【ネット中傷のレトリック】見ず知らずの人にマウントを取る研究者の心理
菅瀬晶子氏ら、中東研究者とみられるXアカウントから、執拗な中傷を受け続けて2年近く。だいぶ前にブロックしているので、最近のことはよく知らないが、当初の菅瀬氏らの当時のツイートには、人を見下そうという「マウントを取りたい」心理がありありとみえた。
一例をあげてみる。これは、NHKテレビが、朝の番組「あさいち」で「アラブの炊き込みご飯マクルーバの作り方」という企画を放送した時のこと。公式ウェブサイトに掲載された「作り方」についての説明書きについて、「スパイスの数が足りないし、却下却下」とつぶやいていた。
自分が裁判官や大統領だと思っているのだろうか。何もそこまで、乱暴な口調で拒絶することもないと思うのだが、この方には、他者を尊重することなく、自分が一番、という心理を背景にしたマウンティングばかりが目立つ。
私も被害者。明らかにカフェバグダッドに対しての失礼な発言。この方、国立民族学博物館の准教授のようで、立派な研究をされてきたのかも知らないが、見ず知らずの人間にこういう言い方をしていい、ということはないだろう。どうしてこういう上に立った物言いになってしまうのだろうか。今回は、SNSマウンティングに走る人たちの理由を考えてみる。あくまで一般論の話である。
強い承認欲求
自分の意見や知識が評価されることを強く求める人がいる。ネット上は手軽に多くの人と交流できる場ではあるが、彼らにとっては、他人の反応を求める舞台にもなる。もし、その人が普段の生活で十分な承認や評価を得られていない場合、ネットを使って自分の知識や立場を誇示しようとする傾向が強くなることがありうるだろう。
専門性への執着
専門分野での知識を積み重ねることでキャリアを築いている人のため、その分、自分の専門性に強いプライドを持っていることは多い。もちろん、それ自体何も悪いことではないが、自分の専門性が軽んじられているように感じて、防衛的に「マウント」を取ろうとすることがあるかもしれない。
劣等感や不安
堂々としたマウンティングも、その裏には劣等感や自己不安が隠れている可能性がある。大学や組織内で競争が激しいため、自分の位置や価値を常に意識せざるを得ず、「自分は他者よりも優れている」という感覚を確認するための行為として、マウンティングを無意識に行っている場合がある。
コミュニケーションスキルの欠如
専門家の中には、自分の知識を他者に伝える方法や、他者との対話の仕方に問題がある人もいる。研究に没頭するあまり、一般の人々とのコミュニケーションスキルを磨く機会が少なかった場合、対話が攻撃的や一方的に感じられる形で現れることがある。
ネット特有の心理効果
ネットは顔を合わせない環境であり、匿名性や距離感が生じやすい。このため、対面では控えめな人でも、ネット上では攻撃的になりやすい傾向がある。これにより、現実以上に自分の意見を押し付ける行動に出る場合がある。
では、そうしたマウンティング行為にどう対応すればいいのか。考えられるのは「挑発にはのらずに無視する」「ブロックやミュートする」といった方法だろう。
私の考えでは、相手の奇矯な行動に振り回されてエネルギーは使わないようにする一方で、理不尽に中傷に至った場合は、毅然とした対応をとることが大事だ。
だから、度を超したネット中傷を見過ごすつもりは一切ない。過去の書き込みについても、引き続き、消去を求めていく。自分がやってきたことの意味をいま一度、考えて欲しい。念のため、これまでの中傷ツイートをまとめたマガジンのスタートの回を貼っておく。自分たちがやってきたことを、真摯に振り返って、行動に移してもらいたい。その一方となるのが、今も公共空間に放置している問題ツイートなどの消去だろう。