カフェバグダッドと日本SNS発展史④--ツイッター(現X)
2008年に、日本からイランに引っ越して、「カフェバグダッド」のリアル・イベントには関われなくなった。ただし、私がいなくなった後も、当初からの共催者が、引き続きイベントを開催しつづけた。それは2010年はじめまで続く。
テヘランにいた私といえば、イベント開催と密接な関係にあったミクシィ上の交遊からも、やや疎遠になる。そもそもイランのネット環境の劣悪さが、ブログやSNSへのリーチを困難にした、という状況があった。
そんな中にあっても、テヘランに住み始めて1年余りたった頃、ツイッターの利用を始めた。最初のつぶやきは2009年11月13日。「イランのテヘランで生活中」だった。
当時のイランは、特に日本や欧米のサイトのほとんどが当局にブロックされている状態。当然、ツイッターもそのひとつだった。欧米と敵対するイスラム体制下での情報統制のすさまじさを実感することになるが、実は、その統制からの抜け道もあった。
ここで、詳細を書いていいものなのか分からないが、イラン人のあらゆる国家の規制をくぐりぬけて、自分たちの自由を得ようとするたくましさを実感することにもなった。
当時は、スマホという利器が出現したばかりのころだったと思うが、イランで入手することはできず、ツイッターのつぶやきには、パソコンを使っていた。かぼそいネット環境では、写真添付も困難で、日本語で短文を黙々とつぶやいていた。
それでも、イランからのツイートには、物珍しさもあったのだろう。日本のユーザーとの交流も結構、活発化することになった。これから、当時のツイートを見返して、どんなやりとりをしていたのか、今後紹介していきたいとも考えている。少しだけ、一例を以下に。
当時、つまり私が滞在していた2008〜2011年のイランは、フェイスブックの人気が高まりつつある時代だったと記憶している。このSNSにしても当局がブロックしていたのだが。それを潜り抜けて使っている若者が多くいたのだった。
実際、保守派と改革派が激突した2009年のイラン大統領選と、選挙結果をめぐっての改革派の抗議運動には、フェイスブックを中心にSNSが活用されていた。世界で起きていたSNS普及を通じた情報「革命」はイランにも押し寄せていた、という訳だ。(続く)
*冒頭のサムネイル写真は、イランの首都テヘラン北部の風景