一人読書会「新記号論」vol.2
再び「新記号論」第1講義について考えていきたい。
第1講義「記号論と脳科学」の目的について
繰り返しになるが、この講義では20世紀初頭時点での新テクノロジーとしての電話、映画などの登場により、記号の領域がそれまでの印刷された言葉だけの状態(グーテンベルグの銀河系時代)から、例えば電話によって話し言葉が客体視できるようになり、そして映画によって視覚を客体視できるようになったことから、新たな思考が生まれ、記号の領域を拡大できたことを説明している。
またこれが、意味や認識を理解する手段として、「言語学」から領域を拡大、「記号論」というものが誕生したいきさつであり、テクノロジーの進化と哲学が一体化していたことは興味深い。
多くの人にとって哲学とは完全に文系領域だという理解であると思う。
その理由としては哲学・思想が20世紀初頭において、不幸にも政治(ナチスなど)などとも繋がってしまったため、その反動として文学化、テクノロジーとの関係性を薄めてしまったことも紹介しており、それは哲学にとって必ずしもプラスではなかったことも石田氏は言及している。
しかし、記号論は本来テクノロジーとの関係性において深められる学問であるという再認識が必要であることを強調しており、これは比較的理系のアプローチを取る私にとって、哲学は必要な学問であると気づかせてくれる重要な提言だ。
現実空間を巻きなおすデジタル空間の記号と未来
ここからは、本を離れて自論を述べていきたいと思う。
上で書いたように現実空間では音声、映像など言語を超えた記号世界が構成されるようになったわけだが、実はインターネット空間において記号は未だ言葉中心に構成されていると私は考えている。
それはインターネット自体、言葉と言葉を相互リンクするハイパーテキストが記号化の主役である時期を脱していない。つまり、検索エンジンの検索ワード、動画プラットフォームのタイトルとタグ、SNSの人名やハッシュタグなど言葉による関係性がこのネット空間における記号性を高めるための主要な役割を担っている状態にあるということだ。そして、これはグーテンベルグの銀河系を未来化した状態で”逆戻り”しているともいえるのではないか?とも考えることができる。
ただし、今後AIの進化・普及によって時代は確実に変化していくだろう。
ネット空間はこれまでのハイパーテキスト期から脱却し、ハイパーコンテンツ期、つまり画像認識AIを介して類似性の高い画像・音声・映像同士がタグ付けされた言葉なしに直接リンクする時代は入り口に差し掛かっており、これにより新しい記号化の時代が確実に来ることが想像される。また人が世界を認識する方法も変化していくに違いない。
この状態は非常に興味深く、インターネットが登場してから20数年間、現実空間が200年に渡って辿ってきた言語による記号世界を再び10倍速で巻きなおしている状態ではないかと感じている。
そして2020年以降、ネット空間が言葉の関係性による記号化というレベルを超えて、コンテンツ同士の関係性による記号化の世界の入り口にたどり着いていくタイミングと、現実空間における関係性を一旦解消したテクノロジーと哲学の関係を再認識・再構築していくべきというタイミングが同時なのは偶然なのかもしれないが、そこに意味を感じないわけにもいかない。
また、真のデジタルネイティブ世界というものを記号論的観点から考えてみると、現実とネットという2つの空間において、記号の役割が不均衡ではなく一定のパラレル状態を保った世界ではないか?とも考えられ、今後の記号を考える上での1つのファクターになるだろうと感じている。
第1講義はこのように記号論を理解・更新するための下準備的な内容になっているため、引き続き、次回の第2講義以降の具体的な内容について考えていきたいと思う。
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