20年のあゆみを振り返る--カフェバグダッド×比呂啓対談⑨(おわり)
「アラブの春」が始まり、チュニジアやエジプトで政権が崩壊。東日本大震災直後の騒然とする日本に帰国したのは2011年の4月。それから2年余り、東京の新聞社の国際報道部門で、ニュース編集者の「デスク」として勤務。この時期は、激動の中東情勢にほんろうされ、カフェバグダッドの活動は事実上の休眠状態になる。2013年から約3年、再びエジプト・カイロに赴任し、勢力を拡大していたIS(日本メディアの多くは「イスラム国」と表記した)の動向取材に追われた。そんな中でも、出張先でカフェを訪れることは欠かさなかったし、カイロで友人・知人とノーベル賞作家やアラブの歌姫ゆかりのカフェに行く、という企画も実行した。
2016年に日本に帰国。電気で動く「トルコ・コーヒーメーカー」を使ってコーヒーを入れるイベントなどを開催したりする一方で、2018年にnoteに記事を書き始める。2019年には、そのnoteで、「この広い世界を知るための10皿」というマガジンを開設し、自身で中東料理について執筆するとともに、ほかの人たちにも広く投稿を募る、という試みを始めた。
比呂 なんで、noteで「10皿」を始めたんですか? ブログでもよかったんじゃ。
カ まあ、前の年にnoteという新しいツールを使った情報発信を始めていましたからね。その流れの中で選びました。ハッシュタグを使えるとか、ツイッターと連携しやすいとか、その辺が面白そう、とも思いました。
比呂 以前は、ブログを熱心にやっていましたよね。
カ そうですね。2004年のカフェバグダッド設立から、イランに行く2008年ぐらいまでですかね。「中東イベント情報」というブログも、カフェバグダッド・イベントを手伝ってもらっていた水野香里さんの力を借りながらやっていて、かなりのイベント情報を掲載したんですよ。
比呂 イベント情報、もうやめちゃったんですね。
カ 更新はやめちゃったんです。ネット空間上にはそのまま残してます。今見返しても、「ああ、こんなイベントがあったんだな、とか、こういうやり方でイベントをやっていたんだ、とか、へえ、と思う」。あと、今回20年の歴史を冊子にまとめる際、よくわからなかったことを、このイベント情報の過去記事をみて分かったことも結構あった。
比呂 なんでブログやめちゃったんだろう。
カ うーん、まあ、ツイッターとか、フェイスブックとか、SNSを使うようになったからのような気がする。時代がそっちにシフトしていきましたよね。
比呂 あとnoteね。
カ ツイッターは当時は140字という制限があったし、ブログ的に使えるのは、noteかなと。さっきも言ったけど、あと他のSNSとの親和性があるよね。比呂さんは、多分一番多く寄稿してくれた人だと思うんだけど、第一号は、イラクの料理についてですよね。
比呂 そうそう、2019年にイラクに行って、帰ってから書いた。これからどんどん書いていって、日本の「移民の食」を紹介し始めるきっかけにもなったと思う。
カ いやあ、ほんとたくさんnoteに書いてますよね。かなりのページビューを記録している。特に、お菓子のバクラヴァについて書いたやつ。これ、いいねの数もすごいですね。
比呂 これが一番盛り上がったやつですかね。でも、その後にこの記事などを使って、ZINEを作ることになったわけですけど、noteに書いたことで、ほんと作りやすかったですね。コンテンツがある程度そろっていたわけだから。
カ ZINEを作りはじめたのは、コロナ禍の影響も大きかったよね。私も、ちょこちょこ再開していたイベントが、コロナでできなくなって。「自宅にアラブカフェ空間を作る」なんてこともやっていたけど。やっぱり、文章を書いて、それをどうにかしようとということで、ZINE作りに走った。
比呂 それは、本当にそうですね。
カ 第一号の「カフェバグダッド アンソロジー vol.1」の発行が、2021年の6月ですね。これは、まず「文学フリマ岩手」に出品しようと思ったけど、イベントがコロナで中止になってしまった。それで、とりあえずというか、boothというところにウェブストアを開設した。
比呂 文フリで売り始めたのは東京から。
カ そうですね、2021年11月の文学フリマ東京ですね。この時から、比呂さんや、ベンガル料理など「スパイス系異国メシ」に詳しいじょいっこさんとの文フリ共同出店が始まりますね。
比呂 それにしても、ZINEを作るにしても、noteに書くにしても、情報の分類・整理、特に写真の整理が大変ですよね。どうしているんですか?
カ 確かに大変だよね。ひとつは、情報発信を兼ねながら、整理整頓していくというのはありかも。たとえば、カフェの場合、2回目にカイロに赴任した2013年から、「フェイスブックページ」というのを作って、そこに、行ったカフェの写真や情報を行ったつどあげていたんです。今回、例の「教科書」に、中東カフェ図鑑を掲載できたのも、その蓄積に支えられた、というのは大きかったと思う。ある程度、情報が整理されていたから。
比呂 なるほどね~ そろそろ時間でもあるので、最後まで行きましょう。それで、新聞社を退職したんですね。カフェバグダッドに本腰をいれるためですか?
カ うーん、カフェバグダッドをやるため、という訳でもないと思うんだけど…まあ、そろそろサラリーマンは卒業でいいかな、という思いもあり…
比呂 まあ、でも活動の形が変わっていく、というのはありそうですね。
カ そうですね。こういう20周年イベントも、比呂さんに合同開催を誘われたからやることになったけど、会社にいたら、いろいろな意味で、実現しなかったかも知れないですね。
比呂 ほんとだよね。
カ あと、この「教科書」といっている冊子も。この20年を文字と写真で一応、まとめられたんで、あるととても便利なんですよ。誰かに聞かれたときとかに、これをめくればすぐに答えられるので。けっこう時間もかかったけど、作ってよかったです。
カ 比呂さんは、これからもZINEをどんどん作っていくんですか?
比呂 いやあ、なかなか時間がなくて。youtubeのほうもほったらかしになっている感じもあるし。
カ 「エスニック・ネイバーフッド」チャンネルですね。動画はまた、いろいろ手間もかかるし大変ですよね。私が、比呂さんを文字・印刷物のほうに引きずり込んでしまったのかも、と思うとなんだか申し訳ない…
比呂 影響おおありですよ(笑) でも、「インフルエンサー的」には、プラスになったけどね。
カ メディアが増えたわけですもんね。
(おわり)