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ねこ店長になりました

 私はとあるカフェのねこ店長。
 名前は『シャムネコのシャオ』
 漁港でのんびり生活をしているところ保護されたいわゆる野良猫だった。
ずっとほかの猫たちとのんびり漁港でたまに私たちを見に来る人間たち餌をもらったり、漁師やボランティアの人たちが過ごしやすいように家や食事を与えてくれていた。
 私たちは『漁港ねこ』として地域の人たちに支えられていた。私はその猫の一匹だった。
 私がねこ店長と呼ばれる前は、漁港で人間に怯え、餌をくれるといっても他の猫たちのように信じてはいけないと思い、触ろうとする人たちにはパンチを喰らわせていたから、あまり好まれなかったのかもしれない。
そんな私もある日体調が優れないときがあった。人間と同じように猫も体調を崩すときがあるのだ。野良猫は他の動物たちに傷つけられたり、悪い人間に意地悪をされたりは日常茶飯事だ。
 ボランティアの人は獣医のいる病院へ連れて行ってくれるのだが、人間から見たら、自然界で生まれつきの病やケガや感染症は仕方がないものだといわれてしまう。必要に応じて薬はくれるものの、飼い猫と違って勝手も違うらしい。でも優しく見守ってくれる人たちがいてくれるだけでもありがたいと思うしかないのだろう。
 とある暑い夏の日、私はいつもの漁港で普段見慣れない男と出会った。がっちりとした体つきで、見た目は怖そうだが、なんだかほんわかした男だった。はじめは月に1回様子を見たり、私たちの写真を撮ったり、餌をくれたりしていた。数か月してからは毎週決まった曜日の決まった時間にきて、漁港を数時間歩き回り、私たち漁港ねこを探し歩いている。具合が悪い仲間がいれば誰かに電話をし、見慣れない漁港ねこがいれば写真を撮り誰かに相談しているようだ。
 私も餌をもらうから食べるのだが、人間の手から差し出されるは苦手でついついパンチしてしまう。触れるのは慣れてないから、怒ってしまう短気な性格なもので、この男はしょっちゅう困っていたのかもしれない。
 そんな私も残暑がまだまだ厳しいとある年の9月に体調を崩してしまい、餌も食べれずに寝込んでしまったのだ。歩けばすぐに息が切れるし、食事ものどが通らないためにやせてしまった。
 その時、またあの男と出会ったのだった。彼はカフェのオーナーらしく、私はパンチする余力もなく、心配そうに見つめる彼に抱かれてそのまま病院に連れられたのだった。診察を受けている間、彼はどこかに電話をしていたようで、医師から病状説明を受けると、
「関係各所には連絡して了解をもらったので、私の家で見ます」
と話していた。
 私は野良猫を、漁港ねこを卒業して飼い猫となった日だ。
 彼は仕事の時も、寝るときも私のそばに寄り添って介抱してくれた。そして1週間ほどして体調は回復し、この恩をパンチして返すわけにはいかないと思い少しずつ彼のそばに寄るようになった。
 彼の営むカフェは祖父母から続いているカフェのようで、昔の純喫茶のようなところで、コーヒーの香りが店内にちょうどよく香っており、見た目に似合わず、ケーキなどのスイーツを器用に作る男だった。
 気づけば私もお店の看板ねこになっており、小さい子どもからお年寄りまで来店するお客に可愛がられ、ある子どもから
「ねこ店長さんまたね」
と言われてから、オーナーの彼に、
「シャオは今日からねこ店長で決まりだな!」
と言われ、なんと勝手なことを想いつつもその響きは嫌いではなかった。
今日もとあるカフェのオーナーのもと『ねこ店長シャオ』としてこの小さな漁港の町を見つめている。

 

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