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雨は毛布のように

梅雨の季節になった。
ところどころに紫陽花が咲いている。

カフェスケールのある三重県尾鷲市は、有数の多雨地域として知られている。

短時間の降水量が多く、車を運転するのも危険を感じるほど。

そんな時は、外での仕事を諦めて、雨音をBGM代わりに部屋にこもって仕事をするしかない。

タイトルは『キリンジ』の曲名から。

ざあざあ雨はクールな調べ
ずぶ濡れで僕らは笑う
慣れっこのはずの行為が
同じ路地を飾るよ
ふざけてもいいかい
仲直りがしたいんだ

MVも素敵で土砂降りの雨の日はこの歌を聴いて、雨と仲良くなる。




この仕事に就いて以降で、もっとも自分の仕事に影響を与えた漫画をひとつあげるとしたら『へうげもの』(=ひょうげもの。戦国時代を舞台にした『茶の湯』の話)だと思う。

特に序盤の、千利休の『日本独自の美の価値観の創造』に対する、深すぎる”業”を描いている部分は面白かった。

それまでなんとなく『茶道』(茶道という言葉は後に作られたものであって、最初は『茶の湯』といわれていた)とは堅苦しい、所作の美に徹したものだと思っていたが、『へうげもの』を読んでみると、『茶の湯』とは『インスタレーション』の源流なのだということがわかってきた。

所作のみにあらず。
茶器、掛け軸、書、生花、季節、鳥の囀り、月の満ち欠け。

茶室や茶室に至るまでの道、(庭)にも、『一期一会のおもてなし』の精神がある。

おそらく戦国時代において『茶の湯』の真髄の一つが『一期一会』だったのは、明日、お互いの命があるとも限らない戦乱の世における、諸行無常の世を慈しむ、あるいは今その時を全力で生きることの『時間の共有』という精神の表れだったのではないかと思う。



先日、とあるテレビ番組で『スイーツとアートの関係』をテーマに、和菓子と洋菓子を、意匠的な視点でその歴史を紐解く、という内容のものを放送していた。

『スイーツ』をアートとして認識している人がどれだけいるかはわからないし、個人的にもスイーツをアートとして表現することに(技術的な点において、という意味で)は自信などはないけれど、ただ、『スイーツはスイーツ単体で存在している』、というよりも『空間とともに存在している』と捉えているので、そういう意味では『スイーツそれ自体を単体でアートとして捉える』というよりも『インスタレーションアートの一部分としてのスイーツの役割』というものを考える方が、どちらかというと得意かもしれない、と思った。

フランスの製菓の製菓用語の中に『モンタージュ』という言葉があるが、これは『組み立て』という意味で、ある意味ではお菓子とは『パーツとパーツの組み立て』によって出来ている、と考えることができる。

また『マリーアージュ』(組み合わせ)という言葉もあるように、スイーツと一緒に何を合わせる(何を飲む)かというのも、考慮すべき大事なポイントだと思う。

『モンタージュ』や『マリアージュ』のことを考えてみると、そこにはアート的な視点よりも、デザイン的な思考の方が必要とされるのではないか、と個人的には思う。

スイーツとは作り終えた(完成した)時点で作品として完成、というわけではなくて、食べ終えて初めて作品として完成する。

『食べ終えるまでの過程』や『食べるためのカトラリー』や『食べる空間』もまた大事であることを考えると、複合的な視点が必要で、それらをひっくるめて『インスタレーション』なのではないかと思う。

...と書いてて思ったが『インスタレーションアート』という言葉はあるのに『インスタレーションデザイン』という言葉はないように思う。(あるのかな?)

もしかしたらそもそも『インスタレーションアート』という言葉自体が本当はなくて、『インスタレーション』という言葉に『アート』と『デザイン』の両方の意味がすでに内包されているのかもしれない。 

話を戻すが、『消えもの』の中でもスイーツは特にアートとの関係性は深いことは、想像に難くはないと思う。

西洋において、料理や菓子がゴージャズにな見た目や造形に発展していく背景には、『パーティ』『晩餐会』『外交』などでその権威を示すため、という要因があるが、さらに菓子には『記念日』『特別』『贈答』の意味が含まれている。

ある意味で『お酒』『お茶』などの嗜好品に近く、しかもジュエリーのような造形に仕上げることもできるため、よりアートと親和性の高いものになっていく。
(生きていくための栄養源、というよりも、時としてエンターテインメント性が強く意識される)

『贈答』という意味においては、包装紙や手さげ袋、メッセージカードなど、パッケージデザインも含めると、より視覚的・意匠的な価値や意味が求められる。

一方で日本のお菓子(後に『和菓子』と呼ばれる)は、特定の限られた食材(砂糖、あずき、餅など)で、花や果実を象った、いわゆる『見立て』として発展していく。

繰り返しになるが、個人的には『スイーツそのものを単体でアートとして捉える』ことに自信がなく、そのため『スイーツ=アート』という思考訓練よりも、『空間的なもの(カフェ)の一部としてのスイーツ』という位置付けで思考実験することの方が多いし、その基礎になっているのは前述した『へうげもの』を読んでからだと思う。

つまり、『カフェ』、という仕事の中に、『茶の湯』の思想が少なからずはんえいされている。

スイーツが置かれているお皿、そのお皿が置かれているテーブル、そのテーブルが置かれているカフェ、そのカフェに飾られている花、その花が活けられている花器、その花器を置く台.....というふうに。

料理もお菓子も、作り手の作業的には作り終えた時点で完成だが、その『食べ物の本来の目的』としては、それが食べられて無くなってしまうこと。

お菓子を『アート作品』というのであれば、その作品はこの世から消え去って完成する。

お皿の上にあったスイーツが消えてなくなって、お皿だけになってしまって完成する。

お皿に乗せるまでは料理人の仕事だが、お皿を出されてからそれらを食べることは、お客様の役割。

料理やお菓子を作る人と食べる人。

その共同作業によって作品は完成するのだと思う。

(※あくまで料理や菓子をアートとして捉えた場合、です。)


ティラミス

写真は『ティラミス』。

北イタリア発祥のこのお菓子は『私を元気づけて』という意味。

その名前の由来が意味する通り、コーヒーとココアの苦味とクリームチーズの甘味で、シャキッと元気になれる。

雨の日に食べるのにぴったりのスイーツかもしれない。


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