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旅先で飲むコーヒー


新しい製菓道具で作ったもの


写真は『シャインマスカットとブルーベリーのタルト』。

先日行った『かっぱ橋道具街』で買った製菓道具を使って作ってみた。何気に四角いタルトを作ったのは今回が初めて。

『グレープフルーツのタルト』。

こちらも『かっぱ橋道具街』で買った製菓道具で初めて作ってみた。

以前からこの季節になると度々作っているグーレプフルーツのタルト。
以前はカットしたグレープフルーツの果肉をそのまま乗せていたが、今回は果肉をシリコンの型に詰め、そこにゼラチンを流し込んでゼリー寄せにしたものを乗せている。

表面が球状の粒に成形されているのは、そのシリコンの型の形状によるもの。

グレープフルーツは他のフルーツや柑橘に比べほのかな『苦味』が含まれているのが特徴だと思う。
(そして個人的にはその『苦味』が大好きだ。)

個人的に柑橘系を積極的にタルトに使用したりはしない方だが(使うとしたらレモンか甘夏くらい)、個人的にはこのグレープフルーツのタルトは大好きで、時々作ったりする。

このタルトにはちょっとした思い出がある。

まだお店を始めて間もない頃に出会った、自分にとっては師匠的な存在の方にこのタルトを褒めていただいたことがある。

夏が来て、このタルトを作る度ににその時のことを思い出す。

その『自分にとっては師匠的な存在』とは、時々京都でお会いすることがある。

『生まれて初めてみたものを親と思う』という刷り込み効果と同じで、自分が師匠と思っているその方にはいつまで経っても頭が上がらないし、その方はいつも私に向かって「だからハマノくんはダメなんだよ」と笑いながら言ってくれる。

大学卒業後に、特定の師匠についたこともなく、修行をしたこともなく、上司もいない私にとってはその方との関係はとても大切なのだ。

距離は離れていても、自分にとってはいつも心の師匠だと思っている。

そういう存在がいてくれることは心強いことだと思う。


新しい製菓道具も着々と増え、その新しい製菓道具の使い方もだんだんわかってきて、お菓子のレパートリーが増えてきた。

油断するとすぐにマンネリ化してしまうカフェのケーキのレパートリーが少しでも増えることは、作り手にとっては少し安心する。
(同じものを作ってたらすぐに飽きられやしないか、という不安がいつもあるので)


旅先で飲むコーヒー


東京を旅行し、主にカフェ巡りとお菓子屋さんめぐりをした。

蔵前にある『喫茶 半月』と『蕪木』で出会ったコーヒーは素晴らしく、『美味しいコーヒーを飲んだ』を通り越して『素晴らしいコーヒー体験をした』と表現するのがぴったりだと思う。

『コーヒーを飲む行為』には2種類に分けられると思っている。

一つは『日常のコーヒー』。

コーヒーは嗜好品とはいえ、日常的に愛飲する人も多い飲み物なので、その場合は気軽に手軽に楽しむといいと思う。

忙しい朝に、新聞を読みながら飲むコーヒーは、丁寧にドリップしたものでなくても、コーヒーマシンの、ボタン一つで淹れられるコーヒーでもいいと思う。

もう一つは『非日常のコーヒー』。

喫茶店で飲むコーヒーは日常の延長でありながらも非日常的な雰囲気の中で、むしろ目を瞑ってゆっくりと楽しむのがいいと思う。

蔵前の『蕪木』で味わったコーヒーはそういうコーヒーだった。


東京旅行の初日、とても残念な体験をした。

蔵前のホステルにチェックインする前に、『清澄白川』という町に行った。

カフェ業界で働いている者なら誰しも一度は聞いたことのその地名の町には、有名なカフェ(コーヒー屋)がある。

『清澄白川』で1軒のお店に入った。

1軒目のカフェのコーヒーは、残念ながら、口に合わなかった。

口に合わない、というか、全然味がしなかった。
苦味もなければ酸味もない。
美味しいとか不味いとかいう以前に味がしない。
しかも厚ぼったいマグカップで出てきた。

味も香りもしない、口当たりも良くないコーヒーを出されて、心底がっかりして、2、3口飲んでお店を出て来てしまった。

口直しに、同じ町にある有名なカフェに行ったが、そこでは店内で飲むには30分待ち、ということで、せっかく行ったが、入らずに帰ってきてしまった。

最初に入った1軒目のカフェで飲んだコーヒーがあまりに残念なクォリティだったために、自分の中で、この町全体のイメージが悪くなってしまった。

2軒目のカフェにも入れず、勝手に『この町は僕に美味しいコーヒーを飲ませる気がない』と一人で憤慨してしまった。

大人気ない、と自分でも思う。

このことの教訓としては、『不味いコーヒーはそれ一撃で旅人の心をバキバキに折ることができる』、または『たった1杯のコーヒーの印象だけでその街の印象すらも左右する』ということ。

逆にいうと、旅先で美味しいコーヒーに出会うこと(旅先の町が旅人に対して美味しいコーヒーを提供すること)はとても大事なことだと思うし、例えば、尾鷲に旅をしにきた人が、美味しいコーヒーを飲みたい、と思って検索して、もしもカフェスケールにたどり着いたとして、カフェスケールは、その期待に十分に答えられるコーヒーを出すお店であらねばならんな、という責任感と使命感を改めて思い知ることとなった。

別にカフェスケールが尾鷲のカフェ代表ではないけれど、お店をする、ということは少なからずその地域に対して背負う責任のようなものが発生してしまうことを改めて痛感した。

『旅先で美味しいコーヒー』に出会うと、その旅先の町に歓迎されている気がするし、逆に『旅先で出されたコーヒーが酷いものだった』場合、その旅先の町に拒否されている気がしてしまうもの、ということを、世界遺産、熊野古道を抱える町に住む者、そこでお店を持つ者として、心に刻んでおくべきことだと、改めて思った。

見た目をすごくおしゃれに、とかではなく(それも大事だけど)、もっと、美味しいコーヒーを出せるお店にしたい、と強烈に思った。

そのためには、本気で自分で焙煎を覚えるしかないんじゃないか、という気がしている。

コーヒーの焙煎は自分にとっては手をつけていない最後の領域。
目指すべき最終目標。

その最終目標を、今回の東京のたびでより『やるべきこと』の優先順位が上がった気がしている。



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