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「お客のいぬ間に」 #5

#5 気分です

CDとレコードの棚から次のアルバムを探していると
「かける順番はどうやって決めてるんですか?」
とお客さんから聞かれた。
前にも何度か聞かれた質問だ。
わたしもカフェの店主だ、気の利いた答えの一つもしようと、1秒か2秒の間、脳みそフル回転で答えを探す。
が、3秒であきらめて、いつもと同じ答えをする。

「気分です」

お客さんは、わずかな失望を上手に隠して
「…それはそうですよね」
と朗らかに答える。
その刹那、よし次に同じ質問をされたら、もっと粋な答えをしようと胸に誓うが、次の刹那にはもう忘れている。

四ツ谷に「いーぐる」というジャズ喫茶がある。
大学生の頃からかれこれ35年通ってる。
学生の頃はコンパ(死語か)の二次会で寄っていたような感じだったが、社会人になって数年後、ここがジャズ喫茶の名店であると知った。
マスターの後藤雅洋さんはジャズの本を何冊も書かれており、30代になる頃、わたしもその一冊でジャズを知ろうとした。
(結果を言えば、本でジャズが分かるはずもなかった。本をガイドに聴いて感じるほかはなかった)
30代半ばのある平日の午後、店に客がわたしだけの時があった。
今しかないと、わたしは勇気を振り絞ってあることを試みた。
リクエスト、である。
その頃、いーぐるはリクエストが可能で、所蔵アルバムが書かれた分厚いノートが置かれていた。
わたしは、以前いーぐるで聴いたジャズドラマーのアルバムがもう一度聴きたくて、マスターにリクエストした。
するとマスターがこう言った。

「1時間半後になりますが、よろしいですか?」

思わず息を呑んだ。
あの世の門の前で閻魔様に問われたようなものである。
周りを見回してもたしかに客はわたししかいない。
リクエストもOKと分厚いノートには書かれている。
しかし、今から1時間半かかるという。
どうするおれ、閻魔様が答えをお待ちだぞ。

「はい、大丈夫です」

さいわいわたしにはたっぷりヒマがあった(会社をサボっての…)。
ほんのりと敗北感を覚えながらも、「じゃあいいです」とは言えなかった。
そして、お告げよりいくらか早く1時間と10分くらいでリクエストのアルバムがかかった。
マスターがお冷を注ぎながら、「このアルバム、いいよね」と言ってくれた。
わたしは店でかかるアルバムには歴とした順序があり、どこにリクエストを入れるかは閻魔様、もといマスターにしか分からぬ法則があるのだと知った。

二十年後、わたしもカフェ店主となり、店ではCDかレコードをかけている。
子どもの頃からアルバムで聴く習慣がついていて、サブスクには馴染めないでいる。
店を始める前は、テーマに沿ったプレイリストを作ることを考えたりもした。
アーティストのデビューアルバムをかける日、カバー曲を聴き比べする日、レコードのB面だけをかける日、フォークの日、テクノの日、落語の日…などなどだ。
が、やめた。
そんなに緻密な性格でもなかったし、相当数のアルバムを置くスペースもなかった。
だから結局、気分なのである。
爽やかな日には爽やかな、浮かない時にはもの憂げな、攻めたい時にはアバンギャルドな、おセンチな時にはノスタルジックなアルバムをかけたりしてる。
あくまで自分軸で。
あえて胸を張るなら、AIには出来ないだろうね…ってとこか。

朝、一人で掃除や仕込みをする時は、はっぴいえんどの「風街ろまん」というアルバムをかける。
松本隆作詞、細野晴臣作曲の「風をあつめて」という歌にこんな一節がある。

 人気(ひとけ)のない
 朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら
 ひび割れた ガラスごしに
 摩天楼の衣擦れが
 舗道をひたすのを見たんです

“人気のない朝の珈琲屋”の格別さを味わえるのは、カフェを始めた冥利の一つだ。
小学生の時、朝、教室に一番に着くと、しんとしたスペースを自分一人が占有してなんとも言えぬイイ気持ちになった。そのうちみんながやってきて、一気に日常に戻るまでの真空みたいな時間だ。
店の床をモップで拭き、入口の外に吊り看板をかける時、なんだかNHKの朝ドラっぽいな…と思う。
店の裏にある保育園からは園児たちのはしゃぎ声や泣き声が聞こえてくる。
爽やかすぎて、もはや現実感がない。
キラキラした光に包まれ、気分はヒロインだ。
ドラマ化する際は、わたしの役は浜辺美波にお願いしたい。

