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占領地で青い鳥を探す人々…パレスチナ映画「三つの宝石の物語」

「ガリラヤの婚礼」や「ルート181」などの作品で知られるパレスチナ人映画監督のミシェル・クレイフィ。これまで日本の映画祭などで上映されたものも多い。これまで一貫して、パレスチナ問題を扱った映画を撮り続けている。

 世界の多様な国々の、多様な映画を見る重要な視点の一つとして「それぞれの国や社会が抱える問題を、監督たちがどうとらえているか」という目の向け方もあると思う。クレイフィ監督の場合、いまだ自分たちの国家を持たず、多くは難民として異国で暮らしているパレスチナ人に対し、進むべき方向を示す強いメッセージを発しているように思える。
 「三つの宝石の物語」の舞台はパレスチナのガザ地区。1987年に始まった反イスラエル闘争「インティファーダ」の時代に暮らす12歳の少年の恋や夢を軸に据えながら、占領下で暮らすパレスチナ人の悲しみ、パレスチナ・ゲリラとイスラエル軍の戦いの厳しい現実を描いている。

 主人公ユーセフは、ジプシーの少女に恋をする。少女は、祖父が祖母に贈った首飾りから失われた三つの宝石を、南米で見つけてくることを結婚の条件にする。ユーセフは、南米に行こうと奔走し、欧州に輸出されるオレンジの箱の中に隠れたりもする。しかし、偶発的な状況でイスラエル兵によって、射殺されてしまう。
 作品には、パレスチナの地を占領するイスラエルに対し抵抗運動を行うパレスチナ・ゲリラが至るところに登場する。主人公の兄も、ゲリラ活動に身を投じ、父は、イスラエルによって逮捕、投獄されている。こうした厳しい現実に暮らすユーセフは、失われた美しい宝石があるという、南米の地に強くあこがれる。
 だが、作品の最後の部分で、三つの宝石がなくなった場所は、南米ではなく、実はパレスチナでだったことが明かされる。と同時に、「肉体、時間、空間」こそが、「三つの宝石」であると暗示される。これは、「遠くにあると思っていたかけがいのないものが、実はすぐそばにあった」というメーテルリンクの童話「青い鳥」を連想させる。
 これら一連のラストシーンは、幻想的でとても難解だが、クレイフィがパレスチナ人たちに呼びかけたかったのは、つまり、こういうことではないのか。
 「我々パレスチナ人は我々の「肉体、時間、空間」を守っていかなければならない。パレスチナ人であること、パレスチナ人として生きていくこと、パレスチナ人の空間を守っていくこと。たとえ、イスラエルの占領下という困難な状況の中にあっても。それこそが三つの宝石である」と。
 クレイフィ監督は、1950年に、建国直後のイスラエル・ナザレで生まれ、その後70年にベルギーに渡った。家族・親せきの多くはレバノン、シリア、ヨルダン、アメリカなどに離散したという。
 監督は、95年の東京国際映画祭参加のため来日した際、季刊雑誌「アラブ」のインタビューに対し、イスラエル国内で暮らすパレスチナ人の状況をこう語っている。
 「私たちは労働力としてイスラエル社会の根幹をなす一部であったにも関わらず、つねに軽蔑され、汚い仕事はすべて「アラブの仕事」と呼ばれてきました。このような矛盾の中で、人間がバランスを保つというのは難しいことです」。
 イスラエルの下でパレスチナ人が人間らしく生きていくことの困難さを思い知らされる中で、クレイフィは「三つの宝石」の重要性を、作品中のメッセージに織り込んだのだろう。
 クレイフィは言う。「人の一生は短い。この短い年月を尊厳と公平をもって、市民として生きたいのです。自分自身でいる権利が欲しいのです。そのためには戦わなければなりません。私は暴力には反対です。しかし、尊厳と公正を求めています」。

 イスラエルとのパレスチナの和平の機運は、1990年代に一時高まったこともあったが、まもなくしぼみ、長いトンネルのような混迷が続いている。クレイフィが言うパレスチナ人の「戦い」は続いているのだ。
 ひるがえって、平和な時間に暮らす私たちは、「肉体、時間、空間」を自分のものとしているかという自問には、自答すらすぐにはできない。が、クレイフィがこの作品でそっと差し出すメッセージは、しっかりと受け止めたいものだ。鑑賞の機会があれば、ぜひ。

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