旅と偶然のコミュニティ
写真は『甘夏ジャムのチーズテリーヌ』。
先日、ラジオ番組の取材があり、写真用のスイーツをご提供いただきたい、という依頼があり、その時に少しでも尾鷲らしいものを、ということで尾鷲産甘夏ジャムを使ったチーズテリーヌを提供した。
先日、移住・定住政策を業務として担っている友人の、アンケート調査に協力した。
正確にはこれから広域で実施されるアンケート調査のモニターとして協力した。
今後広域で実施されるそのアンケートの質問の意図の正確さや、アンケートを何の目的のためにとるのか、その目的に沿って質問内容が意図されているか、ということを精査するための協力である。
質問の中に、
「今後あなたが、この地域で暮らしていくにあたり、いなくなって欲しくない人はいますか?」
というものがあった。
私の場合、私に関係した私の周囲の人間には(のっぴきならない理由はあるにせよ)、全員、誰1人としていなくなって欲しくない、と思うので、この質問は答えづらかった。
なので、質問の文言を少しアレンジして
「今後あなたが、この地域で暮らしていくにあたり、心の拠り所になっている人、お店、場所はありますか?」
という質問にしてみたらどうか、という提案をした。
その町に暮らして行くにあたって、
『心の拠り所になっている人、店、場所』
があるかどうか、は結構重要なことだと私は思う。
これは実際に私が経験した(言われた)ことだけど、転勤で尾鷲にやってきて、3年間働くことになった人が、3年間働いた尾鷲から転出する時に
「このカフェにしょっちゅう来たわけではないですけど、3年間、カフェスケールがあるおかげで、何とか尾鷲で頑張ることができました」
とカフェに挨拶しに来てくれた人がいた。
それも1人や2人ではない。
とはいえ何十人や何百人、という人数でもないけど、尾鷲に転勤でやってくる、あるいは結婚で移住してくるなどの人の中には、『自分がこれから暮らす町にお気に入りのカフェがあるかどうか』がその町に暮らし続けることができるかどうかを大きく左右する、という人がいる。
それは私は『カフェ』という職場で働いているので、『生活においてカフェが必要な人』が可視化されいるけれど、人によってそれは、図書館であったり美術館であったり映画館であったり、パン屋さんであったり花屋さんであったりするかもしれない。
あるいは釣りをするための海があること、散歩をするに適した山があったり小川が流れていること、ぼーっとするための公園があること…..そういう場所が必要としている人もいる。
あなたにとって『そこに居続けるために必要な、心の拠り所となる人・店・場所』はあるか、という質問をすれば、三重県には何を求めて移住してくるのか、それに応えられているか、ということが見えてくるかもしれない、と思った。
先日、日帰りで京都に行ってきた。
お昼ご飯は、前々からSNSで気になっていた『すば』というお店でいただいた。
開店10分前に到着するとすでに多くの方が行列を作って順番待ちをしていた。
『すば』は今時珍しく立ち食いスタイルのお店。
立ち食いのテーブル代わりになっているのは、陶芸作家による陶製の2つのカウンター。
店外に目立った看板もなく、派手な装飾もない。
店内も倉庫をそのまま使ったような、何だか親近感の湧くような作りだった。
私も1人で並んでいると、前に並んでいた5人組のグループが「どこから来たんですか?」と話しかけてくれたのをきっかけになんとなくその5人組の輪の中に入れてもらった感じがして、順番待ちをしている時も、陶製のカウンターでそばを待っている時も、そばを食べる時も、終始楽しい会話の仲間入りをさせてもらった。
それほど広くない店内でぎゅうぎゅうになって立ち食いで蕎麦をすする。
自然と距離も近くなり、会話も生まれた。
私はその5人組より先に蕎麦を食べ終えてしまったので、輪の中に入れてもらったことに礼を言って、そのお店を後にした。
正直、その時の京都旅は、色々と予定がうまくいかないこともあり、収穫の少ない旅となったが、この立ち食いそば屋さんでの、見知らぬグループと一緒にそばをすすったことが一番の思い出となった。
