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シリア新政権部隊の攻撃は、ヒズボラの凋落やイラン影響力の劇的低下を示す

アサド政権が崩壊したシリア。アハマド・シャラア暫定大統領率いる暫定政権がレバノンとの国境付近でヒズボラとみられる武装集団に対する攻撃を行い、緊張が高まっている。

ヒズボラと対立関係にあったシリア反体制派を中核とした新政権がこうした動きをみせるのは、不自然なことではないが、今後、シリア・レバノンでのヒズボラ勢力の一掃、さらにはイランの影響力を排除する試みに拡大していく可能性がある。長年にわたりシリア・レバノンに影響力を行使してきたイランにとって、この動きは今後、大きな打撃になっていくかも知れない。

ヒズボラは1980年代初頭、イスラエルのレバノン侵攻に対抗するために設立されたイスラム教シーア派武装組織。主にレバノン南部やベカー高原に居住するシーア派住民から支持を得ている。新しい人口統計がなく、詳細不明ではあるが、多宗派国家のレバノンでシーア派は全人口のおよそ3割を占める有力宗派である。ヒズボラは、イランが掲げるイスラム革命思想や反イスラエル路線をかかげて台頭し、イスラエルに対する武力抵抗の象徴となった。1990年代にはレバノン国内での政治的な影響力を拡大し、2000年にイスラエルが南部レバノンから撤退すると、ヒズボラは「抵抗運動の勝利者」としてその地位を確立した。

ヒズボラとみられる武装集団が、シリアの新政権軍から攻撃を受けるという展開は、ヒズボラの凋落とイランの影響力が劇的に低下しつつある現実を浮き彫りにしている。

私は2010年にレバノン南部を訪れ、ヒズボラの影響力が拡大していく状況を取材した。当時、2006年にイスラエルとの交戦を経験したヒズボラが、イランの支援を受けて復興を進めていた。ヒズボラが事実上支配する南部の街には「イラン・イスラム共和国の援助による再建」と書かれた看板が掲げられ、破壊された建物や道路などが急ピッチで修復されていた。ヒズボラは戦争の爪痕を消し去ることで、住民の支持をさらに固めていた。

丘の上に、ヒズボラ旗とともにロケット弾の模型が展示されていた(2010年)

丘の上にのぼると、ヒズボラの拠点の一つに設置されたロケット砲のモニュメントがあった。黄地に銃をかかげた腕が描かれたヒズボラ旗がはためき、軍事力的な存在感を誇示していた。破壊された建物は点在していたが、復興は確実に進んでいるようにみえた。特に「イラン庭園」と名付けられた施設の入り口には、真新しい看板が掲げられ、その脇にはイランの最高指導者ハメネイ師のポスターが誇らしげに展示されていた。イランは、レバノン南部の復興に、自身の存在を刻み込もうとしていた。

イラン庭園を見学する人々(2010年)

当時のイランは、シリアのアサド政権と密接な関係を結び、レバノンのヒズボラを支える重要な役割を果たしていた。シリアはイランとレバノンをつなぐ要衝であり、イランが武器や資金をヒズボラに届ける生命線だった。しかし、それから15年が経ち、アサド政権が崩壊したことで、状況は大きく変わった。

イランのヒズボラへの供給路は断たれつつある。ヒズボラはかつてのように自由に活動できなくなり、今後弱体化が進むだろう。シリア新政権軍の攻撃は、ヒズボラの凋落とイラン影響力の劇的低下の序曲となる可能性がある。


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