【記録⑧】人はなぜ、ヘイトスピーチに走るのか
以前、東京外国語大学の講座でクルド語を習った、トルコ出身のクルド人であるワッカス・チョーラクさんが、こんなツイートしていた。
同意できる内容だ。日本でヘイトスピーチがはびこっている理由について、「差別は金になるから」だという見方だ。最近、ある「ジャーナリスト」が書いたこのニュースサイトの記事がツイッター上で数多くリツイートされ、いいねがつけられていた。改正入管法への支持を主張する中で、日本に暮らすクルド人を不当に誹謗中傷している記事だ。
残念なことではあるが、ネット記事で、日本に住む外国人をおとしめるツイートは後をたたない。大変悲しい現実だが、それはページビューを稼げる記事であり、ニュースサイトや筆者にお金をもたらしてくれるからという側面は大きい。ワッカスさんが指摘するように、外国人排斥を主張する言説で「金銭的な利益」が発生する構造は、ヘイトスピーチがはびこる大きな理由の一つだ。
そうした構造を支えているのが、ヘイトツイートに「いいね」を押したり、リツイートしたりする多くの人々だ。だが、彼らはそうした言説を心底から支持しているのだろうか。心の中に広がっている、まったく関係のないモヤモヤした感情が、「いいね」を押す推進力になり、結果としてヘイト容認・支持につながっていないのだろうか。
閉塞感が拡大している日本で、多くの人々が募らせていると想像できる心理的な「いらだち」を、ネット上で、さらに立場の弱い外国人などにぶつけている人も多いのではないか。日本で生きる外国人が直面している現実をよく知らないまま、ヘイト言論になんとなく同調してしまっている人も多いのではないか。ノリによる「付和雷同」が増えているのだとすれば、それがとても危険な兆候であることは、日本のここ90年の歴史が証明している。
一方、外国人についてある程度の知識があり、自身でものを考える訓練もある程度積んできた人々が、ヘイトスピーチに手を染めているとしたら、それは、どんな理由があるのだろうか、という疑問もわく。
ひとつの実例をあげてみたい。私と私の友人に対して、ツイッターなどでネット中傷を延々と続けている人物のケースだ。誹謗中傷問題については、ここではひとまず触れない。(概要を知りたい方は、以下のnoteマガジンを参照してください)
この人物、中東地域について研究しているいわゆる「中東研究者」なのだが、自身の研究対象である人々に対するヘイトスピーチを重ねている。具体的には、イスラム教徒の方々や、パキスタン人、ペルシャ湾岸アラブ諸国の人々がその標的だ。対象の国や人々に関する「無知」がヘイト行為の理由だとはいえない人物だ。それが、なぜ、ヘイトの闇に落ちてしまったのか。参考までにヘイトツイートのごくごく一例は以下の記事にはり付ける。
ツイッター検索で「クソリム」(文字にするのも腹立たしいが)といったキーワードで検索すると、それこそ無数に彼によるヘイトツイートが引っかかってくる。「クソリム」は、イスラム教徒を不当に貶めるため、この人物が考えた造語だ。彼は現在、記事執筆当時とは違う、私と私の友人のアカウント名を勝手に使用した珍妙なアカウント名を使って、誹謗中傷ツイートを続けている。
一定の知識と思考力があるのになぜ、こうしたネット上での言葉の暴力に突っ走ってしまうのか? 過去のツイートをすべて読んだわけではないが、彼自身の個人的な体験に根差していることが読み取れる。つまり、彼のヘイトツイートは、過去に研究者として接した、主に中東地域に住む、あるいは中東地域出身の人々へのうらみつらみという色彩が非常に濃厚だといえるのだ。
確かに、中東に限らず、旅行先であっても、住んだことがある国でも、外国で不愉快な経験をすることはあるだろう。しかし、そうした個人が個人から受けた体験に基づく怒りを、国全体、あるいは民族全体、宗教全体に対象を拡大して、誹謗中傷するという行為は、許されることなのだろうか。
現地での不快な経験をヘイトの原動力にしているというのは、人間の思考回路・行動としてあまりに短絡的だと言わざるを得ない。
よくよく考えると、ある意味、無知からくるヘイト加担よりも、こちらのほうがより深刻と言える。個人の体験・感想を排除した客観的な思考を選択すべき研究者が、憤怒にまかせた暴発をしているのだとしたら、そのほうが、心の腐食の度合は高いといえるからだ。腐食の面積は限定的であり、ごく例外的なケースであることを願うばかりだ。
もうひとつ。このヘイトツイートを無数に発信している人物が現在も継続している、個人や企業への誹謗中傷ツイートに対し、明らかに賛同の意味合いで「いいね」を押したり、リツイートしたりしている人たちへの提言だ。そうした行為は、当該誹謗中傷ツイートのみならず、ヘイト行為にも加担していると受けとられかねない、ということをぜひ、冷静に考えてほしい。
この人物、最近は、ツイッター上で外国人へのヘイトスピーチを行っているのをあまりみかけない。その理由はわからないが、もし、仮にこれまでのヘイト行為を反省して、「改心」したというのなら、過去のツイートをすべて消去した上で、イスラム教徒、パキスタン人の方々へ、謝罪を表明してもらいたいものだ。何より、今のようにネット空間に放置したままでは、ターゲットにされた人々を傷つけ続けることになってしまう。あまりに深刻な人種・宗教への差別的・侮辱的な言説を吐いておきながら、「そんなこと言いましたっけ?」などと、シラを切ることは許されないはずだ。
日本が「ヘイト社会」に傾斜するのを食い止めるためには、一時の怒りにとらわれない冷静な判断と、人として最低限の礼節と誠実さに基づく対応をひとつひとつ積み重ねていくこと以外に道はないと思う。