朝の珈琲屋の格別さをご存知の作詞家・松本隆氏には少々縁がある。
20数年前、当時CMディレクターだったわたしは、数年間にわたり崎陽軒のCMの演出を担当していた。
2004年は「横浜の青春篇」と題して、横浜で活動する若いバンドマンを主人公にしたCMを作った。
ライブハウスに客が2人しかいない中、汗を飛ばして演奏するバンドマンと、彼らを見守るライブハウスのオーナー。楽屋でシウマイ弁当をがしがし食べるメンバーに、「この街で鍛えられてさ、みんな本物になっていくんですよ」とオーナーが声をかける。
この時、バンド役で出演してもらったのが、松本隆氏が主宰するレーベル「風街レコード」からデビューしていたキャプテンストライダムだった。
ライブハウスのオーナー役には、ムーンライダーズの鈴木慶一さんに出演いただいた。
楽しい仕事の後は、余韻から醒めるのが難しい。
いつかまたキャプテンストライダムと仕事がしたいな…、ミュージックビデオを撮らせてほしいな…なんてココロの内で思っていたら、なんと一年も経たぬ内にお声がかかった。
彼らの3枚目のシングル「キミトベ」のMVの仕事だった。
それではここで、キャプテンストライダム「キミトベ」のMVをご覧ください!
・・・
といきたいところだが、残念だ。
キャプテンストライダムの永友聖也さんとはそれから20年来のお付き合いをさせていただいてるが、先日、一緒に飲んでいた時に思わぬ話を聞いた。
実は「キミトベ」のMVを作る際、ディレクターを誰にするかで、レコード会社のスタッフやバンドのメンバーたちで喧々諤々したらしい。新進気鋭や売れっ子ディレクターたちのリール(作品集)を取り寄せて見ながら、雨の日も風の日も打合せを重ねたらしいが(ここはフィクションです)、決め手に欠けていたらしい。
すると、そこへ現れた松本隆氏が
「あの崎陽軒のディレクターがいいんじゃない?」
と言ったという。
一口にディレクターといっても、映画、テレビ、CM、MV、YouTubeなど、畑が違うと文化も違い、それぞれになかなか交わらないものである。
そこを松本隆氏は面白がり、感触の違うものが出来るのでは…と期待してくれたようだ。
「マジ!?永友くん、それマジマジマジ!?」
わたしは自分も引くくらいマジを連発した。
ディレクター時代に知ってたら、“松本隆に推されたディレクター”とおおいに吹聴しただろう。
(出来なかった分、今ここで吹聴している)
ああ、いつかひょっこり松本隆さんがカフェ面白荘にいらっしゃらないだろうか。

「いらっしゃいま…あっ、アナタはもしかして…あの?」
「はい、松本です。作詞家の松本隆です」
「あの、はじめまして奈々ですの?」
「はい、木綿のハンカチーフの」
「あの、青空オンリー・ユーの?」
「はい、ハイティーン・ブギの」
「あの、うさぎ温泉音頭の?」
「はい、ルビーの指環の」
「あの、イエロー・サブマリン音頭の?」
「はい、赤いスイートピーの」
「あの、瞳・シリアスの?」
「え…」
「渡辺徹さんの…」
「あ、そうです、もちろんです! …てかアナタ、わざとアウトコースを攻めてます?」

松本隆氏はこれまでに2100曲以上の詞を書いたという。さすが日本の音楽シーンのメインストリームを50年歩き続けたレジェンドだ。木綿のハンカチーフに涙するのもいいが、うさぎ温泉音頭に腹を抱えるのもまたよしだ。

実はカフェを始める前に考えていた店の名前は
「喫茶 B面」
だった。
レコードのA面はキャッチーでメジャーなアルバムの顔のような曲が収録されている一方、B面はマイナー調だったり静かな曲が並ぶ。A面がアーティストの表向きの顔だとすると、B面は素の顔といったイメージだ。
人生をレコードになぞらえて、30年間のサラリーマン生活を終えた自分も、いよいよB面だな…という心境もあった。
が、今どきB面といってレコードを想起しないだろうこと、レコードばかりかける店でもないこと、何より家族や友人のウケがイマイチだったことから、採用はしなかった。
大瀧詠一の「A面で恋をして」(作詞松本隆!)をパロって
「B面でお茶をして」
なんて歌うのも悪くなかったんだが。


あ、お客さんが来た。

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