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「普通じゃない生活」はグランパグランマ譲り

電話したいというLINEが来たのでかけると☏

👴👵「今ねアユタヤに居るの〜」

私「そうなんだ!観光?」

👴👵「ううん、引っ越す!」

えええええ?!またぁ?!www

またぁ、と言うのは、2人は昨年の10月に引っ越ししたばかりだ。
(とは言っても、同じマンションで14階から21階にね)

聞くと、1週間前に思いつきそこから即行動で既に家は決まりそうらしい。笑
いろいろ、早いわ!!!!!😂😂😂😂😂

75歳おじいちゃん。LINEを使いこなしてます。笑
日本人の家族が、クロアチアとタイでいつでも電話できる時代。すごいよ。
そして、電話のお決まり文句は
「ちょっとまってねぇ〜、あぁできたできた!」と必ずテレビ電話にチェンジ😂
顔まで見れるんだから、すごい時代だ。
家族が各国に散らばってる私にとっては、本当にありがたい。感謝。


私の祖父母であるグランパ、グランマは、今タイのバンコクに住んでいる。
これも、突然のことだった。
仕事の関係で数年間福島に住んでいたのだが、山梨にある別荘に永住することにした!3ヶ月後に引っ越す!と言って山梨へお引越し。
そして、半年くらい経ちようやく落ち着いたと思った頃…

👴👵「タイに住むことにした!😆」と。

えええええ?!永住する!って言ってここに来て、まだ半年くらいしか経ってないよ?!笑

祖父は会社を経営していて、タイにもある。
そのタイでは色々と問題があり、オンライン会議で社員から「どうしましょ…」と言われ、なかなか進行しない話に痺れを切らした祖父が
👴「えぇぇい!俺が行く!」と、その場で言ってしまったらしい。
事前の相談も何もなかったのにも関わらず、会議の会話が二階から聞こえてきた祖母は
👵「私もついて行くわよ〜。」と、すかさず言ったらしい。
小さくてふわふわしてるから、妖精さんみたいと言ってもらったり、
若い時の顔はオードリー・ヘップバーンみたいだと夫が褒めてくれるのだが、
そんな祖母は、姑さんとの戦いにもめげずここまで生きてきて、肝が座っていて強い。

そんなこんなで72歳にして、タイへ移り住むことが決まり、これも約3ヶ月で飛び立った。

タイのバンコクに移り住み、1年して、
👴「部屋のオーナーと、反りが合わないから上の階に引っ越す♪」と昨年10月に引っ越したのに、
またアユタヤへ引っ越すとは…。


現75歳👴
バリバリ現役で働いていて
6:00に家を出て出社し、20:00に帰宅する日々。
本当にタフだ。

タイを知ってる人はわかると思うが交通環境が非常に悪く、通勤だけで5時間かかっているため、会社に近いアユタヤに移るという背景があるので、引っ越しは大賛成。
これで少しは身体ラクになってほしい。



タイへ行く前に戻るが

そもそも2人は60代後半で初の借家暮らし/アパート暮らしをした。
それまでは東京で土地も家もあり、そこに暮らしていたが会社の関係で福島での仕事が増え、持ち家を賃貸として貸し出して、福島に行くことを決めた。

65歳とかだった気がする。
それが初の引っ越しとアパート。
それを機に荷物も減り、心も軽くなったらしく、ヤドカリのごとく、毎年のように引っ越しをしている。笑


福島で3回
タイで3回目。 

最近になって知ったのだが、60歳になったらキャンピングカーであちこち行こうねと結婚した時に話していたらしい。
まだまだそんな時代じゃなかっただろうに。
そして、そこまで私たちと一致するなんて。

キャンピングカーであちこちでは無いけれど、
海外に今は住んでいて少しは楽しめてるかな???☺️




楽しい側面を書いたが、背景にはたくさんの苦難がある。
祖父の会社は、東京に本社
そして工場が福島とタイにある。

2011年3月11日 東日本大震災 
2011年10月4日 タイ洪水

見事に同じ年にどちらも震災にあった。


多くの機械が使えなくなり、建物も壊れたことを思うと、本当にイチから作るのと同様だっただろうと思う。
それも2箇所も。
プライベートで仕事の話をたくさんするタイプではないので、細かなことは正直知らない。
しかし、事実だけ見ても相当大変なことはわかる。

資金面での苦労もあり、費用を抑えるためにアパートへ移ったりした。
そして仕事でも、福島へ、タイへ、あちこち飛び回っていた。


そして68歳くらいで、タイで吐血し死にかけた。
胃潰瘍が爆発したらしい。

祖父は人が大好きで、すぐに仲良くなり、面倒を見たり可愛がるのが好きだ。
この頃は未だタイは出張で行っていて、毎月のように利用するホテルがあった。
そこで働いてるスタッフを仕事後に食事に連れて行ったり、スタッフが休憩時間になると部屋にきて一緒にタバコを吸ったりしていたそうな。
そして祖父は一人ひとりの名前を覚えて関わる人だ。
そんな、スタッフ全員と友達🧡みたいな勢いの祖父だったから、
顔色が悪いことにすかさずホテルのスタッフが気がついてくれ、
そこから、色んな人が早急な対応をそれぞれがしてくれて、どうにか命をとりとめたらしい。
(善い行いは自分に返ってくるというのは本当だと思う。)
その後、「見つかったら最後」だと言われる箇所でも見つかった。

そして私はこのあと、「病は気から」を立証する出来事を経験する。


私の弟が会社に入るという想いと、祖父持ち前のポジティブさで、心が前向きになったら、
お医者さんもびっくり、癌が消えたのだ。

何度検査しても、他の所で検査をしても、癌が消えていたらしい。
震災や、病気全てを見ても祖父は何か選ばれた者なのだろうと思えてくる。


祖母もなかなかにパワフルで愉快な人なのだけど、長くなるからまた。祖父母について記録しておきたいことがたくさんある👵👴🧡


夫が撮ってくれた写真
  


ジェットコースターのように、HAPPYなことと苦悩なことが起きてる祖父母の生活を見ていると、私の今の生活は、完全に2人の血を引いてるなと思う。





有り難いことに、
祖父と、夫は非常に仲良しだ。
私の夫は、親族の男性陣で
祖父の一番の理解者だと思う。
thak you….🌷



今回電話はヒカルは仕事で話せたなかったから、
切る前に
「ヒカルを驚かせてね?!
アユタヤ引っ越すらしい〜じゃなくて
バンコクから居なくなるんだって!
っていうんだよ?!
きっとヒカル驚くだろうな😁😁😁」と言うグランパでした😂🧡


4人でメークロン市場に行った時



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