収入を得ている。「仮放免」状態である彼は、働くことは認められていないが、入管当局は事実上黙認している。解体工事は望んだ仕事ではなく、心にむなしさを抱え、かなり自暴自棄になって生きている。

作品では、もう1人、「仮放免」と「収容」を繰り返し、1年以上の長期収容の末に、施設内で病気になったクルド人のメメット・チョーラクさんの辛い境遇も紹介されている。スリランカ人ウィシュマさんの死でも明らかになったように、入管施設での収容者の非人道的な処遇も看過できないもう一つの問題だ。

「仮放免」者の数は近年どんどん増加している。つまりラマザンやオザン、さらには彼らの両親のように「帰るに帰れない」人たちが増えていることを意味する。

彼らが日本で置かれた状況は、「屋根のない収容所で判決を待つ囚人」のようなものだと、映画をみて感じた。日本にいるクルド人にも、基本的人権はあるはずなのだが、にもかかわらず、こうした状況が生まれるのは、どうしてなのだろうか。外国人問題を論じた書籍「ふたつの日本」の著者、望月優大さんが、日本政府の立ち位置を明快に指摘している。

基本的人権は、誰もが等しく享受できるはずなのに、日本にいる外国人は、外国人在留制度の枠内で限定的にしか享受できないのだと、望月優大さんは過去の司法判断を例示して指摘している。

7月10日付の毎日新聞記事によると、入管当局は6月下旬、ラマザンさんと高校2年の弟に「在留特別許可」を認めたという。在留特別許可というのは、「在留資格を持たない非正規滞在者に何らかの在留資格を与えて『正規化』する措置」(「ふたつの日本」)のこと。ラマザンさんは3年前に、家族とともに在留許可を日本政府に求める訴えを起こしており、記事は「進行中の裁判が一定の影響を与えた」との見方を示している。ラマザンさんが正規の在留者となる期間は1年だけで、その後、許可が延長されるかどうかは分からない。

当局が「特別」とみなす在留の許可は、いわば「国家の裁量」を行われているもの。判断の時期、担当者、政治・社会情勢などの要因で、ころころ変わってしまう可能性がある。こうした実態について、望月さんは著書の中で、「いつまでも『国家の裁量』だけを強調するような姿勢は見直されなければならない」と訴えている。(2021年7月10日追記)

難民申請を却下されている多くのクルド人には、彼らの国籍の国であるトルコが、日本の友好国であるという政治要因が関連しているという思いが強い。反政府組織のメンバーであるかどうかは別にしても、ほとんどのクルド人の心の中に、「同胞」を弾圧してきたトルコ政府への不信・怒りがあることは確かだ。

映画冒頭の東京のトルコ大使館前でのトルコ人とクルド人の乱闘シーンが、それを如実に物語っている。トルコ側は、クルド人たちの車内に「YPG」というPKK関連組織の旗があったことを強調し、特定の政治組織が背後にいることを強調していたのだろう。クルド人側は記者会見で、それをうんざりといった表情で否定する。

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トルコと日本、そしてクルド人。普通の人たちとは概して関係が薄い政治的な要因が入り込むことにより、ひとりひとりの基本的人権が擁護されない、という状況が起きている。作品はそんなやるせない状況を克明を描いている。

監督は、日向史有氏。7月10日から東京・シアター・イメージフォーラム、大阪・第七藝術劇場で公開が始まる。

*写真はいずれも配給元の東風提供(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

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