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カフェの仕事を通して得た食生活の価値観


秋らしく、『大学いものタルト』を作ってみた。

大学いものタルト
バニラアイスを添えて



『自分のために料理を作る 自炊から始まる「ケア」の話』という本を読んだ。

『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』 山口祐加 星野概念


トンガ坂文庫にて購入。

『食』に携わる仕事に就いてよかったな、と思うことはいくつもあるが、その中でも『食』を中心とした『人生の豊かさ』や『人生のちょっとした愉しみ』を知ることができたことと、そして『人間にとってなくてはならない『日々の食事』を、仕事をするついでに摂ることができる』ということ、だと思う。

著書『自分のために料理を作る』の冒頭では「自分のために料理を作るってしんどくない?」という問いかけから始まる。

料理はその過程や行程を考えるだけでも一苦労なのに、毎日毎日違う料理を作ったり、栄養バランスを考えたりしなければならない。

著書では『日々の仕事をこなすだけでも精一杯なのに、それに加えてクタクタの体で家に帰ってから料理を作るなんて無理。だから別に買ってきたもので済ましたり、外食で済ましてもいいじゃん』というところから始まる。

でも、それでも、料理をしたい、しなければならない、という人の『なければならない』を取り除きつつも、ステップを踏んで『自分のために料理ができるようになるには』、を解説している。

くれぐれも、『仕事でクタクタになった人は買ってきたもので済ましてさっさと寝てしまう方がいいよ』というスタンスで、『でもたまにはやってみようかな』くらいに思ってる人の手助けになるようなアプローチで書かれている。

で、話は冒頭に戻るが、私は『仕事でクタクタになってさらに料理をする』ことはなく、『仕事の作業行程の中で料理を作ることができる』環境にいるので(何せ職場環境が『厨房』なので)、『食事』を、『仕事とは別にこなさなければならない行程』ではなく、『仕事の中でこなすことのできる行程』なので、『仕事のせいで食事や食生活がおざなりになる』ということがなく、そのことが、『この仕事に就いてよかったこと』の一つにあげることができる。

著書『自分のために〜』に話を戻るが、著書の中では

『自分のために綺麗に盛り付けるのが面倒』
『自分のために、料理別にお皿を用意するのが面倒』

という話も出てきて、

「別にスーパーで買ってき刺身をそのままパックのまま食べても構わない」

というふうに著者は書いているが、

「それでも、『自分のために』料理をすること、盛り付けをすること、お皿を選ぶことを『手放したくない』と思っている人が、その感性があるのなら、その感性を大事に持続させていくための、料理との(しんどくならないための)上手な付き合い方を模索する」

とも考えていて、『基本的には自由な生活スタイルでいいけど、なんとなく『食』だけはきちんとしたい』と思っている人が、その感性がいつしか面倒くさくなって(あるいはいろんなものに押しつぶされそうになって)雲散霧消してしまわないためのヒント、あるいは、『自分をケアするために料理をする』『自分の作る料理に甘える』ためのメソッドを教える、というスタンスで書かれている。


『自分がこの仕事に就いてよかった』と思えることは、『盛り付け』や『器を選ぶ』ことに、(一人暮らしの頃よりはいくぶん)気を使えるようになったこと、その部分に少なからず楽しみとやりがいを見出せたことだ。

1人暮らしで、勤め人として働いていたならあるいは、『スーパーで買ってきたお惣菜を器に移さずにパックのまま食べる』『紙のお皿に盛って、食べ終わったら洗い物をせずに済むように紙皿を捨てておしまい』という『合理的な』食生活を送っていたかもしれない。

『自分のために器を選んだり盛り付けをしたりしない』

という選択(生き方)していたかもしれない。

著者は「心からそれでいいと思っている、それをしたいと思っているならそれで全然いい」と書いているし、私もそう思う。

しかし、『人に食事を提供する仕事』に就いたからには、そういうわけにもいかず、料理やお菓子のための器を選び、盛り付けをする。

なんなら、食べる空間そのものを『整える』のが自分の仕事だと思っている。(テーブルセッティングやかける音楽や飾る花とか)

そしていつしかそのことにやりがいを見出すことができるようになったし、同じように、『そういう部分に(共感して)対価を払ってくれる』人と出会い、価値観を共有できることに喜びを感じるようになったと思う。

『スーパーで買ってきたものをパックのまま食べて、そのパックを食べ終わったら捨てておしまい』

を『合理的な食事』とするならば、最も合理的な食事はマクドナルドかもしれない。

安いし、早いし、食器すらも使わないし。

しかし、私が歩み始めたこの仕事(カフェの仕事)の本質は『合理的な食事を摂らせる』』こととは違うと思っている。

むしろ正反対の非合理的なことだ。

『自分が自分のためにする合理的なことにお金を使う』とは対極の、『自分のために他人がやってくれる非合理的なことにお金を払ってもらう』ことがこの仕事なのだと思う。

『合理的なやり方に共感を持つ』こともできるが、『非合理的なやり方に共感を持つ』こともできる。

『カフェの仕事』は後者のような気がしている。
(非合理的なやり方に共感してもらえる人を増やしていくこと)


なんとなくだが、『芸術や詩歌について語り合う』とか『アンティークや古道具を愛でる』という感覚に近い気がする。

カフェという仕事はつくづく、『生存や生活の上で(栄養学的に)必要のない』もので商売している『非合理的』なものだ。

でもそんな仕事を選んで(愛して)しまったのだから、こればっかりは仕方ない…

もう、20年以上もやってて、これからもやりたいと思っているのだから、いくら自分の仕事が『非合理的』だとしても...

ちなみに、著書の中で、『(食器や調理器具の)後片付けが面倒だから料理をしたくない』という人の意見もある、私の場合は、食器や調理器具が山積みになっていたとしても、それを洗って拭いて片付けることに何の面倒くささも感じないし、片付けるものが多ければ多いほど、それを片付けた時の達成感を感じる方なので、洗い物は全然嫌じゃない。

それもまた『家事』ではなく『仕事』だからそう思うのかもしれない。



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