戦場で生まれた娘のため、シリア内戦を記録し続けた母
人は誰しも、悪夢のような体験をした時、「早く忘れてしまいたい」という気持ちになるものだろう。シリア・アレッポで、シリア政権軍の激しい空爆にさらされ続けたシリア人女性、ワアド・アルカティーブさんにももちろん、自分の経験から目を背けてしまいたいという気持ちがあった。
ワアドさんと、英国人のベテラン映画監督エドワード・ワッツ氏の共作のドキュメンタリー映画「娘は戦場で生まれた」は、シリア反体制派の支配地だったアレッポで、ワアドさんが4年にわたって撮影した映像を再構成し、そこに自身のモノローグを重ねた作品だ。昨年のカンヌ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
後半のモノローグで、ワアドさんは、撮影した映像を作品化するとなると、アレッポでの経験を繰り返し振り返ることになることを自覚し、それはとても辛いものになると予想した上で、こう語る。
「心の傷が癒えなくても後悔しない」「(私が)撮影した人々は消えない」
自分には、シリア内戦で最も悲惨な戦場だったとされるアレッポで見たものを記録し、多くの人に伝える義務がある。そんな風に感じ、映画作品にする決意を固めていったのだろう。
いわゆる「シリア内戦」が始まった2011年、ワアドさんはアレッポ大学でマーケティング専攻の学生だった。作品は、医学部の同級生で空爆で負傷した市民の治療にあたっていたハムザとの結婚、娘のサマの誕生、といった自身の人生の歩みをつづりながら、政権軍に包囲され空爆を受け続けたアレッポの状況を描いていく。英語原題は「For Sama(サマのために)」。夫婦がサマと3人でアレッポにとどまり続けたのは、「娘のサマのためだった」のだ、と暗に訴えている。
作品では、ワアドさんがサマと向き合い、心の中の対話する場面が出てくる。「逃げ出すと、子供への悪い見本になる」。ワアドさんはナレーションの中でそう語っている。夫婦には、アレッポを去るという選択肢もあっただろう。にもかかわらず、アレッポにとどまり、撮影と負傷者の治療を続ける選択をした。サマが大きくなった時、そうした両親の生き方をきっと理解してくれるはずだ、という願いがあったのだろう。
「あなたは状況を理解している。あなたは普通の子のように泣かない」。ワアドさんはあまり泣かないサマの表情から、ワアドさんは、そんなことを感じ取る。
日本版の宣伝ポスターの写真は、廃墟となったアレッポ市街をバックにサマを抱いたワアドさんが立っている、といものだ。ワアドさんが布地で頭髪を隠して立っているのは、政権軍に包囲されたアレッポで、イスラム過激主義者たちの影響が強まってきて、彼らを刺激しないためにベールを着けたからだ。宣伝ポスターは、ワアドさんらアレッポ市民が、アサド政権の攻撃とイスラム過激主義者という2つの脅威に直面していたことを視覚的に表しているといえるだろう。
作品パンフレットの中で、日本在住のシリア人ジャーナリストのナジーブ・エルカシュさんが、アレッポを含めたシリアの一般市民が、アサド政権とイスラム過激派という2つの脅威に直面し、複雑かつ困難な状況に置かれていることを指摘している。
「空からはロシアの戦闘機が空爆し、地上で過激派イスラム原理主義勢力団体が力を増しながら市民団体を抑圧しようとする。アルカティーブ監督たちが経験したのはまさに2戦線での戦いだった」。ナジーブさんは言う。
そうした状況、つまり、「イスラム主義の過激派の団体の影響力が増えれば増えるほど、国際世論が更に戸惑う」というのだとナジーブさんはいう。ISなどイスラム過激派組織の台頭に神経をとがらせる欧米諸国からすると、アサド政権の弱体化で過激派が台頭するというシナリオは何としても回避したい。一時は政権崩壊寸前までいったとも言われるアサド政権が息を吹き返したのは、そうした事情も影響していると思われる。
逆に、アサド政権からすれば、イスラム過激派台頭という状況は、自分たちに有利に働くと考えても不思議ではない。実際、イスラム主義者を厳しく弾圧していたアサド政権が、内戦後、獄中のイスラム主義者を一挙に釈放したとも言われている。複雑な政治力学のうねりを受けながら、シリア内戦は、その端緒から9年を迎えようとしている。
この作品は、21世紀最悪の人道危機といわれるシリア内戦でも最も凄惨な現場とも言われるアレッポ包囲の実態を示すだけでなく、内戦のこみいった状況が大きな背景として浮かび上がってくる、上質のドキュメンタリー映画だといえる。2月29日、東京のシアター・イメージフォーラムで公開が始まる。
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