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『引き継いでいく人』は誰か、『引き継いでいくもの』は何か。

写真は『アメリカンチェリーとブルーベリーのチョコレートタルト』。

リースタルトにしてみました。


製菓に携わっている人なら誰でも、一定数の製菓道具と、そして命よりも大事な『ルセット』があるはずです。
(※ルセット=レシピのこと)

この『製菓道具一式』と『ルセット』は、もし私がこの仕事を辞めることになったとしても、誰かに譲渡可能です。
(てゆーか、私の作るお菓子のレベルなんて、特別に高いわけでもないので、誰でも再現可能なわけですが。)

もしこの仕事を辞めざるを得ないとして、そんカウントダウンが始まったとしたら、私はお菓子教室とかお菓子講座をして、ルセット公開するかもしれません。

特別に高いレベルの製菓ではありませんが、一応、その作り方や分量くらいは、手放してもいいと思っています。


定休日になんとなく、BS-NHKの『新日本風土記』という番組を見ていると、尾鷲の伝統技法の漆器が紹介されていました。

長い年月をかけて育った『尾鷲ヒノキ』を原材料に、これまた長い年月をかけて習得した技術と、長い制作期間をもって造られる尾鷲の漆器。

尾鷲の伝統工芸とも紹介される『尾鷲わっぱ』です。

しかし、後継者はいないそうで、そのことについてその番組のスタッフさんが漆器の職人さんに

「後継者がいないことをどう思いますか?」

という質問をされていました。

その質問に対し職人さんは、

「(世の中に)必要とされれば残っていくし、されていなければ消えていく。」

という、割と達観したような答えをしていました。

つまり、それが必要とされているのであれば、後継者は現れるだろうし、それが必要とされていないのであれば、それまで、ということです。

でも、その答えは真理だと、私は思います。

伝統技法であれ、伝統工芸であれ、それは世の中のニーズがなければ意味がありません。

どんな技術も経済原理、市場原理に基づいたものでないと、それは『趣味』や『自己満足』であって、『商い』ではありません。
(決して『趣味』や『自己満足』が悪いわけではありませんが)

商売としてやっていけない、今の時代に必要とされていないのであれば、どれだけ高い技術を後の世に残そうとしても無意味です。

高い技術の後継を育てるよりも、その高い技術を高く売る方が重要ですし、その高い技術によって作られたモノが必要とされる世の中でないと…つまり『技術だけ』を有していても、それが『生業』(なりわい)として成立していないなら、当事者はただただ苦しい生活を強いられるだけです。

伝統的な技術や知識が途絶えてしまうこと、それ自体は確かに寂しいことかもしれませんが、その伝統的な技術や知識が今の時代でも応用可能、もしくは今の時代のニーズに合うようなアップデートがされていかないと、どうしても途絶えてしまいますし、それに携わっている当事者自身が未来を見通せていないのであれば、いくら外野が「伝統技術が途絶えてしまうことは寂しい」と言ってもそれは無責任な話です。


ところで、先日、同じく飲食店を経営している友人がSNSで興味深い発言をしていました。

それは、

「俺がもし、店を閉業するとしたら、何の予告もなく、最後の営業を終えて、シャッターを下ろして、『閉店しました』の張り紙を貼って辞める」

という内容でした。

「閉業の予告をすると、閉業を惜しむ人が押し寄せてくるから」

という理由でした。

なるほど、と思いました。

確かに。

閉業を告知して惜しまれて店が混雑するようなら、普段から利用してくれよ、という気持ちは、同じく経営者としてはよく理解できるところではあります。

飲食店はある日突然無くなります。

無くなってから惜しんでも仕方のないことです。

無くなってしまわないように、普段から利用することが大事なのだと思います。

話を『伝統技法・伝統工芸』に戻しますが、飲食店が潰れてしまうのと同じように、伝統技術や伝統工芸が失われてしまってから「失われてしまって寂しい」と言ってももう遅いのです。

(失われてしまわないために)それまでにどれだけそれを買ったのか。
どれだけそれを必要としたのか。
どれだけ(継承のために)動けたのか。

それを自らに問うところから始めないといけません。

どれだけ販路を拡大することができたか、
どれだけ世間のニーズを掘り起こすことができたか、
どれだけ世間の価値観に対して価値づけをすることができたか、

などは当事者が関わるべきところですが、意外に当事者が考えているよりも意外なところでそのニーズがあるかもしれません。

関係ないですが、去年『かっぱ橋道具街』に行った時、包丁で有名な『釜浅商店』のお客さんのほとんどは外国人でした。

日本の伝統技法や伝統産業を『買ってもらえる』のは、もはや国内のマーケットではなく、海外であることを、意識しないといけません。

日本はもうお金もなく、『安い海外製品を買う』傾向にありますが、お金を持っている海外は『高くても品質の良い日本のものを買う』という傾向が、ここ数年でハッキリとしてきました。

もしかしたら、日本の伝統技法、伝統産業の後継者は外国人である可能性が高くなってきています。

『継ぎたい』『継がせたい』という関係性がありますが、外国人の方が『継ぎたい』と思っている人が多いように思います。

あとは日本人が『継がせたい』と思うかどうか、だと思います。

「(世間的にニーズがないのだから)無くなってしまってもいいんだよ」と思う人もいます。
「(技法が途絶えては二度と再生不可能だから)いや、無くなってしまってはいけないんだ」と思う人もいます。

そのどちらも真理だと思います。


私の場合は別に伝統産業に関わっていませんが、飲食店の経営者です。

いずれ、いつの日か、お店を閉める時が来た時、やはり惜しまれるのでしょうか。

そうあって欲しい気もしますが、友人がSNSで呟いていたように、『突然辞めてしまう』のもサッパリとしてていいのかなあ、と思ったりもします。

が、将来的には、お店を辞める前には、とりあえずお菓子教室お菓子講座でもなんでもやって、お菓子のレシピや作り方に関しては公開してしまおうとは思います。

そこは誰でも再現可能な領域ですから。

再現不可能なのは『お店』のほうです。

お店の雰囲気や建物そのものは、再現不可能です。

そういう意味においては、『カフェスケールはカフェスケールにこないと意味がない』ものであることが重要だと、いつも思っています。

そこに好き嫌いはあれど、そこにしかないものを目指すべきだと思いますし、その点は絶対に後継者が育たない部分だと思っています。



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