その2日後、岐阜県は白川郷に1泊で旅行をしてきた。
関わりのある『尾鷲ヒト大学』のロールモデルとなった『白川郷ヒト大学』の拠点がある白川へ。
観光もさることながら、現地の友人との尽きぬ会話が楽しい旅だった。
『白川郷ヒト大学』を運営する『ホワイエ』のオフィスやコワーキングスペース、カフェなども見学させていただいた。
『白川郷ヒト大学』の運営などについても一通り気になっていたことも聞くことができた。
晩御飯はイワナのお刺身やお寿司が食べられるというお店に連れてっていただいて、お酒も進んで色々なことを話し合った。
実は後で知ることになるのだけど、このお店は、岐阜県ではなく富山県だった。
知らぬ間に県境を超えて富山県まで料理を食べに連れて行ってもらってたのだった。
少しの休みの間に、京都と岐阜を旅行し、濃密な時間を過ごした。
ところで、『コミュニティカフェ』という言葉がある。
その名の通り『コミュニティ作り』をコンセプトとして経営しているカフェだ。
実際にこの目で見たこともある。
これは個人的な意見だが、『コミュニティ作り』や『町おこし』を標榜したカフェはやらない方がいい、と思っている。
(あくまで個人的意見であることを強調しておく)
そうではなく、そのカフェを経営する本人やその人が雇っている従業員が十分な生活ができるくらいの売り上げを安定的・永続的に作り上げること….つまり何よりも『経営的に成功すること』を第一の目的にした方がいい。
カフェを経営する人やそのスタッフが十分な報酬が得られていることはすなわち、その人がその土地で安心して暮らしていける基盤がしっかりすることであり、その人だけでなく、その人の家族や友人がその土地に根付いていくのなら、それこそが何ものにも換え難い町おこしなのではないかと思う。
カフェの経営を安定化させるために『コミュニティ』や『町おこし』というコンテンツを、コンセプトとして利用する、という考えもあるが、実は『コミュニティ』や『町おこし』を標榜することが、カフェの永続的な経営にとってプラスになることはほとんどない、と言っていいと思う。
(個人的にはむしろ逆効果だと思う)
繰り返しになるが、『町おこし』を標榜せずとも、そのカフェが『経営的な正解』を出していれば、自然とそのカフェが『そこで安定的な経営を続けること』に繋がっていき、そのことが『その町が盛り上がっていくこと』とニアイコールであることに繋がっていく。
そして無理やり『コミュニティ』というワードを駆使せずとも、カフェとは元々自然発生的にコミュニティが出来上がっていくものなのだ。
むしろ逆に『コミュニティカフェ』と標榜してしまうことで、そのカフェに行くための目的….”コミュニティを作る”という目的…..をお客さん側に一つ課してしまうことになり、かえって『コミュニティ』を標榜するカフェに行きづらくなってしまう。
話をまとめると、『町おこし』というワードを使う前に、経済的な基盤を安定させる、『コミュニティ』というワードを使わなくても安定的な基盤と、テーブルと椅子とコーヒーさえあれば、勝手にコミュニティはできていくものなのだと、個人的には思っている。
『ホワイエ』が経営する『アオイロカフェ』でも、同じような話をした。
第一に考えることは、『継続していく』こと。
拡大した路線を維持するのではなく、時には縮小したりパージしたりする。
ニーズばかりにとらわれずに、やっている本人が一番負担のない方法で継続していくことが大事なのだと思う。
1人で入った立ち食いそば屋さん。
肩がぶつかるほどの店内で、隣になった人と、ひとときの関係を作った。
それだってそのそば屋を舞台にした立派なコミュニティだと思う。
立ち食いそば、という経験を初めてしたけれど、こういうお店が『その町のコミュニティ』を作っていく。
そのそば屋に『コミュニティづくり』『町おこし』の意識がなくても、だ。
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